見出し画像

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#4 一日目(4) 2021年7月14日

入道埼灯台撮影1

男鹿半島の先端、入道埼灯台に着いたのは午後の三時半頃だった。快晴で、空は真っ青だ。陽は少し傾きかけていたが、真夏の太陽が、ギラギラしていた。広い駐車場には、前を走っていたキャンピングカーのほか、二、三台の車が止まっているだけだ。それと、横一列に、五、六軒並んでいる土産物屋は、すでにシャッターを下ろしていた。閑散としている。だが、さびれた感じはしない。広々していて、気持ちのいいところだ。

灯台の周辺は、芝生広場になっていて、緑が鮮やかだった。正面には、海があり、少し上に、まともに見られないほど眩しい太陽があった。車から出て、さっそく磁石で方位を確認した。灯台は、やや北西方向にあり、夕陽と絡めて撮るのは難しいかもしれない。つまり、灯台と夕陽の間には、かなりの距離があり、自分のカメラの画角では、両者を一枚の写真におさめることはできそうにない。ま、これは、予期していたことだ。ネットには、そうした、夕陽と絡んだ入道埼灯台の写真は、ほぼ一枚もなかった。これは、灯台と太陽の位置関係からして、物理的に無理なのだろう。

駐車場と芝生広場の間には道路があった。といっても、通る車はほとんどない。左右を気にせず道を渡り、広場に入った。芝生だと思った緑のじゅうたんは、少し背の高い牧草のような草(芝草)で、ところどころにアカツメグサが群生している。白黒の灯台との距離は、そうだな、70~80mくらいかな?思ったほど巨大ではない。

左側には資料室のような平屋の建物が立っている。右側にも、何とも形容しがたいが、骨だけになった雨傘を逆さに立てたような、無線アンテナ(中波無線標識か?)がある。さらにその横に、灯台よりも大きなレーダー塔(無線方位信号所)が立っている。景観という観点に立てば、邪魔といえば邪魔だな。だが今日日、これらの鉄の構造物は、灯台付近に、必ずといっていいほど併設されている設備で、致し方ない。

カメラ一台を首にかけ、撮り始めた。念のために、予備の電池を一個、黒いポシェットの中に放り込んだ。ためし撮りなので、すぐには、灯台の正面にはいかず、広場の中の遊歩道を歩きながら、五、六歩行っては、立ち止まり、灯台にカメラを向けた。遊歩道の先には、なにか黒っぽいモニュメントが立っている。広場の中にも、それよりは小さい物体が点在している。ま、これらは、眼前に広がる、緑のじゅうたんと灯台と空との、いわば全体的な布置の中では小さなもので、ほとんど気にならない。

遊歩道からそれて、草深い中を、海へ向かって少し行くと、断崖になっているようだ。用心して、三、四歩前で立ち止まる。臆病で、爺になっているので<断崖>を覗きこむようなことはしない。行き止まりだということを確認して、こんどは<断崖>沿いに、モニュメントの方へ行く。

ちなみに、広場に足を踏み入れた時から、灯台の全景は見なくなり、資料室の屋根越しとなる。しかも、灯台と水平線を一つ画面におさめるには、<断崖>に近づきすぎてもよくない。広場の真ん中あたりが、一番マシ、ということだ。

撮り歩きしながら、モニュメントに到着した。自分の背丈以上あり、黒い石の立派な構造物だった。回りに円形状の腰掛もあり、そばに、むろん、案内板もあった。だが、気持ちが急いていたので、案内板は見なかった。とういうのも、灯台周りの探索を早く済ませ、いったん宿に入って、再度、日没の一時間前くらいから、撮影したかったからだ。いわゆる<ゴールデンタイム>だ。

なんというか、瑣末なことばかりが気にかかる。例えば、今回の場合、宿の夕食は、七時からということになっている。部屋に持ってきてくれるそうだが、それにしても、チェックインが七時過ぎるのはまずいだろう。ちょうどこの日、日没は午後七時十分ころだ。夕食と日没の時間が重なっている。どっちか取れ、というなら、最初で最後の夕陽のきれいな男鹿半島に来ているんだ、日没の撮影を取る。ま、旅館の夕食も、楽しみではあるが、千載一遇、夕陽に染まる入道埼灯台を逃すわけにはいかないだろう。

とにかく、早く、灯台周りの探索を終えねばならない。いま居るモニュメントの位置は、灯台から50m位離れた断崖沿いだ。ということは、海に背を向けている。構図としては、灯台が真ん中にあり、その左側に、資料室の建物、雨傘の骨組み(無線標識)、巨大なレーダー塔が横並びしている。快晴だから、空は<青>。要するに、水平線が見えない分、奥行き感、遠近感がなく、平板な構図だ。

