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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#10 六日目(1) 2021年3月25(木)

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大王埼灯台撮影1

紀伊半島の旅も、折り返しに入り、半島の先端部から、反時計回りに東側の海沿いを200キロほど北上して、三重県伊勢志摩地方に入った。

<2021年3月25日 木曜日 朝から雨 夕方にやむ 6時半起床 7:30分出発 小雨 (国道を)那智勝浦 新宮 熊野と走って 尾鷲から高速 といっても 途中(で) ほぼ高速っぽい 有料道路を乗り継ぐ 今日はなぜか¥300取られなかった 平日だから係員をおかないのか?途中で何度も休憩 紀北PAではおみやげを買う 那智の黒あめ ¥1000 (高速道路を)伊勢西で降りてからが長かった 疲労を感じる とくに峠越えが疲れた そのあと なかなか大王埼灯台に着かない 着いたのは 12:00時 ほぼ4時間30分!>。

和歌山県の串本駅近くのビジネスホテルには三泊した。このホテルの駐車場は、二か所あり、一か所は、ホテルの向かい側、住居を壊した後の更地だ。五、六台は止められるだろう。もう一か所は、歩いてすぐの、駅前ロータリーに隣接している、ちゃんとした?駐車場だ。十五、六台は止められるだろう。

できれば、車はホテルに近い、向かい側に止めたい。誰しもがそう思っているから、潮岬灯台の夕景を撮った日は、二日とも帰りが遅くなったので、駐車場はすでいっぱいだった。で、駅前ロータリーの方に止めた。ま、たいした距離ではないので、ぼやくほどのことでもないが。

もっとも、昨日は、夕方の五時前にホテルに着到したから、近い方の駐車場に止められた。二列縦列の駐車場だから、奥に入れては、朝出られないこともある。ので、すぐに出られるようにと、手前にとめた。当然、後ろが空いているわけで、変な止め方だ。あとから来た人が、自分の車が邪魔になって、駐車しにくいのが、車から降りた時、まざまざとわかった。ちょっと考えたものの、シカとした。不都合があれは、部屋に連絡してくるだろう。初日の日に、車のナンバーは教えたのだ。

そのあと、その日の夜の、向かい側の駐車場の状態が、どうなっているのか、<あっしには かかわりないことで ござんす>。まったく、気にもしなかった。朝になった。昨晩受付に居た、老年女性の、ビジネスライクな<ありがとうございました>の声を背にうけ、ホテルを出た。はす向かいの駐車場を見た。止まっているのは、自分の車だけだった。いや、あと、一、二台、止まっていたかもしれないが、とにかく駐車場はスカスカだった。些細なことに、気を回した自分がアホに思えた。

さてと、出発だ。小雨だったとメモ書きにはあるが、まったく覚えていない。記憶が蘇ってくるのは、高速道路の乗り口を間違えないようにと、熊野の市街地を過ぎたあたりからだ。あの時は、雨はやんでいたように思う。そして、無事に高速に乗ってからは、運転も楽になり、一息つけた感じだった。

小一時間、走ったのだろうか、伊勢西で高速を降りた。このまま一般道を南下すれば、目的地の大王埼灯台だ。途中、伊勢神宮の横を通った。道沿いには、<赤福>の立派な店舗が見えた。寄ってみたい気もしたが、寄るとしても、帰りだな。帰りもこの道を通るわけだしと思った。ちなみに、帰りは帰りで、三重県から一気に帰宅すること、高速を500キロ走破することで、頭がいっぱいで、伊勢神宮も赤福も素通りしてしまった。

<赤福>を通り過ぎて、先が見えたと思ったとたん、気が緩んだのか、このあとの峠越えがきつかった。道が狭いうえに急カーブだ。それに、旅疲れ、運転疲れも重なっていたのだろう。かなりの緊張を強いられた。とはいえ、時間的には、そう長くはなかった。じきに、下りになり、視界が開けてきた。両脇に民家が立ち並んでいる。どこかで見たような光景だ。下調べで、グーグルマップで見た坂道だった。

