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今更マルクスに学べることはあるのか?

みなさん、こんにちは。

 最近、なぜだか巷で「マルクスに学ぼう」という意見をしばしば聞くようになりました。

 マルクスの思想を元に作られた旧共産主義(社会主義)国にいた私からすると、ソ連は崩壊したし、独裁国ばっかりだし、正直なところ今更マルクスかい、どちらかと言うと共産主義国の失敗からの方が学べることが多いんじゃないか、という感想しかありません。日本では、ソ連と同じく独裁体制を築き恐怖政治を行ったナチスのような愚行を繰り返してはいけないという意見はよく聞きますが、ソ連のこととなるとそこまで耳にしません。

 マルクス関連の書籍もよく売れているようです。特に斎藤幸平という人物の『人新世の「資本論」』という本は、30万部も売れたようです。

 マルクスの思想について、例えばこちらのインタビュー記事で斎藤氏は、

「斎藤幸平×藤原辰史  コモンの自治管理」
『中央公論』2021年3月号より抜粋、yahooニュース


「晩期マルクスのコミュニズムは、富を国営化する社会主義とは異なる、コモンの再生だというのが、近著『人新世の「資本論」』で展開した私の解釈です。ここでいうコモンとは、水や森林、文化、知識といった根源的な富のことで、これらは国家や企業の所有物にせず、市民が自治管理するべきであるとマルクスは考えていました。あらゆる富を企業が商品化する米国型新自由主義に抗い、しかしソ連型社会主義のように国有化するのでもない第三の道をマルクスは思い描いていたのです。私は商品化が行き過ぎた現代社会に、この思想を使ってコモンの領域を取り戻そうと訴えています。」
と主張しています。
 
 果たして、彼の主張はどこまで正しいのでしょうか?

 最初に、斎藤幸平氏が使用する言葉の定義について分析してみます。
 斎藤幸平氏が主張する「コミュニズム」ですが、実は英語にも発音がほぼ同じ単語があります。英語で表記すると”communism”です。ちなみに、ロシア語では «коммунизм»と書きますが、英語とほとんど同じ発音です。これを日本語に訳すと「共産主義」になります。ロシア語まで表記した理由がお分かりいただけたでしょうか?そう、「コミュニズム」とは一般的には、世界初の社会主義国家ソ連が掲げていたイデオロギー「共産主義」のことを指すのです。ただし、社会主義や共産主義は基本的には同一視されることも多いですが、上の記事を読む限り斎藤幸平氏は、社会主義と共産主義を完全に同一視していないようにも読めます。
 次に「コモン」についてですが、斎藤氏は社会で共有するもののことだと言っています。これも英語にもなっていますが、やはり共有する物という意味合いがあります。
 ちなみに、斎藤幸平氏はTwitterのプロフィール(ユーザー名をクリックすると表示されます。)

で「Marxist(マルキシスト)」、つまり「マルクス主義者」を名乗っています。普通に考えると彼はマルクス主義者で、断言はしていませんが、従って共産主義者であると読むことができます。上の主張と照らし合わせると、共産主義者であって社会主義者ではないと考えているかもしれません。斎藤氏の著書や記事を読む限りは、主に物の管理の方法に焦点を当てながらマルクスの晩年の主張の論理を展開しているのではないかと私は解釈しました。

 いよいよ内容の分析に入ります。

 まずは、「マルクスのコミュニズム」がソ連の方針と異なるかどうかについて分析します。
 ソ連には「共同住宅」が存在し、特に建国初期においてはソビエト政権は「協同組合」を重視していました。どちらも社会で物を共同管理するという斎藤幸平氏が主張する「マルクスのコミュニズム」における「コモン」の考え方とも近いのではないかと思われます。協同組合に関しては、斎藤氏も肯定的な見解を示しています。


 ロシアにおける協同組合は、西欧の影響下で19世紀後半に発生し、第一次世界大戦の時に急増します。10月革命後にソビエト政権が消費協同組合を導入して戦時共産主義下で国営化しますが、ネップ移行時に原則的に自発性の物へと変わります。レーニンは、協同組合を高く評価し、社会主義を「文明的な協同組合の制度」と定義しました。
 そして実は、存在していた期間の大部分で完全に市場経済を否定していなかったソ連も、建国当初は前述のように「戦時共産主義」を行い、市場経済をしないようにしていました。しかし、食料不足に陥り上手くいかなかったので市場経済を一部認めることになったのです。
 ソ連などの社会主義国の方針とマルクスの思想が全く同じとは言いません。歴史上マルクスの解釈は度々繰り返されてきましたし、正確に「これが本当のマルクスの解釈だ!」と断言するのは難しいでしょう。しかし、「マルクスのコミュニズム」にも通じる価値観を元にソ連が国家運営を行っていたことは否定できません。それどころか、レーニンは社会主義国の定義について語る際に、協同組合について言及しています。
 
