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川をさかのぼる力



2023.4.18 火

森へ散歩。白い蝶が二匹、ほとんどくっつくようにして舞っている。よく見ると一方が片方を追いかけている。追いかけられているほうは相手をまこうとしているのか、すっと葉の陰にとまる。相手はその上を羽をばたばたさせながら、くっつけやしないかとその隙をうかがっていつまでも飛び回っている。しばらくしてだめそうなのであきらめて遠くへ飛んでいくと、とまっていたほうは「やっと自由になったわ」と羽をのびのび動かしてふわっと空に舞う。それを見つけたさきほどの蝶がすばやく戻ってくる。ああまたきたわと今度は別の葉の陰に隠れる。それでもしばらく相手は真上を舞ってさっきと同じように待っている。隙ができた瞬間、すかざずとまっている蝶の上に乗りぴたっとくっつく。しばらくくっついたままばたばた羽を動かしている。
ふと目線をあげると、いつのまにかあちこちに藤の花が咲いていた。山桜のほの淡いピンクの次は、夕空にも似た薄紫が山をいろどる。季節の変化を感じられることがうれしい。野生の藤は街中のと違ってちょっとかっこいい。蛙がたのしそうに鳴いている。姿をひとめ見たくてそっと池に近寄るが、とたんにしんとしてしまう。

仕事に集中しすぎて頭と背中が痛い。急いでメールを書かないほうがいい。肩に力が入りすぎている。藤沢でタイヤ&オイル交換待ち。一時間あったので目の前のサイゼリアに入る。狛江に住んでいた頃、家の近くにあってよく行った。道路に面した窓際のひとり席に座ったなあ。台本覚えたり調べ物したり本読んだりしたなあ。戸塚へ向かい、駅近のビルに仕事にきてたSさんに摘んでもらったばかりのよもぎをもらう。


2023.4.19 水

朝Youtubeでランダムに表示されたチベットフルートの曲を聴きながらどこかのお寺が作った般若心経の本を読む。鎌倉に越してきたばかりの頃に由比ヶ浜の公文堂書店で買った。おそるおそる口にだしてみる。結びにこのような呪文がでてくる。ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャティ ボジソワカ 往ける者よ 往ける者よ 彼岸に往ける者よ 彼岸に全く往ける者よ 悟りあれ 幸せあれ。読んだとき胸の奥にうっとつっかえるなにかがあった。だれかの記憶か自分のなのかわからない古くて新しい光景がどっと体の中になだれ込んでくるような。
関野くんとミーティング。昼は久しぶりに偕楽。初めてエビチャーハンに挑戦。味濃いけど美味しい。昭和43年、ゲバラの死の翌年にみすず書房から発刊された「ゲバラ日記」を読む。出版者の序がとてもうつくしい文章。ゲリラ戦のさなか、よくこんなにその日にあったことを細かに忠実に記録できたなと思う。


2023.4.20 木

朝散歩は久しぶりの海へ。ビーサンで行った。今年になって海に入ったのは初めて。足だけだけど。気持ちいい。今日は友人たち四人で江ノ島観光。行楽日和。行きは江ノ島の裏側までひとっとびできる小型船べんてん丸で。無料開放されていたサムエル・コッキング苑に初めて入る。十年以上会っていないNさんにばったり会う。昼は江ノ島で、夜は鵠沼でどちらも薬膳料理の店。一日で三万歩は歩いた。夜にはすでに筋肉痛。


2023.4.21 金

一日メール書きや連絡など。合間に気功ちょっとしたり、雑草抜いたり、断捨離して手放すことにした服をフリマサイトにひたすら載せたり。関野くんからいただいた筍でたけのこご飯にする。夕方に長めの散歩。前から歩いてくる女子高生が手に持っていた鯛焼きみたいなのにとんびがすかさず狙いを定めてアタック、その後こちらにむかってびゅんと飛んでくるので彼女より私がおどろいてへんな声をだしてしまった。今さっき駅前の店で買ったばかりであろう放課後の楽しみだよね、鯛焼き、と思った。ざんねんだけど怪我がないのはよかった。私もじつはいちどやったことがある。迂闊にも買ったばかりの惣菜(卯の花だったような)を食べようと浜辺に腰かけてふたを外すやいなや、どこからともなく狙いをつけて飛んできたとんびに後ろから襲われ指のはじを切った。もちろん卯の花は一面に飛び散り砂に混じってしまった。


2023.4.22 土

曇天で体も重い。数日前から食欲がとまらず体がぼんやりしている。読み始めた「マルテの手記」がとても面白いのでずっと読んでいたいが文字が小さくて追うのに疲れてしまう。リルケはこれを完成するのに六年かかった。体を動かそうと昼過ぎに散歩にでる。鎌倉山のブックカフェのフリマをのぞく。パートナーはバナナケーキを食べた。ぐるっとまわって西鎌倉のコープに魚を買いに行った。鱈、さわら、鮭の肉厚、大ぶりなのがあった。そういえば最近家のあちこちに蟻がいる。アリコロリをやるかなあ。かわいそうだけど。