さらに行くと小さな漁港が見えてきた。突き当りを右に曲がると、灯台に一番近い有料駐車場がある。ガラガラだ。料金所はなく、カネはどこで払うのかと思っていると、正面の小屋から<爺さんが顔を出す 愛想がいい>。駐車料金300円を払って、灯台撮影に出発。曇りだったが、条件反射的に、重いカメラバックを背負った。前を見た。少し上り坂になっている。車が通れる道で、両脇には、土産物屋や旅館などが立ち並んでいた。

だが道は、すぐに高い防潮堤にぶつかって行き止まり。たしか、休憩用の小さな東屋があった。右手は、防潮堤沿いに海が広がっている。左手は、片側に<真珠屋がならぶ>急な小道で、少し上ると、右側に、細い分かれ道があり、展望スペースに続いていた。ここが、大王埼灯台の、おそらくはベストポイントだ。ネットにあがっている写真は、ほとんどが、ここから、岬に立っている灯台を横から撮ったものだ。

展望スペースは、正式には<八幡さん公園>という名称だ。東屋があり、比較的きれいなトイレあり、しっかりした柵で囲われている。ベンチもあり、断崖に立つ、大王埼灯台が見える。あと、なぜか<絵描きの銅像>が、狭い公園の真ん中に設置されている。あとで知ったことだが、大王町は、昔から絵描きの町として有名だったらしい。なにしろ、ここからの景色は、絶景と言って間違いない。

おもくるしい、憂鬱な曇り空だった。だが、明日からは晴れの予報が出ている。だから今日は下見だ。柵沿いに撮り歩きながら、岬に立つ灯台のベストポジションを探していた。と、おそらくは父親と息子だろう、高校生っぽい息子が、ドローンを飛ばしている。そのうち、ぽつぽつ、雨粒が落ちてきたような気もする。

下見を終えて、東屋のベンチに置いた、カメラバックを取りに行くと、ドローン父子もそこにいた。なんとなく、目が合って、会釈しあうことになってしまった。そのあと、二、三言、世間話をした。父親が言うには、この場所は、ドローン撮影ができることを市役所で確認済みだという。なるほど、写真を撮っていた人間に対しての、配慮というか、言い訳だな。

普通?の観光客にとって、景観の前で、三脚を立てて写真を撮っている輩は、目障りだろう。一方、写真を撮っている者にとっては、頭の上でドローンが飛び回っているのは、目障りであると同時に、身の危険を感じる。ドローン父子は、その辺の事をわきまえていたのだろう。以前の話だが、知多半島の先端で写真を撮っていた時、狭い展望スペースの真上で、これ見よがしにドローンを飛ばしていた、生意気そうな、若造の歯科医とは、おお違いだと思った。

<八幡さん公園>をあとにして、急な小道をさらに登ると、<灯台がある (敷地)入口の手前が(ちょっとした広場になっていて)開けている こぎれいなトイレなどもある 引きがなく まわりに建物もあり 写真にならない (これは)織り込み済みだ 灯台の敷地には入らない そのまま 急な階段を下りる>。

ここで少し、灯台へと至る急な小道について書き足しておこう。海側は断崖絶壁なので、小道をはさんで、陸側?だけに建物が並んでいる。ほとんどが真珠の土産物屋だ。だが、八割がたシャッターが閉まっていて、開いているお店も、昭和の匂いがする。ま、ほぼ崩れかかっているといってもいい。それでも一、二軒は、きれいに改築している店もあった。高級な真珠を販売しているようで、店の体裁を整える必要があったのだろう。

団体旅行が盛んだった、おそらく昭和四十年以降、ここにも、観光バスで、多くの観光客が訪れたのだろう。なにしろ、伊勢志摩というのは、日本人なら誰もが知る観光地で、とくに、英虞湾の養殖真珠と海女は有名だった。灯台などはどうでもよくて、女性たちは、旅先の開放感からか、お土産に、高価な真珠のブローチやネックスレスを買い求めていったのだろう。狭い小道に、人々の陽気な笑い声があふれかえる。真珠も飛ぶように売れたにちがいない。それも、今は昔。痕跡だけを残して、時代は21世紀になってしまった。

