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土着への処方箋——ルチャ・リブロの司書席から 23(最終回)

誰にも言えないけれど、誰かに聞いてほしい。そんな心の刺をこっそり打ち明けてみませんか。

この相談室では、あなたのお悩みにぴったりな本を、奈良県東吉野村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を開く本のプロ、司書・青木海青子さんとキュレーター・青木真兵さんが処方してくれます。2020年から続けてきたこの連載も、いよいよ最終回。さて、今回のお悩みは……?

〈お悩み〉不調からなかなか回復できません
産後、体調を崩してほぼ動けない状態が1年以上続いたせいか、今でも風邪をこじらせて入院するなど体力が回復せず、仕事も休みがちです。
時間を作って運動し、体力をつけるとともに、今の体調を受け入れ、仕事のしかたも変えていきたいのですが、思う存分働き、友人たちと出かけていた、元気だった自分とつい比べてしまい、自信をなくすという負のスパイラルから抜け出せません。
体調を崩すたびに、元気な夫から嫌な顔をされ、心配やいたわりの言葉がいっさいないことも、回復への気力を萎えさせています。まさに「病は気から」を体感しています。身体が弱ると心も弱り、人に頼りたくなる。それが叶わないとひどく落ち込んでしまうのです。
家族や友人からは、「もっと前向きに! ネガティブすぎる!」と言われます。現状を受け入れ、少しでも前向きになれる本があれば教えてください。
ゴーヤママ(43歳)

◉処方箋その1 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

『クラバート』オトフリート・プロイスラー作 中村浩三訳 偕成社

まずはつらさをそのまま受け止めてもらおう

不思議な水車場に迷い込んだ少年クラバートが、親方のもとで魔法の勉強をしながら、仲間たちとともに粉挽職人としての仕事に勤しむという物語です。一瞬、健康的な設定に聞こえますが、親方は非常に冷酷で抑圧的、仲間の中には親方に告げ口をする人もいるなど、状況はかなり過酷です。
作者のプロイスラーはこの物語について、「ひとりの若者が――当初はただの好奇心から、そしてのちにはこの道を選べば、楽な、結構な生活が確保できるという期待から――邪悪な権力と関係をむすび、その中に巻きこまれるが、結局、自分自身の意志の力と、ひとりの誠実な友の助力と、ひとりの娘の最後の犠牲をも覚悟した愛とによって、落とし穴から自分を救うことに成功するという物語です」と説明しています。

右も左もわからない新人として水車場に入ったクラバートが、さまざまな試練を乗り越えながら、最終的に水車場を出ることに成功する、というお話なのですが、私は中でも、水車場に入って間もなく、幼い上に魔法も使えないクラバートをそっと支えてくれた職人頭の青年・トンダの存在に注目しました。

作家で文学者の荒井裕樹さんは、「人が経験する苦しさ、苦悩には2つの位相がある」と言っています。
1つは、なぜ苦しいのか、どのように苦しいのか、どんな手助けが必要なのかを明確に説明できる「苦しみ」の位相です。一方で、それ以前の、なぜ苦しいのか、何が自分を苦しめているのか、どうやって助けてほしいのかがはっきりと言葉にできない段階の「苦しいこと」という位相もあるのだ、と。
水車場に来た頃のクラバートのつらさは、「苦しみ」以前、「苦しいこと」の段階だったと思います。言葉にできないクラバートのつらさをトンダが察して受け止め、親方にバレないようそっと助けてくれた。その経験があったからこそ、クラバートは最後には前を向いて自分を自分で落とし穴から救い出すことができたのではないかと思うのです。

お便りの中で気になったのが、「家族や友人からは、『もっと前向きに! ネガティブすぎる!』と言われます」という箇所です。
ゴーヤママさんの場合、まだ「苦しみ」以前の「苦しいこと」をそのまま出して、受け止めてもらう感覚を味わったほうがいい気がします。自分をどうにかしようと前向きに考え始めるのは、それからでも遅くありません。

