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パートタイムの最中と帰り道に集めておいた、とっておきの東京の思い出

三十歳も過ぎて、まわりはみんな結婚とかしていって、子どもに囲まれて、それでなくてもいい企業にお勤めとかして、とてもいそがしくしている。わたしは東京の谷底みたいな、あんまり日がきれいに注いだりしない町で、相変わらずお金を稼ぐためだけのパートタイムに出かけていく。

コロナっていうウイルスが大流行しはじめて、電車に乗りたがる人もほとんどいなくて、わたしもなんとなく電車に乗らないでとぼとぼ歩いて働きに行ったり、でもたまには面倒くさいから乗ったりして、取り立てて面白いことなんてひとつも見つけられないまま、うつむいたまま生きている。わたしの人生ってどこにあるんだろうって思う。あるんだけれど、ほんとうは今ここに。そのことをなかなか思い出せないで、あるいは思い出したくなくて無力な抵抗をつづけながら今日も生きている。


受信料を回収しながらピアノを弾くお兄さん

パートタイムの休憩時。どこにでもある大手安売りスーパーの生活雑貨コーナーを目的もなしにプラプラする。急にあたまがくらくらして、景色がスローモーションになって「あ、いつものやつ」。いつまでわたしはここでこんな生き方しているんだろう。

まだ見ぬ世界と繋がっている。この先にいったいどんなすばらしい何かがあるか分からない。それが人生だとずっと思っていた。でも違う。今目の前にあるすべてが人生。化け物みたいなトイレ掃除ブラシ。海の敵プラスチックの塊、ハンガー。燃やしたらとっても臭そうな化学繊維の小物入れ。しみったれたうす汚い店内で、埃をかぶった山のような陳列品とゴミの境目が分からない。これが人生。でも、そうやってはっきり自覚したとたんにすべてが一斉に輝き出すんだよなあ。あれは何なんだろう。こんな毎日きらいなのに。今すぐ抜け出したいのに。

パートタイムのしごとは高層マンションの受付。ずっと座って住人とか宅配業者さんとかにこんにちは、こんばんはって言ってる。NHKの受信料を回収して回っている若くてちょっと芋っぽいお兄さん、また来た。一軒一軒、インターホンを押してはマニュアル通りのハキハキとした自己紹介。やる気がありすぎてこわくなる。この人はじぶんをどこに置いてけぼりにしてきたんだ?お昼どきにも来たのに、今19時、まだ仕事か。

実は休憩のとき、その辺を歩いてるうしろ姿、見かけた。うしろだけでもあのお兄さんって分かった。そしたらいきなり両手の指でじゃじゃじゃじゃんって、お兄さん、空を鍵盤に指を弾き始めた。わたしには見えた、おおきなピアノ。聴こえた、お兄さんの奏でたい音楽。案外楽観的な音でほっとしたのはなんでだろう。

まだ四月にもならないのに散り始めた桜。もう初夏の陽気。透明な風の匂い。なんてことのない平凡すぎる町。どこへも行けない靴で、わたしは目の前のコンクリートをただ一歩づつすすむ。今日も。NHKのお兄さん、あと何軒まわったらいっちょあがりなんだろう。これが、今ここにあるのが人生だとお兄さんが教えてくれる。いつ切れるか分からない命の糸を今日もピンと張ったまま、一歩まちがえば簡単に向こう側に行けちゃう危うさとしっかり手を繋いで、お兄さんもわたしも生きている。お兄さんの軽快な指から飛び出た自由な音楽はおおぞらを舞う。



湘南新宿ラインの家族

南西へ向かう、東京のある電車。昼下がり。親子五人が乗り込んできた。子どもは小学生らしい女の子、幼稚園生と思われる女の子と男の子。みんな洗濯を繰り返してくたくたに疲れた服を着ている。だらんと座席に腰かける。母親が大きな声でしゃべりながら、激安チェーン店の大きな黄色いレジ袋からスナック菓子をいくつも取り出す。颯爽と手を突っ込み、無邪気に食べ始める子どもたち。お昼を食べていないのか、夢中になって油と砂糖のかたまりを小さな口へ次々ほうり込む。

