空白の傷を聞くとは 宮前良平×浅田政志『そこにすべてがあった』をめぐる対話①
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空白の傷を聞くとは 宮前良平×浅田政志『そこにすべてがあった』をめぐる対話①

夕書房
そこにすべてがあった——バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学(カイ・T・エリクソン著、宮前良平・大門大朗・高原耕平訳、夕書房)は、1972年2月、アメリカ・ウェストヴァージニア州のバッファロー・クリークで大雨によって鉱山ゴミのダムが決壊し、谷全体が黒い水に飲み込まれた洪水災害の被災者への膨大なインタビューと綿密なフィールドワークから、被災地における「集合的トラウマ」の輪郭を描き出した本として約50年もの間読み継がれています。
今、なぜ50年前のアメリカの洪水災害に学ぶ必要があるのでしょうか。2021年9月6日、本屋B&Bのオンラインイベントとして行われた、共訳者で災害研究者の宮前良平さんと写真家の浅田政志さんによる対話を、2回に分けてお届けします。
まずは、お2人が出会った東北の被災地でのお話から。

岩手県野田村の写真洗浄・返却ボランティア

宮前良平(以下、宮前) まずは僕と浅田政志さんのかかわりをご紹介したいと思います。
僕は大阪大学人間科学部で災害の研究に携わっています。災害研究というと、地震や台風の予測やハザードマップ作成といった工学系の研究がまず思い浮かぶかもしれませんが、僕がやっているのは、災害被災地でボランティア活動をしながら現地の人たちと交流し、そこで伺ういろいろなお話から、復興の最前線である被災地の状況を記録することです。

僕が最初にボランティアに入ったのが、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県野田村でした。時期としては比較的遅く、震災から3年後の2014年頃です。当時でもボランティアがやるべきことはまだたくさんあり、その一つが、写真の洗浄・返却活動でした。
津波で流された写真を丁寧に洗い、持ち主を探すこの活動は今も続いているのですが、その立ち上げに浅田政志さんという写真家の方がかかわっていたと聞き、以来、写真のことを教えてもらったり、立ち上げ当時の様子を聞かせていただいたりとお世話になっています。

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浅田政志(以下、浅田) 初めて会ったのは野田村だったよね。確か当時は大学院に入ったばかりで、すごく若かったイメージがあるな。宮前くんは、その後も頻繁に野田村で活動を続けているんだよね。

僕が野田村に入ったのは2011年、震災発生の2ヶ月後でした。東北での初めての写真展を青森県八戸市で開催していた、その最中に震災が発生したんです。
そこでまずは八戸に駆けつけたのですが、写真展担当者から「ここは被害がさほど大きくない。南のほうが被害がひどいから、そちらに行ってボランティアをしたほうがいい」と助言をいただき、八戸の友人の車に乗せてもらって南に向かい、たどり着いたのが野田村でした。

津波で大きな被害を受けたまちを目の当たりにして圧倒されました。
とりあえずボランティアセンターに届け出を出し、その日は配属された支援物資の仕分け作業をして、夕方、終了報告をしにセンターに向かって歩いていたら、役場の入り口横で、写真を広げて洗っている若い男女を見かけました。
写真洗浄のことは聞いたことはあったのですが見たことはなく、「写真を洗っている!」と、思わず足が止まりました。
そこで話しかけたのが、野田村出身の若者、小田くんでした。彼は津波に浸かってしまった写真をきれいにして持ち主に返したいとの一心で、寒い中、冷たい水に手を赤くしながら写真を洗っていた。僕にも役に立つことがあるかもしれないと、翌日から手伝わせてもらうことになりました。

写真洗浄ボランティアが実際に行われたのは、東日本大震災が世界で初めてだったのではないかと思います。
津波被害はこれまでも世界中で起きていますが、写真がこれだけ一般家庭に普及してからの津波は初めてだったし、家庭のアルバムが大量に流されたのも初めてだった。写真の洗浄方法はもちろん、きれいにした写真をどうすれば持ち主に返却できるのかもわからない。すべてをみんなでゼロから話し合いながら進めていきましたね。

宮前 浅田さんにとっても写真洗浄の現場は初めてだったのですか?

