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人は伝統を否定して生きていけるのか?

近年、SNSでも「伝統にこだわるなんて!」という旨の意見をよく目にします。しかし、人が伝統を完全に否定して生きていくことはできるのでしょうか?

答えは否でしょう。意識せずとも日常の中に伝統が強く根付いているからです。

例えば名前ですが、「日常的な伝統」の代表と言って良いでしょう。キリスト教圏では主にキリスト教の聖人から名前が選ばれます。苗字にしても、父系社会では子供は父の苗字を受け継ぎますし、苗字がなくても父の名前を苗字代わりに受け継ぐ民族もいます。ロシア人などのように、「〇〇の息子/娘」を表す「父称」を名前と苗字の間に入れる民族もいます。同じ父系社会でも、漢族や朝鮮系の人の間では、伝統的には女性は結婚した後も父の苗字のままです。性別により、使われる名前が異なるという現象も、世界的に見られます。

史上初の共産主義国となったソビエト連邦では、それまでの伝統を否定する試みが行われました。しかし、そんなソ連でも伝統的な名前の付け方を完全に否定することはできませんでした。ソビエト連邦では基本的に宗教は御法度でしたが、それでもキリスト教的な名前をつけていた人がほとんどでしたし、父称も残りました。「伝統を否定してやる」と意気込んでいても、結局のところこれまでの伝統を否定したらどのように名前を付ければ良いのか分からなくなってしまったのではないでしょうか?

伝統を否定するのであれば、既存の方法に対して新しいやり方を考えなくてはなりません。それができないのであれば、多少不満があれど甘受せざるを得ないのではないでしょうか?勿論、長い時間をかけて議論を重ね、多くの人が納得するような方法を編み出すことができるのであれば、別ですけどね。