最近は、写真の奥行き感、遠近感にこだわっている。というのも、自分で撮った灯台写真を選別する際、そこに、水平線があるかないかで、写真の見え方が全然違うのだ。写真の中に水平線があると、単純に言って、開放感がある。灯台の垂直は視線を上下させ、海の水平線はそれを左右に動かす。さらには、焦点距離が伸ばされ無限大になる。左右上下、遠近の、この目の動きが、奥行き感、遠近感、さらには解放感といったことの身体的根拠なのかもしれない。

それはともかく、最近の撮影では、構図的、絵面的な<ベストポイント>に、さほどこだわらなくなってきた。灯台という構造物と付近の景観が、あるていど調和しているなら、ベスト、ベターは、事後の選別の際に決めればいい。むろん、これまで通り、撮影の際は、いちおう灯台の周りを360度撮り歩くが、やみくもに全方位的に撮りまくることはなくなった。つまり、灯台と水平線がひとつ画面におさまる場所を重点的に撮るようになった。構図や絵面の美しさよりも、写真の中にある遠近感や開放感の方が面白いと感じているわけだ。

したがって、海を背にしてしまうと、とたんに、撮影テンションが下がった。空の景色がよければ、まだましだが、<青>一色だ。とはいえ、灯台の裏側も見て回らないわけにはいかないだろう。断崖に沿って、撮り歩きを始めた。おそらく、一時間以上はたっている。猛暑だ。体力的には、もう限界に近かった。うんざりしたのを覚えている。

入道埼灯台撮影2

入道埼灯台は、地形的に280度くらいの展望=明弧があるらしい。つまり、海から見た場合、灯台の光が見える範囲が広い。陸地から見た場合は、要するに、ぐるっと海が見わたせるわけだ。したがって、西側だけでなく、北側の展望もいい。目を細めると、はるか遠くに、細長い陸地が見え、そこに、巨大風車が等間隔に並んでいる。それがどのへんなのか、頭の中で考えた。能代あたりだろうか?ま、いい。

北側からの、灯台はといえば、こんもりした林にさえぎられて、上半分が見えるだけだ。まるっきり写真にならない。林に沿って、遊歩道のような道がある。このままいけば、灯台の正面に出られるだろう。と、断崖の下に遊覧船が止まっているのが見えた。そばに看板もある。<遊覧透視船>。なるほど、海がきれいだから、船底から海底を覗くような仕掛けになっているのかもしれない。ただし、<欠航中>。

断崖に近寄って、下を覗きこんだ。渡船場があり、その先端に遊覧船が係留されている。手前には、大きな建物があり、オレンジ色の屋根に<遊覧船待合所>と書いてある。炎天下の中、ひとっ子一人いない。船も看板も建物も、ふるびて時代がかっている。さびれた観光地だ。だが、ここからの景色が絶景であり、海の色が驚くほどきれいであることに、間違いはない。

こんもりとした樹木に沿って歩いた。そこが唯一日陰になっている。すぐに、灯台の正面側、つまり、駐車場の北側にでた。右を向くと、広めの遊歩道の先に、灯台資料館が見えた。トイレがすぐそばにあったので、用を足した。

さてと、灯台は資料館の右側にある。だが、距離が近すぎる。それに、周辺に巨大なレーダー塔など、いろいろごちゃごちゃしていて、まるっきり写真にならない。とはいえ、一応、灯台を見に行った。

資料館の受付は閉まっていた。灯台内部に入れるのは、午後四時までらしい。もっとも、暑さでぐったりしていたので、登るつもりもなかったが。灯台周りにも、いろいろな案内板があった。だが、目を通す気力もなく、とにもかくにも、灯台の入口の前まで行った。

ここまでは、比較的遠目から見ていたので、灯台のその巨大さに、ちょっとびっくりした。見上げると、ぶっとい白黒の胴体の先、つまり灯台の頭部は、死角になってよく見えない。したがって、いわゆる<灯台>のフォルムではない。むろん、写真も撮らなかった。とはいえ、あした体調を整えて登ってみようと思った。いや、ここまで来たんだ、登るべきだと思った。

灯台に背を向け、駐車場沿いに歩いていくと、シルバーの小さな車がポツンと止まっているのが見えた。自分のレンタカーだ。ふと、気まぐれを起こし、また、広場に踏みこんだ。灯台に正対した。同じ構図だが、さっき来た時とは、明かりの具合が違う。念のためだ。まだ、気力、体力に余力が残っていたのだろう。

