見出し画像

快復への道のりとウイルスがいいたかったこと

他人事と思っていた流行りのウイルスにかかった。
かなり強い株が蔓延していて、世界中が大混乱のさなかだった。
ニュースをつければ、怖い映像がひっきりなしに流れた。
それでも、言い方はおかしいが待てど暮らせどいっこうに自分がかかる気配はなく、まわりにもまだほとんどかかった人がいなかったので、どこかで縁のない話かもしれないと思っていた。

ところが、かかってしまった。
ひと晩寝れば治るだろうと思っていた微熱が下がり、やっぱりただの体調不良だったと安堵して仕事を始めようとパソコンに向かったとたん、急激に具合がわるくなった。
息をするのもままならず、パニックから過呼吸になり、家にだれもいなかったのもあって、救急車を呼んだ。
生まれて初めて過呼吸という状態を経験し、このまま自分が消えてなくなってしまいそうな恐怖の実感に打ちのめされた。

どこもかしこも医療崩壊寸前という状況で、運良く二軒目の病院が診てくれた。検査結果がわかるまで、それでもコロナではないだろうと思っていた自分がふしぎだった。
担当してくれた若いお医者さんは、少しの疲労感も出さずまっすぐな眼差しで言った。
「ざんねんですがコロナです。ここでできることはありません。家に帰ってください。そして自分をつよく持ってください。しっかり食べてください。」

* * *

長い長い十日間がはじまった。
とくに胸の重圧が尋常ではなく、一瞬も起き上がれない。
座ることもできない。異常だと思った。
寝ている以外、すべてのことができなくなった。

想像していた何十倍もしんどかった。
ウイルスの量が多いとされる二日目、三日目がもっともきつかった。
冗談みたいだけれどほんとうに、闇を這うように一分一秒生き抜いた。
その一分一秒が、なまりのように重たい。
ひと呼吸、ひと呼吸、苦しくてもじっと耐えて、息を繋いだ。
でも、もしかしたらこれが、ふだんすっかり忘れきってしまっている時間や呼吸の、ほんとうの重みなのかもしれなかった。
どこまでが一日で、どこからが一日か、わからない。

もしかしたら明日わたしは生きていないのかもしれないと毎日もうろうとする意識のなかで思った。
こんな経験は生まれて初めてだった。
ニュースの見過ぎだろうが、いつなんどき急激に悪化するかわからない恐怖と常に隣り合わせだった。

四日目に少し良くなったが、五日目にまた熱があがった。
いちど回復したかに思えたあとの悪化のダメージは大きかった。
このまま自分はだめになるかもしれないと思った。
六日目も変わらなかった。

七日目の朝起きたとき、自分の体が戻ってきた感じがした。
まだ全然つらいが、ウイルスにのっとられていた体が少し自分の側へ帰ってきたように思えた。
それまでずっと15分寝ては起きてトイレ、みたいな状態だったのが、初めて7時間通して眠ることができた。
それまでずっと下痢をしていたのが、初めて硬いうんちがでた。
回復への大躍進だった。このまま良くなるかも知れないと思えた。

八日目、立ち上がることができた。
お風呂に入れた。自分でおじやを作ることもできた。
横になっていないとつらかったのが、少しのあいだ座っていられた。

九日目、胸の重圧と喉のつかえがほぼとれた。
しかし朝、ウイルスとは関係ないことで落ち込むことがあり、精神的なダメージでまた落ちてしまった。
前日までのペースだと体はもう少しよくなっていく感じがしたが、ダメージがあったので、いまいちよくなりきれない感じだった。
心と体の繋がりを嫌と言うほど感じた。

十日目、胸のしんどさは残るものの、回復したと思えた。
これから日常生活に戻っていくよ、と体に話しかけながら、無理だけはしないようにおとなしく過ごした。

* * *

ウイルスにかかって分かった。
まるで自分自身でコントロールできるものだと思い込んでいるこの体だが、とんでもない。
この体はそんな独立したものでもなく、そんなにちっぽけなものなんかでもなく、地球とか自然とか宇宙に属していて、あらゆるもの、森羅万象と同じものでしかなくて、そこから切り離して存在できるものなんかではない。
ウイルスに体をのっとられて初めて、ちゃんとそう気がつく。
自分のものじゃないから大切にしないといけないのに、自分のものだと思い込んで大切にすることを忘れている人間の愚かさ。

全身でウイルスと向き合ったことで、ウイルスはこんなにしてまで何かひどく人間に対して言いたいことがあるんだということをよくわかった。
声なきものの声を、こんなにきつい思いをして全身全霊で聴かなきゃいけないほど、人間は無視しつづけてきたんだということを。
ふだん大切なことを忘れてあまりにも自分本位に生を暴走させている人間は、ここいらへんで一度きっと、ウイルスにかかって目を覚さなければいけなかったんだと思った。

そして、あまりにも怖いと思うことは、皆が口をそろえて「コロナと戦う」という表現をすることだった。
たしかに医療従事者の方にとってみれば、このウイルスの長引く蔓延はみずからの命を危険にさらしつづけてまで挑む「戦い」でしかないのかもしれない。
でも、少なくとも私たちは、そう簡単に戦うとか言ってしまうのはとってもよくないことな気がする。それをすると、ほんとうに大切なことがもう戻れないまでに壊れてしまうような気がする。

人間はほんとうに、いつだって、どうしてこんなにも何もかもを「戦い」にしようとするんだろう?

「戦い」には敵がいる。今回だったら未知のウイルス。
でも、敵というものは、じぶんが頭の中で作り出したものなだけで、ほんとうはこの世の中に存在しない。
敵と思ったとたん、その相手は排除する対象になって、そうすればするほど事態が悪化する。ウイルスを敵とみなし、この体を戦場としていては、いつまでたっても回復しない。

ここへやってきたウイルスには言いたいことがある。まずそれをわかって、その声をしんどいけれどじっくり聞き、排除するのではなくその手をとって、いっしょにどの道が回復の道なのかを探して、そちらへ向かって一歩づつ歩いていかないといけなかった。

ウイルス、あなたの気持ちもわかるよ、と言った。わたしもウイルスも地球上おなじようなものだよねと。
だから、もしちゃんと回復できたらペレストロイカだよ。ちゃんとやるよ、だからもう出ていっていいよ。ありがとう。
そうやって組んだ手をほどいた。それがわたしの回復への道のりだった。

そんなことが、この身に感じられるなんて想像したこともなかったけれど、決してもう二度とこんな思いはしたくないけれど、でもきっと感じなきゃいけないことだったのだと今は思う。






この記事が参加している募集

#最近の学び

181,541件

#振り返りnote

85,138件

お読みいただきありがとうございました。 日記やエッセイの内容をまとめて書籍化する予定です。 サポートいただいた金額はそのための費用にさせていただきます。