クラバート自身、当初は右も左もわからず、とにかくしんどいという「苦しいこと」の段階にいましたが、トンダの支えがあって次第にその「苦しいこと」を生み出す様相をつかみ始め、「苦しいこと」が「苦しみ」に転じると、乗り越えるための対策を立てられるようになりました。何かを乗り越えるには、段階があるのです。
まだ「苦しいこと」にあるうちから、「前を向こう」とか「頑張ろう」というのは無理なことです。産後1年以上動けなかったのなら、その1年はノーカウントと考えていい。
あなたのつらさを「つらいね、大変だね」とそのまま受け止めてくれる人や場所が見つかれば、きっとモヤモヤした「苦しいこと」の段階から、「苦しみ」の実体を客観的に分析できるところへ出られると思います。もちろんそれはこの場だっていい。まずは「そうだよね、苦しいよね」とお伝えしたいです。

◉処方箋その2 青木海青子/人文系私設図書館ルチャ・リブロ司書

「船場センタービルの漫画」町田洋作 トーチweb

治った…のか? から見える世界

うつ病を経験した著者が、大阪の商業施設「船場センタービル」の広告マンガの依頼を受けるところから始まる物語です。
著者の町田洋さんは最初、「私は、宣伝の漫画をお受けするには致命的な事に、その時描きたいものしか描くことができません。ちなみに今描きたいテーマはうつ病です」と返信して断ろうとするのですが、先方から「はい、そちらでどうぞよろしくお願いいたします」という回答が届きます。

町田さんのうつ病は本当につらそうです。何も考えることができないし、外出するときは帽子に耳栓、マスクで顔周りを覆い、杖をつくほどで、些細なことでパニック発作を起こすこともある。そんな時期をやり過ごし、少しずつ回復して通院卒業になるのですが、そこで著者が抱いた感想が「治った…のか?」ということ。「醤油に大量の水を足して薄めた感じ」とも表現されています。同時に「でも考えてみると、100%の透明な水でいることは健康時でも難しいかもしれない」と思い直し、大阪へ向かいます。
その後、うつ病での経験と、船場センタービルでの経験が溶け合って、胸がいっぱいになるすてきなストーリーが展開されていきます。

ゴーヤママさんも、うつ病とは違いますが、出産という心身に大きな影響を与える経験をされています。ある程度体力が回復しても、町田さんのように「治った…のか?」という感じが残るかもしれません。
私自身、しんどくてまったく動けない時期を経験したことがあり、寛解したものの、「治った」とは決して言えない、まさに「醤油に大量の水を足して薄めた感じ」を今も持っています。以前より無理ができなくなったのは確かです。でも同時に町田さんのように新たな視点を得て、それに助けられている感覚もある
たとえ「治った」とならず、体力充分と言えなくても、それによって見えるようになったこともあるのではないか、と思うのです。そうして見えたものは、これから幼いお子さんをケアしていくゴーヤママさんにとって、とても大切な視点かもしれない。
うつの経験から新たな視点を得た著者によるこの作品を読んで、回復に時間がかかっていることを責めることなく、ご自身の変化を自ら肯定してあげてほしいなと思います。

◉処方箋その3 青木真兵/人文系私設図書館ルチャ・リブロキュレーター

『トム・ソーヤーの冒険』マーク・トウェイン作 土屋京子訳 光文社古典新訳文庫

みんないろいろあって、変化する

19世紀中頃のアメリカ、ミズーリ州セントピーターズバーグで、トム・ソーヤー少年が繰り広げるイタズラや女の子とのすれ違い、ハックルベリー・フィンとジョー・ハーパーとの仲良し3人組で行う宝探しや殺人目撃事件など、とにかくたくさんの話題が詰まった物語です。
ゴーヤママさんも書かれているとおり、僕も「病は気から」だと思います。本書はその「病は気から」を問い直すのにぴったりな本です。

ゴーヤママさんは今、孤立無縁な状況にあります。「気」が弱ってしまうのは、すべてがあなた個人の責任に帰せられてしまっているせいです。周囲の理解がなく、手を貸してもらえないことが、「病」につながっているのではないかと感じます。
出産は女性にとって非常に大きな変化のタイミングで、産前と産後では、別人になっているほどのことだと思います。それなのに、周囲の人からかつてと同じ人間として扱われてしまっている。産前なら「自分のことは自分でやる」という価値観の中で生きてこられたかもしれませんが、出産を経て別人になったことで、それができなくなった。そのことに、ご本人も含め、周囲も気づいていないのではないでしょうか。

