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<灯台紀行 旅日誌>2020年度版

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#9
伊良湖岬灯台撮影1
 
海沿いの広い石畳の道を歩いていくと、ススキの生えた崖の横から、伊良湖岬灯台が、突如として現れる。なるほどこれが、と一瞬立ち止まり、さらに少し歩いて、よく見える場所まで移動した。意外に小ぶりで、こじんまりしている。防波堤灯台よりは大きいが、巨大な沿岸灯台の三分の一くらいしかない。しかも、丸っこいから、可愛い感じがする。ただ、長い間、強い海風や雨に晒されてきたのだろう、全体的に少し汚れている。手すりや扉などの錆が流れて、シミになっている箇所もある。
 
真っ白な灯台は、むろん好きである。とはいえ、多少経年変化している灯台は、それにもまして好きだ。やはり、画像よりは実物の方がはるかにいい。これはと思い、一気に撮影モードに入った。下調べの段階では、撮影ポイントは二つ、東西の側面からで、まずは、西側の腰高の石塀に登った。少し高い所から、目の前に広がる<灯台のある風景>を見回した。
 
伊良湖岬灯台は、まさに、波打ち際に立っていた。といっても、人間の背丈くらいの、コンクリの土台の上にあるから、直接波を受けることは少ないだろう。灯台の背後には水平線が見えた。ただ、今いる位置からだと、灯台も水平線も、傾いているように見える。つまり、灯台を垂直に見立てると、水平線がもっと傾き、水平線の水平を確保すると、灯台がさらに傾いでしまう、というおなじみのジレンマに直面した。
 
補正作業の、最近の傾向としては、<灯台の垂直>が最優先で、<水平線の水平>は、そのためには多少妥協する、という感じになっている。ま、それにしても、灯台と水平線が十字クロスする地点がベストポイントなわけで、その場所を探すべく、腰高石塀から海側の大きな波消し石の上に飛び移った。むろん、波消し石は、その上に、人間が都合よくのれるよう形をしているわけでもなく、配置されているわけでもなかった。
 
となれば、<沢登り歩行>を選択せざるを得まい。足を置ける場所を、目であらかじめ選択して、一歩一歩移動することになった。ただし、今回は、その選択がなかなか難しい。というのも、ランダムに置かれている波消し石の間には、大きな隙間がある場合もあり、飛び移るのに危険を感じることがあった。もちろん、その場合、たとえ足をのせる場所があっても、その石は選択から除外せざるを得ない。
 
しかも、波消し石のほとんどが、一抱えするほどの大きさだ。なので、行きたい方向に存在する石の数が少ない。いきおい、足場を選択できる場所も少なくなり、行きたい方へ行けないこともしばしばだった。その時は、迂回するしかない。しかし、迂回したとて、当初に目指した方向へ行けるとは限らない。むしろ、これまた、行けないことの方が多く、さらなる迂回を強いられた。ときどき、石の上に斜めに立って、周りを見まわした。だが、目指していた方向には、なかなか近づけなかった。
 
いまこの瞬間、あの時の自分の行動を思い返してみると、なんだか、かわいそうな気もするし、滑稽な感じでもある。というのも、あの膨大な波消し石たちは、全体としては、多少の傾斜を伴って、波打ち際のテトラポットへ向かって配置されていたわけで、要するに自分は、おおむね斜めに敷き詰められた、大きな石の間を登ったり下りたり、飛び移ったり、飛び下りたり、さらには、へっぴり腰で、四つん這になって、這い上がったりしていたことになる。<この世は舞台、人間は、そこで右往左往する役者だ>。まいったね。
 
話しを戻そう。目指した所へ、正確にはたどり着けなかったかもしれない。だが、目指す方向へは、おおよそ近づけた。しかも、迂回に次ぐ迂回で、写真的には、膨大な波消し石たちの、どの場所がだめで、どこがより有効なのかが理解できた。ま、いわば、足で稼いだわけだ。もっとも、灯台と水平線が十字クロスする地点は存在せず、あくまでも、その近似値で満足するほかなかった。ま、多少は補正ができるので、問題はない。
 
