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<日本灯台紀行 旅日誌>2022年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>

第14次灯台旅 能登半島編

2022年10月-12.13.14.15日

#1 一日目(1) 2022-10-12(水)

出発 生地鼻灯台撮影 

晴れの予定が、曇り空、がっかり。五時起床、六時過ぎに出発。最寄りの関越のインターから乗って、藤岡ジャンクションから、上信越道に入る。佐久で一回目のトイレ休憩。…若い頃に来たことがある。当時はトンネル内が対面通行で、怖い思いをした。今は、上下道二車線になっている。運転も楽だ。

そのあと、安中、松井田妙義、碓井、横川など、見覚えのある名前が出てくる。何度も通っている。昔を思い出す。昔の思い出は、いちいち書くまい。キリもない話だ。さらに、菅平、志賀高原、黒姫高原、妙高高原と続く。こちらは夏場のレジャーで来た場所だ。

前回の一泊二日の<清水旅2>から、まだ一か月ほどしかたっていない。それなのに、また旅に出られたのは、旅後のノルマにしている、旅日誌にも撮影画像の補正にも、さほどの時間がとられなかったからだ。それと、十月で、季節がいいのと、新車での車中泊の経験を、もう少し積んでみようと思ったのだ。

北陸旅は、前々から企図していた。だが、今回は、能登半島をぐるっと一周するだけにして、日程を半分にした。三泊四日の旅にして、目的を能登半島の先端にある<禄剛埼灯台>の撮影にほぼ絞った。ま、あとは、通り道にある名所やロケーションのいい灯台などにも寄るつもりだが、そっちは天気次第で、あまりこだわらないことにした。あれもこれもと欲張ると、年のせいか、疲れる。

さてと、今日の日程は、数か所寄り道して、暗くなるまでに、富山の先の<道の駅氷見>に行く着くことだ。距離にして400キロほど。一日でこれほど走れるようになったわけで、爺ながら、運転体力は向上している。

上田、小諸の看板を通り過ぎ、長野も近くなってきた。上田は、山に囲まれた、大きな町だった。車窓からチラッと見えたのだ。松代PAで休憩。公園になっているので、少し散策、自動芝刈り機がちょろちょろしていて、面白い。高台には、東屋や物見櫓のような建物があり、案内板もあった。読む、川中島の合戦の絵図、上杉謙信は車がかりの陣、対する武田信玄は、鶴翼の陣、うっかり、まじめに読んでしまった。あと、佐久間象山の写真入り案内板があった。兵学者、京都で暗殺される。門弟は数千人いたという、勝海舟など。ふ~ん、こっちもまじめに読んでしまった。

松代は、真田十万石の城下町、兄弟別れて、関ヶ原を戦ったのは有名だ。あと、高校時代に、転校生がいて、たしか、高橋とか言ったかな、がっしりした体格の、寡黙な奴だったが、どこから来たの、と聞いたら、長野、松商学園とか言っていた。長野松代から、長野松商が連想されたのだろうか?

上越ジャンクションで左に曲がり、北陸道に入る。とたんに、トンネルの連続。とはいえ、今度の車は、車線の真ん中を走るためのアシスト機能がついているので、疲れることも、怖いこともなかった。これには気分を良くした。老後の生活資金を取り崩し、衝動買いしてしまった新車ではあるが、罪悪感が少し軽減した。

<親知不インター>で下りる。たしか、¥6950だった。平日で、かなり走ったわりには安いなと思った。一般道に入ると、断崖際のトンネル(海側が回廊になっている、なんというのか?名称が出てこない)の片側通行が多く、待たされる。この辺は、<親知らず子知らず>と言って、難所中の難所。運転にかなり気をつかう。途中にパーキングが見えたが、右側にあり、入りづらいので、通り過ぎてしまったほどだ。

平地に下りて、ほっとする。海沿いの広い道路、8号線を行くと、右手に道の駅・越後市振の関が見えた。これは事前の下調べでも、寄るつもりでいた。それに、なにしろ、運転に気を使ったので、一息入れたかった。ハンドルを右に切って、適当なところに車を止めた。四、五台の車が止まっているだけで、閑散としている。それに、いまにも降り出しそうな天気だ。外に出ると、やけに寒いし、もの寂しい感じがする。施設もちゃっちくて、道の駅というよりは、ドライブインだな。トイレで用を足して、すぐに出発した。

