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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#15 八日目(1) 2021年3月27(土)

安乗埼灯台撮影3

安乗漁港散策

<2021.3/27(土)晴れ、午後から雲が多い 照ったり陰ったり 6:30起床 8:00出発 8:30 安乗埼灯台>。

近鉄志摩線、鵜方駅前のビジネスホテルで、二回目の朝を迎えたが、詳細なメモ書きを放棄しているので、昨晩から、この時まで、いったい何をしていたのか、何があったのか、ほとんど思い出せない。ということはつまり、書き記しておくようなことは、何もなかったということだ。だが、今にして思えば、朝、何を食べたかくらいはメモしておくべきだった。その日のはじまりを思い出す、ヒントくらいにはなったかもしれない。

さてと、撮影画像を見直すと、この日の一枚目の写真は、浜辺からすぐの海中にあった、波消しブロックの隊列だ。弓なりのきれい浜だったので、不自然な感じがして、気になったようだ。そうそう、駐車したのは、海沿いの道で、初日にも駐車した、道路沿いの駐車スペースだ。海がきらきら光っていた。それから、これから登りあがる、左手の岬を眺めた。岬の斜面には、おもちゃのような民家が点在していた。

細い坂道を、うねうね登って行った。行き止まりは松林の中で、細長い駐車場に着いた。これで三回目だ。たしか、カメラを二台、それぞれ首掛け、肩掛けして、レストランの裏手に回った。柵を乗り越え、斜面に斜めに立って、午前の明かりの安乗埼灯台を撮った。灯台に日が当たってなくて、イマイチな感じだ。と、遠慮がちな、心配するような感じの声が聞こえた。<おちないように気をつけなよ>。

カメラから目を放して、声の方を向くと、乳母車を引いた、小柄な、腰の曲がった老婆だった。柵を乗り越えていることを、やんわり諌められた、と思ったので、すぐに柵から出た。そのあと、柵沿いの小道を歩きながら、老婆と少し世間話をした。毎朝の散歩だという。海難碑の前に来ると、老婆は立ち止り、その前を素通りしていく観光客たちを、やや激しい調子で揶揄した。いつも思っていたことなのだろう。

海難碑について尋ねると、謂れなどを、いろいろ教えてくれた。かなりの物知りで、耳もさほど遠くない。ただ、碑を無視する観光客たちへの怒りはおさまらず、これ以上話し相手になっていても時間の無駄だ。灯台の前を通り過ぎ、東屋へ向かうところで、老婆に別れ告げた。

東屋には寄らないで、というのは、老婆がしつこく話しかけてきそうだったからだが、さらに奥の松林の中へ入った。木漏れ日の中、崩れかけた建物があり、門の前に、これは何だろう?<灯台の目>が、鉄枠にがっちりと保護され、ランタンのような形になって、台座の上に立っていた。

建物は、<旧灯台資料館>らしい。新しい資料館は芝生広場側にあり、その裏手に、ひっそり残されたままになっている。<灯台の目>は、案内板によれば<・・・300ミリ灯ろうと300ミリレンズを組み合わせたもので、防波堤灯台や鎧埼、石鏡(いじか)灯台等、岬にある小型灯台に使われているもの・・・>。とある。

あの時は、案内板を写真に撮っただけで、よく読まなかったわけで、てっきり、安乗埼灯台の、交換されたレンズだと思った。ま、それにしても、少し錆がきている、このオブジェの風格に恐れ入って、何枚も写真を撮った。ほぼ打ち捨てられた物なのに、存在感が半端ない。

そのあとは、今来た道を戻る形で、撮り歩きしながら、レストランの裏手に戻った。その際、芝生広場をチラッと見回した。例の老場の姿はどこにも見えなかった。そして再度、性懲りもなく、柵を乗り越え、斜面に斜めに立って、安乗埼灯台のベストショットを狙った。陽が高くなり、明かりが少し回ってきていた。先ほどに比べて、灯台の左側が明るい。四角柱に陰影がついている。海と空、岬と灯台、それと、右端に伐採を免れたひょろっとした松を一本だけ入れて、慎重にシャッターを押した。

これで、安乗埼灯台の撮影は終わった、と思った。引き上げ際に、レストランに付帯しているトイレに寄った。おしゃれできれいなトイレだった。だが、自分には、ちょっと場違いな感じがした。それは、レストランも同様で、せっかくなのだから、記念に<芋スイーツ>を食べてもよかったのだが、若い家族づれや女性が好みそうな、こじゃれた雰囲気の中で物を食するのは、今の自分には似つかわしくないと思った。

車に戻った。ナビの地図画面に、行き先の<安乗漁港>を指先でポイントした。<安乗漁港>には、赤と白の防波堤灯台があり、下調べの段階でも寄ることにしていた。もっとも、昨日も行こうとしたが、なぜか、ナビが道を間違え、行きつけなかった。今日は時間もあるし、必ず行き着くつもりでいた。

岬の狭い坂をゆるゆる下り始めた。天気がいいのと、この日が土曜だったので(これは今気づいたことだが)、登ってくる観光客の車が意外に多い。そもそもが、すれ違いの難しい狭い坂道だ。何回か、止まったり、端に寄せたりして、対向車をかわしていると、眼の先に、例の乳母車の老婆が見えた。狭い坂道の端で、ややあぶなげだ。

