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自分の履歴書① 「センス」について考えていた大学時代

この記事では、大学時代に作品制作を通じて、センスの良し悪しの基準は何だろう、と考えていた経緯を自己紹介を交えて記載しています。

工芸の魅力

ありがたいことに、私は一年浪人して某美術大学に入学しました。今はデザイナー職ですが、デザインではなく工芸を専攻していました。理由は、デザインほど商業的ではなく、アートほど自己満足に陥りづらい、程よい立ち位置だと思ったためです。

工芸には「用の美」という、使うことでその美しさを実感するという言葉があります。アートは個人的には大好きでしたが、多くの人にアートで何かを伝えたいかというと疑問でした。それはアートが直接的には人の役に立たない、と思っていたからでしょう。工芸という手段であれば、日々使うものからアートのエッセンスを感じてもらえると思っていました。

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画力=センスではない

美大に入って一番失望したのは、センスがない人があまりに多いことでした。もちろん自分もセンスが良いとも言いきれませんが。。センスは定量化できる基準がないので、何をもって良い悪いと言えるのか? と思われるかもしれません。「美しいがなぜ大事なのか」の記事にも記載しましたが、センスを定義するのは非常に難しいです。

ものすごく写実的な絵を描ける人が感動を与えられるか、というとそうではありません。しかしながら、美大の受験では絵の技術試験を通過した人が入学しているのです。自分もその一人ではあるので、写実表現の大切さは理解しています。驚くようなセンスの人もいれば、美大生とは思えないような人もいました。

このセンスというヒエラルキーは、そのまま社会にも反映されています。チープなデザインがあり、それを良しとする企業があり、イカしてると思う消費者がいて、ライフサイクルが形成されているのです。センスが悪い、という事象は誰も傷つかないので淘汰されないですし、時代の流れで基準も変わるので淘汰すること自体も難しいのかもしれません。

美しさと醜さの境界とは?

作品制作のかたわら、センスについて、美しさと醜さの境界について考えていました。自分が制作したお気に入りの作品の一つに「心臓の形状をした鍋」があります。グロテスクな形状の鍋で食事を食べる、この行為で人はなぜ気持ち悪いと感じるのかを自問自答できる機会になれば良いと思い制作したものです。

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悪趣味なものがあるとして、それをセンスよく表現するってどういうことだろう、このようなことを考えていました。

センスの基準を作る

アート、デザイン、建築、ファッション、音楽、とにかく多くの作品に触れて自分の好き嫌いを見定めていました。この作品は有名だけれどイマイチ、この作品は無名なのにとても輝くセンスがある、といった感じです。これは習慣化していて、今でも電車内の広告をはじめ、アート、自分自身が制作しているデザインについて、これは好きになれるかな? と自問自答するクセが定着しています。

対人スキルの無さに目を向けなかった

旅行がとにかく好きでした。自分の意思で初めて行った海外はタイで、同じ人間なのに価値観がこうも違うって面白い、と直感的に感じたのがきっかけです。

旅行のためのバイトもしていました。初めてのバイトはお好み焼き屋で、接客が致命的に向いていないと思い、1ヶ月もせずに辞めました。ただ料理を運んで出すだけなのに、緊張と人目の怖さに耐えられませんでした。今の自分が当時の自分にアドバイスできるなら、対人スキルは大事だぞ、と言いたいです。接客が向いていないという課題意識はありましたが、卒業後は芸術家やデザイナーになるんだ、だからそこから逃げても問題ないと思っていました。
その後は、工場内軽作業やティッシュ配り、ポスティング、作品のギャラリー搬入搬出など、接客を伴わないバイトばかりしていました。業務内容的にやはり殺伐としていて、美大生のご身分が何しに来た? という空気をいつも感じていました。

海外ではセンスを大切にしている

貯めたお金でヨーロッパに行っていました。デザイン、アート、多くの文化が先進的だと思っていたからです。飛行機代が高いので一度ヨーロッパに降り立ったらユーロパスという鉄道乗り放題の切符で移動。宿は基本ユースホステルでした。ドミトリーの部屋で海外の人と楽しくやり取りしたいという思いの反面、なかなか打ち解けられなかったことを覚えています。

ヨーロッパのアートやデザインは素晴らしいのと同時に、日本のアーティストや建築が高い評価を受けていたことにも驚きました。特にアートが日本で評価されるには、逆輸入されるケースが多いことは知っていました。しかし、逆輸入されないまま海外で活躍している日本人も多くいることは残念にも思いました。それがゆえに、海外の方がセンスというものを大切にしていて、かつシビアな感覚を持っている、と感じました。例えば、街の風景は清潔感で言うと日本の方がシビアですが、この地で生活することでの心理的な豊かさはヨーロッパはきちんと考慮されているといった感覚です。

結果が大事

作品を作って自己満足して完結する人が多かったです。あまり自ら売り込まない美徳のような雰囲気もあった気がします。ただ、私は芸術家で成功したいと思っていました。なので、卒業間近になると公募展に応募しまくっていました。芸術家であってもハングリーさは必須で、結果を残さなければならない、と思っていました。

そして、とあるギャラリーが主催している公募展で初めて賞を受賞しました。卒業間近で就職活動もしていた時期でした。まさに就職氷河期と言われていた時期。自分の就活力不足もあり面接にすらありつけない冴えない状況下での受賞は、次のステップへの足がかりだと確信しました。就職はせずに芸術家を目指すことに決めました。

社会人20代前半へ続きます

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