浅田 初めてでした。でも、実はそもそも写真に洗浄はつきものなんです。
暗室では現像・定着・水洗という作業をします。像を紙に定着させるには、白いパッドに入れた液体につけるので、写真を洗うという作業自体は、写真家の僕にとっては身近なものだった。
とはいえ、扱うのは自分が撮った写真ではありません。お会いしたこともない方の、普通なら他人に見られることのない個人的な写真を洗うというのは、暗室作業とは重みが違い、複雑な気持ちがしました。

写真は乾かせば、助かる

宮前 どのぐらいの枚数、洗浄したんですか。

浅田 当時は数を数える余裕もなかったからね。とにかく膨大で。数万枚はあったと思います。
津波被害にあった写真にはバクテリアがついています。微生物は表面のゼラチンコーティングが好物で、放っておくと繁殖して写真が腐食し、像がどんどん見えなくなっていく。時間との戦いでした。夏が来て微生物の活動が活発になる前に、まずは完全に乾燥させて活動を止め、その後一刻も早く洗って、像がそれ以上腐食しないようにする必要がありました。

宮前 僕が活動に加わった2014年の時点でも、返却されていない写真が約2万枚残っていて、ときどき乾燥させていたのを思い出します。洗浄自体は1年ほどで終わったと思いますが、その後のメンテナンスも必要なんですよね。長く続けなくてはならない活動なのだと感じました。

浅田 そう、写真プリントは乾燥させることがすごく大事。梅雨の時期は用心のためにときどき広げて乾燥させていましたよね。
西日本豪雨で洪水被害にあった真備町でも、水に浸かってしまったアルバムをなんとかしたいけれどもうダメだろうと諦め、処分してしまう人が多かったけれど、写真は乾かすと助かる率が上がるんです。濡れたままにしておくのが一番よくなくて、まずは乾かす。でも、そういうことって、写真をやっていない人はわからないよね。

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その後、野田村では「お茶会」と呼ばれる写真返却会が行われるようになって。
仮設住宅の集会所をお借りして、皆さんに集まってもらうのですが、「写真を探しに来てください」と言うと、探す写真のない人は来られない。そこでお茶飲み気分で写真を見ませんか、という感じのゆるやかな呼びかけになっていったんだよね。
僕が参加したときは飲食店をやっている方が手作りのプリンやお菓子を持ってきてくれて、すてきなカフェに来た気分でワイワイ楽しくやっていましたね。

「お茶をしに来ませんか」


宮前 今でも「お茶会」と言っていますよ。

浅田 そこが野田村の特徴だよね。写真を見にきたはずなのに、あるおじいちゃんが得意の歌を歌い始めて、みんなで聞かせてもらったり。すごく楽しい雰囲気だった。
不思議だったのは、自分が写っていない他人の写真を見ながら、「このときのお祭りはここが楽しかった」とか「このたばこ屋さんではこんなふうだったね」と、野田村の皆さんの記憶がつながる場面がたくさんあったこと。その会話には、僕たち部外者も入れて。1枚の写真を囲んで話が弾んでいく様子が、すごく印象的でした。
お茶会の第一目的は写真返却だけど、そういうふうにみんなで野田村の今はなくなってしまった景色について語る時間がすごく豊かだった。たとえ探していた写真が見つからなくても、みんなでおいしいお菓子を食べながら野田村の話をするだけでもOKというか。みんなで過ごすこの時間自体を大事にしたいという感じに、だんだんになっていきましたね。

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宮前 僕がかかわり始めた2014年は、返却がなかなか進まない時期でした。ある程度の人たちはすでに自分の写真を見つけていて、それ以外の人は、何度来てくれてもなかなか見つからない。諦めの空気が漂っていました。そんな中で「写真を見に来てください」と呼びかけるのは苦しくて。
でも「お茶をしに来ませんか」と言えば、「まあお茶だけなら」とか「ボランティアさんがせっかく来ているから世間話でもしようか」というモードで足を運んでくださる。そしてそういうときに限って写真が見つかったりもする。違う目的で来てみたら、最終的には本来の目的が達成されるというのが不思議でした。

写真が戻ってくるということ


浅田 ファイルに綴じられた何万枚もの写真を1枚ずつめくり、目を凝らして見ていくというのは、気力も体力もいる大変な作業です。その中で自分の親族が写った写真にあたると、ただの紙の写真が見つかったという以上の感動がある。見つけた方が、まるでその人に出会えたといわんばかりに高揚されているのが、こちらにも伝わってくるんです。
今はもうなくなって取り戻せないけれど、そこに確かにあった過去が写真として、てのひらの上にある——そのことのかけがえのなさ。僕自身、写真洗浄ボランティアに携わったことは、写真そのものの持つ力や意味のようなものを見つめ直す大きな機会になりました。

始めた頃は、東日本大震災ほどの規模の災害では、写真を洗浄・返却しようなんていうムードにならないのではないかと思っていました。被災後、まず確保すべきは食事、住居、そして仕事ですよね。生活に直結することのほうが復興には結びつきます。だから写真洗浄・返却ボランティアの優先順位はかなり低いだろうと考えていた。
でも、その後もほとんどの災害被災地で、写真洗浄のボランティアは自発的に立ち上がっているんです。写真は、僕らのように写真を生業にしている者だけでなく、一般の方たちにとっても宝物なんだと気づき、すごくうれしかったですね。