助手席の窓を開け、サングラスを取って、老婆に<元気でな>と声をかけた。老婆は、一瞬、驚いたような顔でこちらを見たが、すぐに声の主が、先ほど広場で立ち話をした男だと気づいて、窓の方へ寄ってきた。そして<あんたもな>と応じた。愛想のない、少しケンのある声だった。年寄り扱いされたことに、少しイラっとしたのかもしれない。あの婆さんなら、ありそうなことだ。

旅中に、自分としては珍しく、人間に話しかけたわけで、おそらくは、かなり気分がよかったのだろう。いい天気だったからな。それに、いくぶんかは、狭い坂道を、車の往来を気にしながら、乳母車に縋って歩く老婆への、いたわりの気持ちがあったのかもしれない。いや、まてよ、優越感だったのかもしれない。

そのあとは、運転に集中した。ナビの細かい指示に忠実に従い、脇道に入り込み、狭い坂を下って、漁港らしきところに出た。だが、赤い防波堤灯台はどこにも見えない。複雑な地形で、入り江がいくつも重なっている。係船岸壁に沿って細い道が曲がりくねっていて、道路際には民宿や民家が軒を連ねている。長閑かな漁港の光景と言えないこともない。だが、人の姿が全くない。このままで行きつけるのか、多少不安になった。そして、無情にも、なぜか、ナビの案内が終了してしまった。

とはいえ、ここは行くしかないでしょう。速度を落とし、身を乗り出すように前方を見ながら走った。行き止まり、ということもありうるな。最悪の場合は、狭い道をバックで戻ってくるしかない。思っただけで緊張した。だが、幸いにも、彼方先に、赤い防波堤灯台がちらっと見えた。道もまだ続いている。そして、道の切れたところが終点で、比較的広い係船岸壁になっていた。車が何台も止まっていて、なるほど、釣り場になっている。やっと着いたわけだ。

適当なところに車を止めて、外に出た。両腕を天に突き上げて、少し伸びをしたのかもしれない。そしてすぐに、散歩がてら、カメラ一台を肩掛けして、撮り歩きを始めた。少し離れた、向かって左手の防波堤の先には赤い灯台、右手のすぐそばには白い灯台があった。セオリー通りで、これは外海から入り江に入ってくる船舶から見れば、右舷が赤、左舷が白、ということになる。いずれにしても、昼は紅と白との色で、夜は赤と緑との点滅光源で、必ず、お出迎えしてくれるペアの防波堤灯台だ。

しかしながら、両者ともに、形がいまひとつだった。むろん、布置の関係もある。絶対にものにするという覚悟があれば、異なったベターな、ないしはベストな位置取りを探しただろう。だが、この時は、その気になれなかった。いや、防波堤灯台の造形に関しては、最近は、やや淡白になっている。写真的な主題が、いわば<防波堤灯台のある風景>に横滑りしているのだ。とはいえ、やはり主役の灯台の姿形は気になるものだ。

ちなみに、赤い灯台は<安乗港沖防波堤東灯台>という名前で、海中に設置された<消波提>の先端にある。形は、ここから見る限り、吉田拓郎の<赤燈台>という曲で歌われている<胴長ふとっちょ>型だ。一方、白い灯台は<安乗港弁天防波堤灯台>という名前で、係船岸壁の先端にある。鉄骨やぐら型で、言ってみれば<火の見櫓>のような形をしていて、灯台らしくない。それと、なぜか、係船岸壁の灯台の根本には、必ず釣り人がいる。この時もそうだった。

風もなく、穏やかで、いい天気だった。しかし、カメラを持って歩いている以上、どんな灯台にしろ、どんな風景にしろ、撮らないわけにはいかないだろう。なにしろ、そのためにわざわざ、自宅から500キロ以上離れたところに来ているのだ。

さてと、赤と白の灯台を、ひとつ画面に入れると、あまりに普通すぎて、写真にならない。かといって、個別に撮ってみても、背景が、やはり何気なさすぎる。海があり、彼方に黒々した岬が見えるだけだ。そのうえ、灯台の造形そのものに、さほどの魅力を感じていないのだから、手の打ちようがない。とはいえ、いつもの習慣で、可能な限りは、灯台に近づいた。しかし、この時は、距離的に近づけば近づくほど、灯台は、というか、灯台の垂直感からは遠ざかってしまった。まったく写真にならん!

あっさり、写真はあきらめた。あとは、ぶらっと散歩だな。岸壁を歩きだした。すると、変な物たちが目に入ってきた。打ち捨てられた錆びた錨とか、ぶっとい友綱とか、漁船の舳先にあるレーダーのような機械とか、さらには、対岸のがらんとした倉庫や水揚げ場などだ。面白半分、興の向くまま、また写真を撮った。撮ったところで、意味のないことは百も承知していた。<不在>を撮ることは、俺の腕では無理なのだ。だが、なにしろ、いい天気だった。気分がよかったのだろう。記念写真だよ。

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