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今を生ききるということ 金森穣×田中辰幸『闘う舞踊団』をめぐる対話④

『闘う舞踊団』をめぐる金森穣さんと田中辰幸さん(ツバメコーヒー)の対話4回目。コスパやタイパを求める合理主義が席巻する時代にあって、自らの身体にとことん向き合うNoismの舞踊家たちの生き方にはどんな意味があるのか。田中さんによる金森さんへの追及(?)は続きます。

「身体」ひとつで社会に向き合う舞踊家という生き方

田中 本の中で、「将来設計から逆算的に今何をすべきかを考えるような合理的な生き方をすべきではない」と書かれていましたよね。ずいぶん古風なことを言っているなと感じるとともに、これを今の時代、新しく捉え直すとしたら、どういうことだろうと考えたんです。
 というのも、人間は楽をしたい生き物であり、時間をかけずに成果を出したいという人が増えているのは事実だからです。そうした風潮をなぜ危惧し、抗おうとしているのか。それはNoismに共感して観にいこうとする人をつくることにもつながると思うのですが。

金森 うーん。そうだね……。田中くんの方向性があまりにも明確だから、天邪鬼の俺としては、どっちに行けばいいんだろうと迷っているんだけど(笑)。
 じゃあ、身体を切り口にしてみようか。この広い社会で生きていく上では、ある程度肯定していかなければならない部分が出てくるよね。とにかくいろんな人がいるんだから。
 そんな多様な人々が共通して持っているのがこの身体であり、持って生まれた自分の身体をツールとして社会と向き合い、他者に自らの存在を評価してもらうのが舞踊家だとすると、舞踊家として生きるというのは、本当に生半可なことではないんだよね。普通に恵まれた日常生活を生きて、しんどくない範囲で稽古をしたくらいで、人様の前に出て踊ってお金をいただけるなんてことは、決してありえない。
 あらゆるものを犠牲にし、人生をかけて自分の身体と向き合って初めて見出せるものがあり、逆に言えば、それだけのものをかければ必ず見出せるようになるのが身体である。向き合っただけ身体は応えてくれる一方、向き合うことなく偶然手に入ったりはしない。だからこそ、圧をかけて努力し、他者と比較して自分の足りなさに気づき、自らを鼓舞することが重要だし、それは社会がどう変わろうが、変わらないものとしてあるわけ。
 それに、これだけ社会が非身体化している中で、そのように身体と向き合って生きている人は稀有だからこそ、価値があるとも言える。情報化社会が極まり、希少性が改めて問われる時代になってきているでしょう? 誰もが持っているものじゃなくて、ここにしかない、これでしかないものに人間は惹かれるし、価値を見出す。その極北なるものが「身体」であると俺は思っているし、身体で勝負していくことが、これからの社会には無用どころか、ますます評価される対象になっていくと思うんだよね。

左:金森穣さん、右:田中辰幸さん

知った=わかった、ではない。

田中 舞踊に限らず、Instagramを見て色々なところに行った気になるとか、YouTubeを見て知った気になるというのは、身体が伴っていない証拠でもあるんですね。

金森 色々見れば、知識は得られるだろうね。今の若い舞踊家たちは過去から現在まで、世界中の名だたる舞踊家の映像を見られるし、真似できる。だけど、見て知って真似できることと、それをどうすれば自分の身体で実践できるかは、まったく別のことなんだよね。
 見たら知った気になって、知った=わかったと勘違いするから、そこで止まってしまって、身体に落とし込むプロセスになかなか移れない。映像を見たというのは知っているだけでわかったことにはなっていない。わかるためにはやっぱり実践が必要なんだ。

田中 そうしたプロセスの必要をわかった上で見れば、ある種の学習が進むことは、現代の成果だろう、と。

金森 それはそうだね。一昔前よりは明らかに進むよ。我々の時代には学べなかったようなものが学べるわけだから、恵まれた情報のインプットと自らの実践を両輪にしていけば、かつてより優れたところにいけると思う。
 スポーツの分野ではそれが顕著に現れている。スポーツ医学や科学が発達し、知識が増えると同時に、知識に基づく身体的なトレーニングを続けた結果、どんどん記録が伸びている。だから今の情報化社会が身体性を疎外しているということはない。ただ、情報を得たことでわかった気になり、実践が疎かになれば元も子もない。それだけのことだと思う。

田中 だとしたら、僕らは身体性を正しくとらえるために、何をすればいいんでしょうか。

金森 Noismの「市民のためのオープンクラス」や「からだワークショップ」に一度来ていただくのがいいと思うな(笑)。そこで日常とは違う身体の使い方をしてみて、自らの身体の可能性にまず気づくこと。そうすると、他人の踊りを見たときにまた違う次元の情報が得られる。生身の身体表現を観るのが舞台芸術鑑賞であり、観る行為によって自らがその身体表現を追体験することになる。
 自らの身体感覚が鋭敏であればあるほど、得られる情報は多くなる。身体を使う実践面と、他者の身体から学ぶことの2つを両輪として回していくことが重要だと思う。

(⑤へ続く)

聴衆の中には、井関佐和子さんらNoismメンバーも


写真(本文中):高橋トオル  協力:MOYORe:

[プロフィール]
金森 穣 かなもり・じょう
演出振付家、舞踊家。Noism Company Niigata 芸術総監督。
1974年、神奈川県横浜市生まれ。17歳で単身渡欧、モーリス・ベジャール等に師事。ルードラ・ベジャール・ローザンヌ在学中から創作を始め、NDT2在籍中に20歳で演出振付家デビュー。10年間欧州の舞踊団で舞踊家、演出振付家として活躍したのち帰国。03年、初のセルフ・プロデュース公演《no・mad・ic project—7 fragments in memory》で朝日舞台芸術賞を受賞。
04年4月、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館舞踊部門芸術監督に就任し、日本初となる公共劇場専属舞踊団Noism を立ち上げる。革新的な創造性に満ちたカンパニー活動は国内外から高い評価を得ている。
平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20年度新潟日報文化賞、第60回毎日芸術賞など、受賞歴多数。令和3年紫綬褒章。
www.jokanamori.com

田中辰幸 たなか・よしゆき
ツバメコーヒー店主。
1978年新潟県燕市(旧吉田町)生まれ。2012年11月に美容室パリスラヴィサントに併設するかたちで「ツバメコーヒー」をオープン。2016年に世界最速の芸術鑑賞「現美新幹線」のカフェメニュー監修、2017年12月に「ツバメコーヒーSTAND」を新潟市中央区万代にオープン(2020年4月に閉店)。2021年12月にブックショップ「WASH AND BOOKS」をオープンし、2022年10月には、いくつかの文章を寄稿し、全体の編集に関わった『俗物』を刊行している。

▶︎金森穣著 『闘う舞踊団』 はこちらから

▶︎Noismを観るなら、こちら。新作公演が予定されています。

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