車に戻った。午後五時少し前だったと思う。宿までは、十分足らずだ。チェックインだけ済ませ、夕方の撮影のために、すぐに戻ってくる、という予定を立てた。遅くとも、午後六時過ぎには撮影を再開できるだろう。一息入れて、駐車場を出た。意外に疲れていない。新幹線で来たからな、と思った。高速道路を何百キロも運転してきたのではない。疲労度が全然違うのだ。

<男鹿温泉郷>に入って、突き当りを右に行くと、十階建てくらいの大きな旅館がいくつもある。その一角に、予約した旅館があった。外見はそんなに悪くない。それに、受付の女性が、おもいのほか愛想がよくて、ま、美人だった。ところが、エレベーターに乗って、部屋に入ると、とことん老朽化している。畳こそ、すり切れていないが、壁はシミだらけ、縁がめくれている。さらに洗面所も、風呂も、かなり汚い。二泊だから、我慢だな。それに今は急いでいる。部屋の汚さにこだわっている場合ではない。

すぐに下に下りて、受付の女性に、戻ってくるのが午後七時半過ぎになることを伝えた。部屋に食事を運んでおいてくれるとのこと。これで安心して、出かけられる。ビジネスライクだが、それにしても、愛想がいい。

予定通り、午後の六時過ぎに、入道埼灯台に戻った。黄色っぽくなった太陽は、水平線の三十センチくらい上の辺りまで下がっていた。だが、依然として、まぶしくて、まともには見られない。日没は午後七時過ぎだ。

遊歩道の入口から、芝草広場に足を踏み入れた。すぐに道からそれて、草深い中に入った。灯台と水平線が一つ画面に入る場所を、カメラで確認しながら、ぶらぶら撮り歩きした。断崖に近づきすぎても、よくない。灯台が見切れてしまうのだ。流石に、暑さはおさまってきて、辺りが、なんとなくオレンジ色っぽい。

芝草広場には、アカツメクサのほか、名前の知らない白い花なども咲いている。お花たちを踏まないように歩いた。だが、ま、ここは勘弁してもらう、おそらく踏んづけているだろう。

さてと、太陽がかなり下がってきた。今や水平線のほんの少し上にある。その夕陽と灯台とをひとつ画面に収めたいのだが、両者に距離がありすぎて、構図的なバランスが悪い。ま、それでも、道路際の広場への入口辺りがベストだろう。三脚を車に取りに戻った。その際、ふっと辺りを見回すと、なんとなく人影が増えたような気がした。入道埼は、夕陽の名所だから、観光客たちが、日没の時間に集まってきているのだ。

沈む夕陽と灯台を一つ画面入れる。入道埼灯台の、そんな写真は見たことがない。要するに、地理的関係で無理なのだ。だがそうでもないぞ。道路際に並んでいる木の柵沿いに三脚を立てた。そばに、若い女の子が二人、スマホを夕陽に向けている。

夕陽と灯台をひとつ画面に収めることはできる。ただし、夕陽は左端、灯台は右端。構図的には、はなはだ心もとない。とはいえ、ちょっと真剣になって撮った。まさに<ゴールデンアワー>だった。刻一刻と、太陽が水平線に近づいていく。空も海も広場も灯台も、ますますオレンジ色に染め上げられていく。周辺にいる誰もが、スマホやカメラを夕陽に向けていた。妙に静かだった。

夕陽が水平線に到着した。周囲が、少しざわついたような気もする。自分も、灯台をそっちのけにして、その光景を撮った。黄色の丸は、水平線にかかると、あっという間に半円になり、姿を消した。その間五分くらいだろうか?とたんに、神々しい雰囲気は霧散して、ざわざわしはじめた。広場の中、断崖やモミュメント付近にいた見物客たちが戻ってきた。午後の七時十五分頃だった。

この後の<ブルーアワー>は、明日撮ることにして、自分も車に戻った。駐車場の車やバイクは、あっという間に、蜘蛛の子を散らすように引き上げていった。あとには、自分の車と、例のキャンピングカーしか止まっていない。あたりは薄暗くなっていた。キャンピングカーは、今晩ここで車中泊するのだろう。

水平線に沈む夕日は、たしかに美しいし、希少価値がある。ただし、今回は、さほど感動しなかった。写真としても、記念写真の域を出ていない。<日没>は、本当に美しいのか?べつに、それほどでもないよな。いつもの天邪鬼だ。宿へ向かった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?