機械的から、有機的なデザインへ
こんにちは。
じゃんじゃん投稿していきますが、
九州大学芸術工学研究院教授の古賀 徹さんのお話をシェアします。
テーマは「ポストインダストリアル時代のデザインとリーダシップ」について
効率化を追求した合理主義的なデザイン
現代社会のデザインを俯瞰して見たときに、
「効率化を追求した合理主義で枠にはめられてしまっているのではないか」
「工業化以前の時代のデザイン概念に立ち返って、デザインは本来の有機性を取り戻す必要があるのでは?」
というのが、古賀先生の問題認識。
古賀先生が挙げた、インダストリアル時代のデザイン思考とは次の通り
・機械による大量複製を前提としたプロトタイプの制作
・コンセプト→スケッチ→モックアップ→社会実装
・目的達成のための合理主義的機能主義
・生産性向上のための徹底した効率化
・PDCAサイクルによる品質管理
・ピラミッド型の垂直的組織とライン労働
・マーケティングによる精密な市場調査、ニーズ第一主義
うん、そうですね。
こういうのが良しとされているし、教科書的だし、
今でも信じられていると思います。
機械的で外側から内側へのアプローチが基本形
古賀先生の問題提起は以下の通り。
・現代はユーザーのニーズに合わせ製品を作ることを一番においてしまっている
・「必要のないものは削る」「徹底的に合理的に作る」などデザインがもともと持っている、有機性(運動の原因が個物の内部にある)が忘却されている
これ、まさしく「デザイン思考」の”思考”ではありますよね...
ユーザー中心主義的な。ただ、アプローチとしては違うとは思うんですが。
ここでいうユーザーのニーズに合わせた製品を一番に置いているということですが、ちょっと状況は変わってきていそうな気もする。
というのも、機能的で便利なモノを安く大量に作れば良かった時代から、まぁまぁ便利で不満がない、選択肢に満たされた現在においては
「意味」や「目的」や「意義」
そして、その個人にとっての「モノガタリ」
が求められているのかなと思うので、
そもそも、「個のテクスト」が多様な日本においては、
ユーザーのニーズは見えにくくなっているし、それを全て満たすのは
実態的に無理な時代に来ていると、個人的には思います。
ただ、「外」→「内」という
デザインプロセス自体は、現在においても「常識」として考えられているので、先生がいうことは正解である気はします。
有機的/機械的という概念
「内」とか「外」とか言いましたが、
古賀先生は以下のような表現をされていて、面白かったです。
内=有機的、外=機械的
とのこと。
・有機的とは運動の原因が内部にあることで、機械的とは外部にあること
・例えば、闇に光をもたらしたくて明かりを作りたい、これは有機的、ライトを安くたくさん作れるようにしたい、これは機械的
・産業革命後に人類は一気に機械的な思考になったと言われる
・アリストテレスの自然学の中にも出てくるそうだが、内側から外側に発育、形が内側から外側に現れてくるという考え方。
コトバの問題であるけど、大事な概念。
古賀先生は「有機的なデザイン」に着目している
ということですね。
ポストインダストリアルにおける、リーダーシップの在り方
こういった時代の変化もあり、デザインにおける求められるリーダーシップとしての在り方も変わってきているとのこと。
・機械性が強くなりすぎてしまった現代の社会において、有機性とのバランスを取る必要性がある
・工業化時代はCriticaとしての指導者が求められ、合理主義、科学的な評価、達成度を測るやり方。
・それに対して、ポストインダストリアル時代は、Topicaとしての指導者が必要。
・工業化時代にはそんなクリティカ(ものさし、判断)としての指導者が有用だけれども、ポストインダストリアル時代はトピカ(見定める、発見)としての指導者が重要
機械性と有機性のバランスを取るっていうのが、めちゃくちゃ難しいと思う。。。
これを実現するためには、企業におけるカルチャーから着手する必要があると思うし、共通言語としてしっかり育てていく必要はあるはず。。
一人のデザイナーが理解しているだけではなく、いかに組織として取り組んでいけるのか。
北米では役員にデザイナーが入っていることが多いみたいな記事を読んだことがありますが、日本ではまだまだそういった人事が少ない気もしている。
経営からデザインに対する思考を深めて、それをトップダウンで落としていくというのも必要なプロセスだと思うので、そこらへんの方法論についても考えていけると面白そう。
有機的なデザインとは、ビジョンドリブン
結局、有機的なデザインっていうのは、
自己との対話
であり、
自分のビジョンを育て、それを発露していく
っていうことなのかなと思う。
川上元美さんもおっしゃっていたが、
「個」から始まり、「普遍化」し、それでも残る「個」
結局、「個」という”強いテクスト”があって、
そこにユーザー、消費者の”弱いテクスト”が付着されていく
ある意味、デザイン思考というよりは
アート思考なんだろうなと。
受けて側、読み手側の解釈を生むデザイン。
それは完璧なモノではなく、不完全であることを良しとする
コンテクストデザインなんだろうな。
と、有機的なデザインについて
悶々と考えました。
(武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース
クリエイティブリーダシップ特論/第6回)
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