 次に、斎藤幸平が言う「第三の道」の謎について分析しようと思います。彼が主張する「コミュニズム」は、たとえ本人が資本主義でもソ連の社会主義でもないやり方であると主張しようと、言葉の原義上どう考えても日本で一般的に言われている共産主義や社会主義と無関係とは思えません。
 この謎を紐解くヒントになるのが、私は旧社会主義国のユーゴスラビアだと思っています。というのは、資本主義でもソ連のような社会主義のやり方とも違うやり方を、という考え方は、ユーゴスラビアが掲げてきた方針でもあるからです。
 ユーゴスラビアは社会主義国でありながら、ソ連には与しないと独自の制度を掲げていました。それが「労働者自主管理制度」です。これは、当事者が社会制度などを自主的、主体的に対処し解決しようとする試みの中で発展した理念が、マルクス主義と結びついてできた仕組みです。
 斎藤氏の言う「マルクスのコミュニズム」と労働者自主管理制度がどれだけ同じ物であるか正確には判断しかねます(ただし、詳細は割愛しますが、ソ連の仕組み以上に「マルクスのコミュニズム」と類似点は多いように見受けられます)。しかし、ロジックによっては、実質的に共産主義・社会主義を採用している国、人物がソ連を批判しつつもマルクスの方針を支持し、資本主義でもソ連などの社会主義とも違う「道」を歩む、と主張することは可能なのです。資本主義とも異なる、ソ連の社会主義とも違う、だから社会主義や共産主義ではないとは断定することはできません。実際に、「第三の道」を提唱する斎藤氏は、通常は共産主義者を指すマルキシストを自称しています。

 その他に私が斎藤氏の主張で一番気になっているのが、マルクスがエンゲルスとの共著の「共産党宣言」で、共産主義者の目的が「既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成」(参考文献の「共産党宣言 共産主義の原理」より引用。訳により多少表現は異なります。)されると表明していたり、資本主義体制から共産主義体制に移行する際には労働者階級であるプロレタリアによる独裁が必要だと述べていたりしている点について、私が調べた限りでは言及がないことです。斎藤氏は、外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(39)斎藤幸平さんに聞くコロナと「人新世の『資本論』」: J-CAST ニュース【全文表示】の中で晩年のマルクスの著した「ゴータ綱領批判」について言及しているのですが、実は「ゴータ綱領批判」の中で前述のプロレタリア独裁についてもマルクスは説明しているのです。

*参考プロレタリアート独裁とは - コトバンク

「ゴータ綱領批判」を読んだことがあり、なおかつそれがマルクスの晩年の物であると認めているならば、マルクスが晩年にプロレタリア独裁について考えていたと知っているはずです。斎藤氏は、マルクスが晩年に考えついた「コミュニズム」におけるプロレタリア独裁についてどのように考えているのでしょうか?
 ちなみに、プロレタリア独裁についてですが、後にプロレタリア独裁の思想は、多くの共産主義・社会主義国が掲げたマルクス=レーニン主義にも受け継がれます
 共産主義者は、時にプロレタリア独裁を「プロレタリア民主主義(デモクラシー)」と言い換えます。独裁なのに「民主主義」とはどのようなロジックなのでしょう?彼らは、ブルジョワによる民主主義は独裁だが、プロレタリアが行うのであれば民主的だと考えているのです。
 共産主義者の言う「民主主義」は基本的に、日本や北米、西欧の民主主義国のそれとは定義が異なるのです。確かに、「民主主義」という言葉が入っているのに共産主義・社会主義系の独裁国も存在します。そうでなくても共産主義・社会主義国は基本的に独裁国家ですが、こうした理由が背景にあるのです。

 マルクスに学べることは全くないわけではないでしょう。例えば、これまで述べてきたようにマルクスの思想を元に作られた国はことごとく現代日本社会と価値観が相容れない国であるということがあります。独裁や暴力による革命を認めるといったマルクスの思想に基づいているからです。ヨーロッパには共産党が禁止されている国も少なくありません。ナチスと同じような扱いです。無理もありません。
 映画「夜明けの祈り」や「カチンの森」「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」を見るとその理由がお分かりいただけるでしょう。私もこの辺りのことについて、かつて記事を書いています。

 チベット問題やウイグル問題を語る際にも、共産主義のイデオロギーの話は外せません。
 マルクスについて学ぶのは良いですが、平等を謳っている部分だけでなく、プロレタリア独裁や暴力革命を肯定している部分や共産主義国の暗い歴史についても同時に学ぶ必要があると思います。
 最後に、皆さんにソビエト連邦の最後の書記長ゴルバチョフ氏が「世界でもっとも社会主義を成功させたのは日本」だと述べているということをお伝えしましょう。
 「青い鳥」の童話とも共通しますが、幸せは案外すぐ近くにあるのかもしれません。人類の平等を願ってマルクスの思想に憧れを抱く人は、マルクスの思想を参考にして共産主義革命を起こし日本を共産主義国家にする必要が本当にあるのか、よーく考えてみてくださいね。

参考文献(本文中のリンクについては省略しました。)

伊東孝之 他監修「東欧を知る事典」(平凡社, 1993)
川端香男里 他監修「ロシア・ソ連を知る事典」(平凡社, 1989)
神野正史「世界史劇場 ロシア革命の激震」(ベレ出版, 2014)
全国歴史教育研究協議会 編「改訂版 世界史B用語集」(山川出版社, 2012)
マルクス、エンゲルス「共産党宣言 共産主義の原理」(大月書店, 1972)