西側からの、ベストポジションを、おおむね確定できたので、その場所の石の形とか、全体の布置を記憶した。今日の午後、そして明日の撮影のためだ。いましがたの作業、大きな波消し石の間を飛び歩くことなど、もうやりたくなかった。そう、肝心の灯台の写真だが、波消し石の間を移動する際、その都度こまめに撮っていたので、枚数的にも、構図的にも、不安はなかった。一枚や二枚、気に入った写真が撮れているはずだ。
 
腰高の石塀から、下の石畳の道に下りた。その際、一気に飛び下りることはしなかった。あぶないでしょ。まず、塀の上に尻をつき、腰かけるようにして、両足を下に垂らした。ちなみに、腰高塀の上は、五十センチ幅くらいあった。それから、片手を尻の脇について、その手のひらを支点にして、ひょいと体を浮かせ、足を石畳におろした。そこでまた、灯台に向き直った。構図としては、右側に石畳の道が大きく入り込んでしまう。やや人工的な感じがして、気に入らない。ま、それでも、撮り歩きしながら、灯台に近づいていった。
 
灯台の正面、ちょっと手前の石畳の道が、山側に少し広くなっている。土留め石に(おしゃれなことに石塀などと同じ質感の大きな石だった)体をあずけながら、カメラを灯台に向けた。レンズの最大広角24ミリで、ぎりぎり、画面におさまる。とはいえ、画面の中での灯台が大きすぎる。大きく写し込んでも、かならずしも、被写体が際立つということにはならない。逆に、圧迫感が生じて、しつこい感じになることもある。撮影画像の選択作業の中で、最近得た知見だ。先に進もう。
 
灯台の正面に来た。と、山側にコンクリの階段がある。見上げると、もう少し高い所まで行けそうだ。気持ちが動いた。下調べでは見つけられなかった、ポイントだった。数段上がっては振り向き、その都度、構図を決めて写真を撮った。背景に大きく海が広がっていて、すごくいい。この階段は、幅は1メートルほどで、三階くらいの高さだったと思う。登りきったところは、いわゆる、踊り場で、一息つける。この一番高い位置からだと、水平目線が灯台の頭とぶつかる。灯台の高さも、やはり三階くらいだったわけだ。
 
踊り場の左手には、かなり急なコンクリ階段が続いていた。幅は人間ひとりが通れるほどで、しかも、中央に金属の手すりがついている。階段が、手すりで縦に二分割されているので、歩ける幅はさらに狭くなり、かなり歩きづらい。もっとも、手すりは下りる時の滑落防止、および、登るときの補助としてちゃんと機能していた。実際に上り下りしてみると、歩きづらさを補ってあまりあるほどの効果があった。
 
手すりにつかまって、階段を登り始めると、灯台は死角になる。しかも、両脇は鬱蒼たる樹木で、左右の視界も全くない。階段は、おそらく三階ほどの高さだが、半端なく急なので、途中で一息ついたほどだ。上りきったところは、開けていた。山側を見上げると、さらに一段と高い所に、レーダー塔(伊勢湾海上交通センター)のようなものが見える。ただし、海側は樹木で覆われ、展望はない。
 
さらに見回すと、何やら、歌碑もある。右手には舗装路が見え、どうやら、ここが行き止まりらしい。だだし、正面の崖、というか山の斜面を登って、レーダー塔まで行けそうだ。とはいえ、ネット検索した限りでは、施設の中には入れそうにもない。それに、なんだか疲れていたのだろう、全然行く気になれなかった。歌碑にもちょっと近寄ってみたが、名前の知らない歌人で、案内板も読む気になれなかった。灯台は見えないし、レーダー塔へ行くには大変だ。無駄足だった。
 
急な階段を、手すりにつかまって下りた。金属の手すりがありがたかった。踊り場で立ち止まり、右を向くと、目の前に灯台があった。階段を下りながら、1メートル間隔で、灯台の写真を撮った。むろん、その都度モニターしたが、どの場所がベストポイントなのか、やや決めかねた。どの構図の写真にも、海を背景にした灯台の、何と言うか、優しい佇まいが写っていたのだ。もっとも、ちゃんと決める必要もなかった。短い階段だし、全部撮っておけばいいんだ。大した手間じゃない。

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