たとえば、自分が女性だったなら、安物の真珠のイヤリングくらいは、お土産に買ったかもしれない。いいや、今思えば、男、女に関係なく、記念に、きれいな真珠の一玉くらい、買ってもよかった筈だ。身に沁み込んだ、ケチくさい、貧乏人根性が、いまだに抜けていない。ま、それでいいのだ。真珠のタイピンをして出かける場所など、思い浮かばない。

話を進めよう。大王埼灯台の、敷地の門柱の前に立ち止まって、塀の間から灯台を見上げた。空が、たしか、鉛色だった。そのあと、広場のこぎれいなトイレに入った。観光地では、尿意など感じなくても、ほぼ条件反射的に、公衆トイレに入ってしまう。人間も<マーキング>をするわけで、ワンちゃんとの違いは、電柱とか、塀とか、植え込みとかをクンクンして、片足をあげたりしないことだ。

灯台を背にして、急な階段を降り始めた。ほぼ一直線で、かなりの長いぞ。下りは楽だが、上りは大変だなと思った。要するに、灯台の立っている岬を断崖沿いに下っているのだ。もっとも、海側には、高い防潮堤があり、安全は確保されている。誇張なく、ここからの景色は絶景だ。だが、この日は曇り空で、そうした感動はなく、階段を踏み外さないように、一段一段、ゆっくり下りた。

階段を下りきったあたりに、崩れかけた旅館が防潮堤沿いの道に建っている。その奥は平地になっていて、民家が見える。平場になった防潮堤には、一か所、階段がついていて浜に下りられる。いわゆる砂利浜で、えらく歩きづらかった。見上げると、おなじみの構図だ。手前は、少し弧を描いた浜で、右手からは岬が突き出して来る。断崖絶壁の岬に灯台の白い胴体が見え、左手は海、水平線が見えた。

今日はあくまでも下見だ。砂利浜からのベストポジションを、軽く確かめただけで、長居はせず、防潮堤沿いの道に戻った。さてと、回りを見回すと、小さな東屋があり、さらに行くと、道沿い左手に、ほとんど廃屋に近い二階建てがある。朽ち果てた看板には<旅館>の文字が読み取れる。その横には、りっぱな石の鳥居があった。

防潮堤沿いの道は、ここで行き止まり。振り返ると、岬の上に灯台が見える。かなり小さい。だが、まあ、ここも、撮影ポイントだろう。改めて、今歩いてきた道を眼で追った。断崖沿いの急な階段が、かなり長い。戻るには、あれを登るしかない。うんざりだ。できれば、登りたくない。一方、鳥居の中にも、いきなりの急な石段だ。上に神社があるのだろう。行くも戻るも、急な階段、か。瞬時に判断した。断崖の階段よりは、鳥居の階段の方が短い。

鳥居をくぐった。上を見上げた。大した段数じゃない。登り始めた。半分くらいで息が切れた。思いのほか傾斜がきつい。重いカメラバックを背負っているんだ。一息入れた。少しハアハアしている。気持ちを取り直し、さらにゆっくり階段を上った。

展望はない。だが、登りきったところには、なんというか、静寂が支配していた。人の姿は見えないが、人間の気配を感じた。左側に社務所があり、突き当りが、塀に囲まれた立派な神社だった。境内には入らず、塀に沿って、右へ行く。ちらっと見て、左は行き止まりだと判断したのだ。比較的広い、踏み固められた土の道だった。椿の花が、どっさり落ちていた。

うっそうとした林の中を少し行くと、右手に鉄の門があった。なんでこんなところにと思って、歩み寄ると、門の向こうには、多少起伏のある緑の平地が広がっていた。ぽつんと、白壁の、なにかの施設のような建物が立っている。<大王埼無線方位信号所>と門柱にあった。鉄門の格子の間にカメラのレンズを入れ、中の風景を一枚だけ撮った。