宮前 おっしゃったように、写真が手元に返ってくることには、ただ単に持ち物が戻ってくること以上の意味があるなと、僕も活動を通して感じるようになりました。交番に届けた落とし物が戻ってくるのとは違う何かがきっとある。
浅田さんがモデルになった映画「浅田家!」の中で、写真洗浄のボランティアを見て怒鳴ってきた男性の方がいましたよね。彼は実は娘さんを津波で亡くしていて、まだ写真に向き合える状態ではなかった。でもそのあと、娘さんの遺影にする写真を探したいと、写真に向き合うシーンがあって。結局みんなで探して学校の卒業アルバムを見つけ出すのですが、そのとき彼は「見つけた」とは言わなかった。「いた」と言ったんです。それは写真にしかない、特別な感覚だと思いました。

浅田 ただの紙なんだけどね。僕も野田村での活動中、横で見ていて、写真を見つけた誰もが、その人と出会えたような感触を抱いているのを感じました。だからこそ責任は重大で、ボランティアのみんなも1枚1枚の写真を丁寧に扱っていましたね。回収された写真プリントは、ネガもない、その1枚しか存在しない写真ばかりですから。

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宮前くんは被災地に入って、ボランティアをしながら、人々の話を聞いていくわけだけど、直接本人から話を引き出すのはやっぱり難しい部分もあるでしょう? そばにいて会話をしていれば、かれらが何かを抱えていることはわかるけれど、無神経に質問をするわけにもいかない。色々と葛藤があったんじゃないかな。

宮前 はい、悩んでいたのはまさにその点でした。
研究者としてかれらに起きたことを記録したいと思うけれど、対面でのインタビューは暴力的になる可能性もあり、避けたかった。そこでよかったのが「お茶会」でした。
カップを手に、結婚式が写っている写真を見ながら「ご自身のときはどうだったんですか」などと話しかけることができる。そうした自然な流れの中でポツリポツリと「実は最近こんなことがあってね」とか「津波のあと、ここにこういうふうに逃げて」といった話が出てきて。お茶会のあの雰囲気の中だからこそ、話してもらえたということがたびたびありました。

野田村とバッファロー・クリーク


浅田 そうやって野田村に通ってお茶会で話を聞くうちに、今回の本『そこにすべてがあった』に出会ったんですか?

宮前 この本は災害研究者の間ではそれなりに有名な本なんです。僕が手にとったのは、副題に入れた「集合的トラウマ」という概念が気になったのがきっかけでした。
被災地でお話を伺っていると、かれらの中には言葉にならない、語り得ないことがあるようだと感じていました。それはトラウマと言われるものかもしれませんが、個人の問題で終わらせたくない、もっと複合的に捉え直せないかと思うようになって。そこでこの本で扱われている「集合的トラウマ」とはどんなものなのかを学ぼうと、大学院の同期2人と先輩1人の4人で、勉強会を始めました。

浅田 有名な本だけど、邦訳は出ていなかったんだね。

宮前 出ていませんでした。災害関連の書物は国内にも数多くあり、過去の海外の本をわざわざ、という感じもあったのだと思います。

浅田 しかしこんなボリュームの本、英語で読むだけでもすごい労力だよね。翻訳も大変だったのでは。

宮前 大変でした。もう二度とやりたくありません(笑)。勉強会の開始から数えると、中断期間を含め、約7年が経っています。出版が視野に入ってからも2年以上かかりました。

浅田 すごい熱量だね。これを読みながら野田村に通うと、見え方が変わってきそう。

宮前 翻訳の目処がついた頃にパンデミックになってしまったので、野田村にはあまり通えていないのですが、翻訳する中で野田村のことはすごく思い出しました。というのも、この本の舞台バッファロー・クリークは、どこか野田村を彷彿とさせるまちなんです。

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アメリカというとルート66のように平らな土地がどこまでも続くイメージがあったのですが、ウェスト・ヴァージニア州はアパラチアの急峻な山並みが続く地方です。
錆びついた工業地帯という意味の「ラストベルト」に含まれる地域で、貧困率は全米ワースト4。バッファロー・クリークの住人のメインの人種はスコッツ・アイリッシュといってアメリカのメインとされているアングロサクソン系とは異なる白人で、トランプ支持率が非常に高い。アメリカから見放されているという感覚が強いのではないかと思います。
その一方で、隣人づきあいは非常に濃密で、僕の知る野田村と呼応する部分がありました。

あまりに濃密なコミュニティ

浅田 そこで1972年に洪水が起きた。読んで初めて知ったのですが、すごく大きな被害だったんですね。鉱山ゴミのダムが大雨で決壊し、下流にあったバッファロー・クリークのまちが黒い水の塊に押し流されてしまった。生存者たちがそのときのことを克明に語っているのが印象的です。「これはただの水じゃない」「黒い物体が生き物のようにまちを飲み込んでいった」と。
鉱山会社がボタを適切に処理していれば起きなかった人災とも言えますが、バッファロー・クリーク全体が石炭産業で成り立っていたから複雑だよね。

