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11 正月なんて妄想

誰も好き好んで年末年始にわざわざ働きたくは無いのである。にも関わらず私は年末30日の夜から、新年5日の朝までの六日間に渡って夜勤と洒落込んでいる。

昔から世間が休みの日に働く事が堪らなく嫌でしょうがないのである。かつて私は大型トラックの運転手をしていた時期があったのだが、世間が休みの時ほど荷物は増えるわ、道路は渋滞するわで本当に碌な事が無かった。

忙しい上に行楽気分で浮かれた一般車が作り出す事故渋滞に辟易とさせられ、連休の時期には本当に心が荒んでいた。

そんな事もあって現在は、何処を見渡してもそこには世間の暦とは関係無く働いている人しか存在していない工場構内の仕事を選んで勤めて居る次第だ。

とは言えである。

やはり世間並みに年末には仕事納めをして、自宅の大掃除を行い、年越しの準備を済まし、家族揃って紅白歌合戦なんぞを観て、年越し蕎麦を食べつつ除夜の鐘に耳を傾けて百八つの煩悩を払いながら年を越し、元旦の朝にはおせちを前にして恭しく新年の挨拶をして、子供達にお年玉を渡して、近所の神社に初詣へ出向き、親戚の集まりに顔を出してこれまた恭しい挨拶をする。

そんな型に沿った様な正月を過ごしたくない訳では毛頭無い。何なら、そういったお正月らしいお正月に人一倍執着しているが故に、年中無休で稼働している職場に勤めているが為に、思い描く完全なるお正月というものを送る事が難しくて苦しみが生じてしまうのである。

そこで今回の年末年始に至っては、どうせ苦しみながら仕事をしなくてはならないのであればいっその事、寧ろ徹底的に苦しんで見ようかと思い立ち、全ての夜勤を自ら引き受けてみた。

中途半端に休んで微妙なお正月を過ごし、嫌々ながら出勤するくらいであるならば、自分の意思で年末年始に出勤すると願い出る方がよっぽど精神的に自由であり、誰を恨む事なく諦めもつくと言うものである。

その様な思いを胸に、年末年始で浮き足立つ空気の街を自転車で駆け抜けて夜のひと気が少ない工場へ向かい、眠気と戦いながら黙々と普段通りの作業を年越しの瞬間も行う。

一日十二時間の深夜労働を六日間、疲労と睡眠不足で朦朧とした意識と身体に鞭打ちながら、ただただ目の前の仕事を淡々と行っていると、ある瞬間から正月に働くという苦悩がスッと私の中から消えて無くなった。

そもそも正月などと言うものは、一年を365日として定めたが故に生じる、人間が決めた便宜的な事象でしか無い訳である。そこにあたかも意味が在るかの様な空気を世間全体で作り出して信じているだけの集団妄想。そんな妄想から解放されてしまえば正月だろうが「とある一日」に過ぎないのである。

そんなただの「とある一日」に拘って苦しむ事が何と愚かな事かと気付いた瞬間、私の中から正月と言う執着が消滅した。

世間全体が特別な意味を込めて思い込んでいるだけであり、それは所詮人間が決めた事でしか無く本質では無い。

私は今後、正月に心掻き乱される事は無いであろう。本質的に正月などは存在しないのだから。

そんな事を思う今日この頃。


ただ、元旦の日に夜勤から帰る際の空気はとても澄んでいて、空は雲一つ無く青く晴れ渡っていて清々しかった。






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