土の道に戻り、さらに進むと、いきなり視界が開ける。ちょっとした広場公園になっている。入口脇に、お決まりかのように、外からでも臭ってきそうな公衆便所があり、広場の中には朽ち果てた木のベンチが間隔を置いて、幾つかあった。断崖際には柵があり、眼下に、不自然ほど海の中にせり出した防波堤が見えた。がっちりと波消しブロックに守られている。いやむしろ、覆われているといってもいいが、その先端に灯台が立っていた。曇り空で、写真を撮ってもしょうがない。わかってはいたが、カメラバックを下ろして、カメラを向けた。海という大自然の中では、人間の作った膨大な工作物も、やけにちっぽけに感じられるものだ。

柵際で、この光景を、しつこく撮っていると、うしろで声がした。振り向くと、家族連れの観光客だった。中学生の男の子と中年の夫婦だったと思う。たしか、自分とは少し離れた柵際まで来て、そのあとは、海をちらっと見て、なにか話しながら、行ってしまった。また、静寂が戻った。柵際を左手に少し移動して、今度は眼下の漁港を眺めた。係船岸壁に灯台が立っていたので、何枚か写真に撮った。距離があるので、望遠でも撮った。ファインダーの中で人間がうごめいている。まさに、神の目で下界の人間を見ている感じだった。

ここでも、さほどの長居はせず、広場公園を立ち去ろうとした。と、林の中から、声が聞こえてきて、先ほどの家族連れが現れた。意外だった。というのも、てっきり引き返したものと思っていたからだ。来た道を戻るつもりだったが、気が変わった。汚い公衆便所で用を足して、家族連れが現れた方へ歩き出した。見通しのない、薄暗い岬の下り坂だった。

頭の中で、この周辺の地形を思い出そうとした。つまりはこうだ。大王埼灯台の立っている岬に、まず登って、そのあと、海沿いに移動して、神社の立っている隣の岬に登ったわけだ。そして、おそらくは、このまま下っていけば、漁港に出るはずだ。有料駐車場は漁港の右端にあったのだから、要するに、左回りに、二つの岬を上り下りしたことになる。ぐるっと一周したわけだ。

岬のうす暗い坂道を下りながら、さっき砂利浜から見上げた、大王埼灯台へと至る急な階段道を想った。戻らなくて正解だった。だが、伏兵というのは、どこに隠れているのかわからない。坂道が終わって、目の前に海が見えてからが長かった。かなりの距離を歩かされた。というのは、下りてきたところは、神社の立っている岬のほぼ先端部で、岬の根本にある漁港までは、その縁をずっと歩かなければならなかったのだ。下りたところが漁港だと思っていた分、落胆?は大きい。とはいえ、これは否応がない。遠かろうが近かろうが、自分の車までは、歩かねばならないのだ。

先程、<神の目>で眺めた漁港が見えてきた。カメラバックが、ずっしりと重い。それでも、首にかけているカメラで、雑駁な、というか、わびしい漁港の風景を歩きながら撮った。ま、これは、趣味の写真で、人に見せるつもりはない。さらに、岬の縁を回り込むと、前方に、車を止めた駐車場などが見えた。下界に下りてきた感じがした。

右手の入り江には、小型漁船が、何隻も停泊していた。近くで見ると、わりと大きい。左手は、切り立つような岬だ。たらたら歩いていくと、大きな石の鳥居が見えてきた。通りすがりに、腰をかがめて、鳥居の中を覗いた。と、一見して登りたくないような、極端に急で長い石段が、岬のどてっぱらに、梯子のようにかかっていた。

なるほどね。おそらく、海岸の石段から神社に登ったた場合、塀に沿って左に行けば、この階段に到達するわけだ。さきほどの判断は、間違いだったわけで、右に行った俺は、かなりの遠回りだ。灯台撮影の下見のついで、とはいえ、重いカメラバックを背負って、無駄な体力を使ったような気もした。ま、いいだろう。これまでも無駄なことばかりしてきたのだ。

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