2023.4.23 日

午前中に散歩と洗濯、連載を書く。昼過ぎにパートナーと鎌倉まで出かける。由比ヶ浜商店街から少しだけ離れたところにSeisという雑貨店があるのに気づき入ってみる。シルバーのアクセサリーがどれもリーズナブルで可愛いかった。御成通りにオープンしたばかりのアジアのご飯屋さん(立ち飲みも)でだし塩むすびと大根おろしの味噌汁を注文。パートナーは台湾葱餅。先客の派手なメイクの女性が「葱餅まじおいしい!」とほとんど叫びそうな勢いで話しかけてきた。ちょっとした腹ごしらえにいいお店。店の主人に何時までやっているのか聞くと「22時までだけどその時間に終わったこと一回もない。24時とかまで飲んでる。今日もこれから飲みながらやるよ」

以前から気になっていた旅本専門のブックカフェ「Trip Drip」に行ってみる。サボテンや無国籍な装飾品が所狭しと並ぶちいさなベランダは温室みたいになっていて、そこでジャスミンティーを飲んだ。決して広くはない店内のぎっしりつまった本棚からほぼ無作為に誕生日占いと出島についての本と天才たちの人生みたいなタイトルの本を選んでぱらぱら読んだ。店を出て今月オープンしたての器屋さんPetalをのぞくと前回声をかけてくださった気さくな店員さんがいて、またお話をする。パートナーは白いマグカップを買った。今使っているものが焦げ茶の色で、何を淹れても茶色にしか見えないのがいやだったので白いものに変えたかったらしい。御成町のスタバの中庭のプールの上が藤棚になっていてきれいそうなので見てみたくて向かうも満席なのであきらめ、紀伊國屋で納豆やがんもを買い少し肌寒い中歩いて帰る。

晩ごはんにキャベツと固い豆腐とちりめんじゃこと木耳を炒めたもの、テンペとレーズンと黒ごまを和えたレタスサラダ、さわら塩焼き。洗い物をしているとシンクの壁にいっぴきのちりめんじゃこが上を向いてくっついていた。西加奈子さんの出たばかりのノンフィクション「くもをさがす」を一気に読む。相変わらずすごい文章だなあと思う。むずかしくない言葉で、すごい文章を書くんだなあ。本一冊の、ぜんたいの流れの力みたいなのがすごい。自分の所在がわからなくなった話や病とたたかわない話など、自分も同じようなことを過去に思ったり今ちょうど思ったりしている。

パートナーのスマホがポロンと鳴り、「おおー」と言っているのでなにかと尋ねると、ちょうど本を読みながら(大江健三郎の「万延元年のフットボール」)ある人のことを考えていたら今来た連絡がその人からだったと言う。誰かのことをふと思いだしているとその人から連絡がくるというのはよく聞く。私もある。思い出すことはいっぱいある。いつも予期せずだから、どうして思い出したのかわからない。そういう説明のつかないことが単なる一方通行じゃないことなら面白いけど、どうだろう。

Trip Dripのベランダにて


2023.4.24 月

仕事、ミーティング。カイロへ行くパートナーの車に乗り買い物へ。茅ヶ崎の魚屋さん。小田原産の朝獲れあおりいかの刺身がきらきら透けて光っていた。薄切り十枚で千円くらいしたけどきらきらに惹かれて買ってしまった。島根のいさき湯引きもおいしそうだった。駅ビルの地下では天然かんぱちの刺身がピンクとオレンジの間みたいな華やかな色をしていた。いったい今日は何の日だと思いながらどれも買ってしまった。ほかにもあおりいか切り身と江ノ島のぶり、北海道の大粒ほたても買った。夜ごはんは贅沢に丼にした。最近夜に物件検索している。鎌倉にはまだいたいような気もするけど家賃が高い。


2023.4.25 火

朝ごはんを食べながら「生き物の死にざま」の冒頭、セミとハサミムシとシャケの回を読む。セミもハサミムシもシャケも繁殖行動を終えると命が終わるようにプログラムされているという。とくにシャケの生き様に胸がふるえた。子孫を残すために生まれた川に戻りさかのぼるというこれまで知っていてもたいして気にもとめないできたシャケの壮絶な旅路について改めて知り、おとといの朝に食べた一匹のシャケが脳裏によぎり、なにか大事なことを思い出しそうになったところでパートナーが起きてきたので飛んでいってしまった。それでも、シャケに備わった川をさかのぼるという凄まじい力は人間に置き換えるとなんなのだろうと考えた。昼ごはんの前にフロムの「愛するということ」を扱った100分de名著のテキストを引っ張り出してきてぱらぱらめくる。愛は技術であるというその内容を大学生ごろに初めて読んだ私はいったいどう思ったのだったろう。昼は昨日買った静岡のアオリイカを切干大根や丹波しめじと炒めた。冷凍していないイカはこんなに新鮮でやわらかくて美味しいんだなあと感動した。






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