共産主義は、自由と民主主義を大切にしているのか?

 日本共産党の吉良よし子氏が、ABEMA Primeで以下のように述べました。

その意味で私たちは共産主義を理想の社会として掲げているのであって、決してソ連や中国を目指すということではない。私たちが目指している共産主義は、資本主義で利益ばかりを追求することによって出てきた問題を、人類の叡智を結集して乗り越える社会だ。そして共産主義の社会というのは、自由と民主主義を何よりも大切にする社会だ。

(下のリンクより引用)

 確かに、共産主義においても「自由」や「民主主義」という単語はよく使われてきています。しかし、それは世間一般で言う「自由」や「民主主義」と同じ物なのでしょうか?

 何度も書いてきたことですが、共産主義で言う「民主主義」とは、プロレタリアートによる独裁です。プロレタリアート独裁は、マルクスが「ゴータ綱領批判」で提唱し、レーニンもこの考えを引き継ぎました。ソ連や中国を代表とする、マルクス=レーニン主義系の共産主義国家が独裁体制なのはこのためです。そして、共産主義において、日本や欧米のような自由民主主義は、「ブルジョワ独裁」と考えられています。

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 また、初期のソ連では、コロンタイなどが自由恋愛を提唱しましたが、一方で、従来の結婚の在り方や家庭などを、封建的、あるいはブルジョワ的であると批判しました(袴田、1989年)。吉良氏は、「選択的夫婦別姓や同性婚すら認めない、つまり自由に生きる権利すら認めていないということは、自由を壊しているのではないか?」(一番上のリンクより引用)と主張しています。

 しかし、ソ連で「自由恋愛」が主張されていた一方、これまでのやり方が共産主義の考え方に合わないと批判されてきた事例も存在します。ソ連の1943年版、1977年版の国歌の中には、「свобода 自由」「свободный 自由な」(ただし、格変化のため語尾が異なるものも)という単語が出てきています(下のリンク参照)が、ソ連が実際にどのような国だったかは、皆さんご存知のとおりです。

 共産主義においては、「自由」や「民主主義」に対する考え方が、日本社会における世間一般の考え方とは根本的に異なるのです。

 吉良氏は、同じ番組内で「本当に自民党の政治は自由なのか、民主主義なのか」(一番上のリンクより引用)と主張していますが、こうした意見の背景には、上記のような背景も考えられるのではないでしょうか?

参考文献

ユ・ア・クラシン「レーニンと現代革命」勁草書房、1985

マルクス、エンゲルス「共産党宣言 共産主義の原理」(大月書店, 1972)

袴田茂樹「性文化」川端香男里・他編『ロシア・ソ連を知る事典』(平凡社、1989年) p.312

若林悠・著、桑野隆・監修「風刺画とアネクドートが描いたロシア革命」現代書館、2018