換気のため開け放った車窓から五月の爽やかな風が吹き入れて、小さな子供たちの汗でへばりついた髪の毛と紅潮した頬をさらっていく。しばらくすると、下の娘がカラフルなマーブルチョコを床にぶちまける。そのひとつがわたしの足元までころころ鳴りながら転がってくる。よいしょ、とかがんでそれらを拾いながら、娘に対して叱ることも不満も言うこともない母親。東南アジア辺り出身と思われる片言の日本語を話す父親はマスクを外し、これまた大きな声で熱心に子供たちに話しかける。だらしなく座った息子の脚が、隣に座る大学生らしきお姉さんを何度も小突く。すいません、と父親。「みんなで食べるごはんは美味しいねえ」と、下の娘が母親の顔を見あげて言う。母親は紫色のマスクを下げ、口を見せてガハッと短く笑う。
いつの間にかわたしは移動する車内を飛び出して、一家が東京という檻の中で肩身を寄せながら幸せに暮らす借家のリビングルームに招かれていた。都内を超えて神奈川県に入ると、一家は普段は観光客がごった返す日本の封建社会の礎を築いたふるい町で降りて行った。



そっくりな夫婦と鹿とファッションショーのおばあちゃん

パートタイムの休憩。もうなにもすることがない。ずっと座っていて疲れるから、とにかく外にでていそいそ歩き回るだけ。ミスド、富士そば、パチンコ、スーパー、パン屋、焼き鳥屋、ミニシアター、英会話教室、安すぎる古着屋、クリーニング屋、床屋、パブ。いい加減見飽きた、なんの面白みもない町。

中年から初老くらいの、顔のそっくりな夫婦。○○電子専門学校の前でお父さん、立ち止まり、可愛く首を傾けカメラに向かって無邪気なピースサイン。小学生かよ、と心の中で突っ込む。お母さんは道路の反対側から、これまた楽しそうにその姿をスマホで撮影。するやいなや、誰かにさっそくメール。愛する息子だか娘だかが通っている学校とかですか、ここ。わたしの乏しい想像力ではそれくらいしか思い浮かばない。駅前で、股ラインすれっすれのホットパンツを履いたセクシーすぎるおとこの人に音もなく追い越された。小麦色に締まった鹿のような脚、きれい。

垂直におちてくる太陽の光にじりじり照らされて道を急ぎ、いつもの安売りスーパーに入る。一階に、割と広々した衣料品コーナー。ふしぎな花柄の淡い肌着や半額シールの貼られたくたびれた夏用バッグがところかまわず無造作に積まれている。これは、ゴミなのか商品なのか。いつも同じつまらないことを思う。

天気の良い休日だからか、商品の山からうやうやしく拾いあげた帽子や羽織や日傘を身に着けては姿見をのぞくおばあちゃんたちの姿。ここで、生きてきたんだもんな、おばあちゃんたち。それで生きているんだもんな、今も。そういえば日よけ帽子が欲しかったわたしも、さりげなくその輪に交じってどう見てもセンスの合わない帽子を何となく頭に乗っけてみては、おばあちゃんたちの合間を縫って姿見をちらちら。あほ、なにやってるんだろ、と心の中でつぶやきながら楽しくなくもない、小一時間のパートタイムの休憩時。



不意にサンダルが脱げ落ちたおじさん

夜の散歩。歩いて気持ちの良い道なんかこのあたりにはひとつもないのに、健康のためにむりやり歩く。根っこが不気味に浮き出た木の大群に出くわす。地面におさまっていられやしなかったおおきな根っこは、図太い地球の血管のように大地を無尽にほとばしる。大地っていったって、東京のだけれど。木肌のした、猛々しく流れる血がみえた。

自転車の荷台からなにやらゴロゴロにぎやかな音を鳴らして、初老のふやけたおじさんが通る。銭湯帰りか、それともパチンコか。入っているのはビール瓶か、焼酎か。今夜全部開けちゃうんだろう。頭はつるん、短いTシャツの袖をクルクル折り曲げて。

坂道を登ろうとして、おじさんのくだびれた便所サンダル、片っぽ脱げ落ちる。あの不気味な根っこみたいに太いおじさんの足を受け止めつづけてべしゃんこにつぶれた、可哀想な黒いゴムサンダル。とつぜんうす暗い夜道に放り出されてしまって所在なさげにしている。寂しそうで、でも、どことなく自由になったみたいでもあって。おっとっと、と自転車ごとよろけるおじさん。お気をつけてね。





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