次の寄り道は、ヒスイ海岸。8号線から右にそれて、踏切を渡ると、小さな船溜まりがある。あれ、行き過ぎてしまった。さっきちらっと見えた駐車場だなと思って、すぐに道路端で回転する。海岸縁の駐車場で、砂浜に沿って、横に長い。かなり遠くまで駐車場だ。トイレもある。名所だからだろう、車もそれなりに止まっていた。

曇天、しかも、風が強くて寒い。だが、一応、海岸に下りる。ヒスイを拾っている人も、ちらほらいる。とはいえ、こう寒くちゃ、石を拾う気にもなれない。なにしろ、真冬のような冷たい強風なのだ。すぐに車に戻る。…少し前に、テレビで、<ヒスイ海岸>での人間模様を撮った、ドキュメントを見た。あわよくば、自分もヒスイっぽい石を拾いたかった。帰りにまた寄る、という手もあるな。お土産として、ヒスイっぽい石は、ぜひとも拾って帰りたかった。旅の記念というよりは、これは物欲だな。

移動、広い8号線に戻る。<ヒスイ海岸>からはさほど遠くない<生地鼻灯台>へ向かう。ナビに従い、8号線からそれて、右方向へ進む。すこし行くと、白黒の灯台の上半分が見えた。背が高いので、かなり遠くからでもわかる。そろそろと走りながら近づく。付近に駐車場はなさそうだ。灯台横の路肩が少し広いから、ここでいいだろう。車を止める。

午後の一時頃だったと思う。曇り空であるうえに、周囲を民家に取り囲まれている。ロケーションが悪いことは下調べでわかっていた。とはいえ、白黒灯台は珍しいので、見てみたかった。撮影流儀に従い、ベストポジションを探しながら、360度、周りを巡りながら撮った。灯台の敷地内には、幾棟かの建物が並んでいた。なかに何台も車が止まっている。人間の姿も見えたので、じろじろと覗き見ることはしなかったが、なにかの<NPO法人>らしい。なるほど、使わなくなった灯台の宿舎を利用しているのだな、と思った。

残念ながら、どの位置取りからも、モノになる写真は一枚も撮れなかった。なにしろ、曇り空、というのが一番よくない。ま、しょうがない。気分転換に、ぶらっと海側へ行く。防潮堤が、かなり続いている。波打ち際に、なぜか、多数の杭が規則正しく打ち込んである。あまり見たことのない光景で、小さな黄色の点滅器のようなものが端に何本もついている。案内板を写真に撮る。防潮堤の特殊な工法らしいが、文字を目で追っただけで、理解できなかった。

このまま帰るのも癪なので、防潮堤際の空き地に車を移動した。トラックが一台止まっているのは、お昼休みですな。カメラを一台持って、防潮提の上に登った。海に背を向けて灯台にカメラを向けた。天気の問題もあるが、やはり、周囲に民家や工場、それに電線などもかかり、この位置取りからも、絵にはならなかった。おそらく、二度と来ることもないので、すこし残念な気持ちになった。いやまてよ、すぐそばにあるこの台地はなんなん?階段が見えるから登れそうだ。もしかして、灯台がきれいに見えるかもしれない。

二階建てくらいの高さだろうか、とことこ登って、灯台を見た。いかん!まったく絵にならない。ま、すでに気持ちが切れていたから、そんなには、がっかりしなかった。それよりも、草ぼうぼうの台地の斜面に、小型の大砲のようなものが、いくつかころがっている。初めて見る形で、小さくて丸っこくて、かわいい大砲だ。少し興味を持った。

案内板によると、この台地は<生地台場>というらしい。幕末の頃、加賀藩が、外国船渡来による海防上の必要から造成したもので、ちびっこい大砲は<臼砲(きゅうほう)=モルチール砲>といい、口径に比べて砲身が短いから、砲丸は湾曲して飛ぶらしく、したがって、近距離用の攻撃に使われたようだ。

<生地台地>は復元したと明記してあるが、臼砲の方は、どうなのだろう。野ざらしにしてあるのだから、やはり、レプリカなのか?とはいえ、雨風に晒され、人知れず、じっと耐えたので、風格が備わった。作り物には見えなかった。記念にと、何枚か写真を撮った。

この文章を書いた後、ネットで調べてみると、同じ形の<臼砲>の画像があった。いまいちど、自分の撮った写真をよくよく眺めてみると、青銅製の重厚感や錆びた感じなどがほぼ同じだ。だがさらに調べると、やはり<復元大砲>だった。あの時は、本物のような気がした。<老兵は死なず ただ去り行くのみ>=<Old soldiers never die : they just fade away>。一瞬間、歴史的時間の中を漂ったのだ。

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