宮前 はい。当時は住人のほぼ全員が、何らかの形で鉱山会社にかかわっていました。坑夫として鉱山で働いていた人もいれば、鉱山会社が運営する施設に勤める人もいたし、女性は直接鉱山会社には雇用されていなくても家庭で坑夫の身体的ケアをしていたという意味で、鉱山会社と無縁とは言いきれなかった。住民の誰もが会社に養われていたと言えます。おっしゃる通り人災なので、会社を恨む気持ちもある一方で、会社がなければそれまでの生活はできていなかったから気持ちをぶつけにくい面もあり、被災者の心は揺れていました。

浅田 僕の心に最も残っているのが、住民たちが「かつての自分たちのまちはこんなふうだった」「こんな仲間がいた」と話しているところです。
みんな本当に仲がいいというか、まち全体が家族のようだという表現そのままの親密さですよね。隣の家の電気が点くのが遅ければ、何かあると勘づいて見に行くし、誰かが亡くなれば、何も言わなくてもまちの人が来て掃除や洗濯をやってくれる。近所の人の家でコーヒーが飲みたいなと思っていたら言わなくても出てくる。僕の味わったことのないレベルの関係性に驚きます。みんなが鉱山で働いているからというのもあるんでしょうね。

宮前 職場が同じということはもちろん、文化的・宗教的・地形的な要因が重なって、ものすごく強いつながりが形成され、バッファロー・クリーク全体で一つの大きな家族という空気ができあがっていったのだと思います。

浅田 みんな鉱山では命をかけて働いているし、給料もほぼ同じ。いろんな要素が重なって生まれた濃密さがあったからこそ、被災後のトラウマがあるのだと感じました。「集合的トラウマ」という言葉は、最初はピンとこなかったのですが、災害以前のかれらの様子を読んだあとでは、すごく胸に迫ってきて。この本は、災害の前段階というか、みんながどんなふうに暮らしていたかの描写が丁寧ですよね。

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宮前 そうなんです。ここまで被災地のもともとの文化について記述している本は、ほかに知らないほどです。僕自身の反省でもありますが、災害研究者が被災地にかかわるのはあくまで災害が起きたあとであり、それ以前についてはなかなか十分に調査しきれないところがあります。でもこの本では、ページの3分の1以上が、災害発生前のバッファロー・クリークがどんなところで、住民がどう暮らしていたのかに割かれている。それがあるからこそ、災害によって何が奪われたのかが理解できるんですよね。

浅田 中でも心に迫ってきたのが、生存者たちの証言です。失われてしまったかれらの生活が、本人たちの声として率直に語られていて。これは翻訳が大変だったでしょうね。

宮前 本書の翻訳は、2つの意味で大変でした。社会学的な知見を網羅しながら、まるで小説のような要素もあったからです。生の語りをどう訳すかにも悩みました。うまくいっているといいのですが。

浅田 住民たちの生活ぶりが手にとるように伝わってきて、僕は一番好きでしたね。あそこがあったから、被災後の心の傷を感じることができたように思います。

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後編につづく

スクリーンショット2〜4枚目の写真 ©️浅田政志、6・7枚目の写真は1972年当時のバッファロー・クリークの資料写真

宮前 良平(みやまえ・りょうへい)
1991年長野県須坂市生まれ。大阪大学人間科学研究科博士後期課程修了(博士・人間科学)。大阪大学大学院人間科学研究科助教、関西大学・立命館大学非常勤講師。専門は災害心理学、グループ・ダイナミックス。共訳に『そこにすべてがあった——バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』(カイ・T・エリクソン著、夕書房、2021)、著書に『復興のための記憶論——野田村被災写真返却お茶会のエスノグラフィー』(大阪大学出版会、2020)がある。
浅田政志(あさだ・まさし)
1979年、三重県津市生まれ。日本写真映像専門学校卒業後、写真家として独立。専門学校在学中から撮りためた家族写真をまとめた写真集『浅田家』(赤々舎)で、第34回木村伊兵衛写真賞を受賞。国内外で個展を開催し、著書も多数。写真集に『アルバムのチカラ 増補版』(文・藤本智士)『浅田撮影局 まんねん』(青幻舎)『浅田撮影局 せんねん』(赤々舎)など。

協力:本屋B&B

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四六判/上製/384頁
978-4-909179-07-4 C0011
装幀・川名潤
装画・竹田嘉文

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夕書房
茨城県つくば市を本拠地とするひとり出版社。2017年より人文・芸術書を中心に刊行しています。こちらには連載や新刊にまつわるエッセイ、イベントレポートを掲載します。https://www.sekishobo.com/