『トム・ソーヤーの冒険』から受け取ってほしいのは、みんないろいろあるけれど、そこから影響を受けてどんどん変化するし、変化してもいいんだ、というメッセージです。

トムは生来の怠け者で、嫌なことをやらないために悪知恵を働かせたりするいたずらっ子ですが、物語の中でいろいろな経験をした結果、変化していきます。ずる賢さが治るわけではないのですが、確かに成長していく。ああ、人間って変化できるんだよな、と素直に思わせてくれるところがとても魅力的です。
トムがそうした変化を遂げる大きな要因が、やはりハックとジョーという仲間からの影響です。そのうちトムよりハックの存在感が増してきて、その後、『ハックルベリー・フィンの冒険』が刊行され、大ヒット作になるというのも興味深い。それでもいいんだな、と。
それにトムには、すごく真面目な面もあるんです。ロビンフッドごっこをやるときには「いや、ロビンフッドはそういうことはしない」と本に書かれていることを守るし、海賊ごっこでも「海賊はかくあるべし」と、彼なりの信念、こだわりがしっかりある。変化はしても、こだわりまで捨てる必要はないんですよね。

とにかくいろんなことの起きる『トム・ソーヤーの冒険』ですが、他人から影響を受けてもいいし、頼ってもいい。さらには自分が主役じゃなくたっていいじゃない、というおおらかさが全体を覆っているところがいい。
すべてが個人の責任に帰せられていると、自分の人生、常に主役を生きなくちゃと思いすぎてしまいますが、譲れるところはハックのような人に譲ればいいんだ、と思わせてくれます。
おばさんに育てられているトムや、大酒飲みの父にほったらかされているハックが自由に生きる一方で、幸せそうに見えてもどこかつらさを抱えている子も出てくる。みんないろいろあるんですよね。
「病は気から」。本書のような、人間関係のネットワークの中で生きている人たちの物語を読むと、ちょっと気が楽になり、病もよくなるのではないでしょうか。

左から『クラバート』『トム・ソーヤーの冒険』

〈プロフィール〉
人文系私設図書館ルチャ・リブロ 
青木海青子
(あおき・みあこ)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。1985年兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともにルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。本連載の写真も担当。本連載を含む図書館での日々を描いたエッセイをまとめた『本が語ること、語らせること』(夕書房)、『不完全な司書』(晶文社)が好評発売中。奈良県東吉野村在住。

青木真兵(あおき・しんぺい)
人文系私設図書館ルチャ・リブロ」キュレーター。1983年生まれ。埼玉県浦和市に育つ。古代地中海史(フェニキア・カルタゴ)研究者。関西大学大学院博士課程後期課程修了。博士(文学)。2014年より実験的ネットラジオ「オムライスラヂオ」の配信がライフワーク。障害者の就労支援を行いながら、大学等で講師を務める。著書に『手づくりのアジール—「土着の知」が生まれるところ』(晶文社)、妻・海青子との共著『彼岸の図書館—ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』『山學ノオト2』『山學ノオト3』(エイチアンドエスカンパニー)がある。最新刊は、光嶋裕介との共著『つくる人になるために-若き建築家と思想家の往復書簡』(灯光舎)。奈良県東吉野村在住。

この連載はいったん今回で終了です。新連載に向け、「これってどうなの?」と思っていることをルチャ・リブロのお2人に相談したい方は、メールで info@sekishobo.com までどうぞお気軽にお送りください! お待ちしております。

◉奈良県大和郡山市の書店「とほん」とのコラボ企画「ルチャとほん往復書簡—手紙のお返事を、3冊の本で。」も実施中。あなたからのお手紙へのお返事として、ルチャ・リブロが選んだ本3冊が届きます。ぜひご利用ください。

◉ルチャ・リブロのことがよくわかる以下の書籍もぜひ。『本が語ること、語らせること』『彼岸の図書館』をお求めの方には、「夕書房通信」が、『山學ノオト』『山學ノオト2』『山學ノオト3』『山學ノオト4には青木真兵さんの連載が掲載された「H.A.Bノ冊子」が無料でついてきますよ!


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