言わないまんまのクリスマス

長女気質をこじらせて、誰にもなんにも言わないことが増えたけれど
身辺で、というか「ここらでしっかり考えないと」と葛藤している問題があり
いったんクリスマス付近には前進しているかな、とアタリをつけたけれども
今度はそれどころじゃない悲しいことが起こってしまい
ますます誰にもなんにも言えなくなってしまった。

私自身は穏やかに日々を過ごしているのだけれど
距離感がむずかしくて。


私だけ「ふつうの」年末年始を過ごしていいのだろうか。
あの人にはとてもつらいことがあったのに。


でも、距離感がわからない。
私はずっと、じっと考えているだけで
話を進めようとしなかった。
むしろ、なるべく避けてきた。

どこまで寄り添っていいのか。


だいたい私は、なんにも叶えられないかもしれないのに。
相手が望んでいることが、もしあるとしても
私の望みと一致するとは限らないのに。



お互いの望みが完璧に一致しなくても
それでもそのまま「大丈夫」と
継続できる関係ってあるのだろうか。
あればそれが、きっといちばんいいのだろう。


本当は今日、少しだけそれを確かめるつもりだった。
けれど本当にそれどころではなくて。

連絡が来たとき、「ああ、ついに決断しなければ」と少し焦りを感じた自分を恥じた。


どこまで踏み込んでいいのかわからない。


もっと前から肩書きがはっきりしていたら
関係性に結論がついていたら
距離感で悩むこともなかったのかな。
でも私は。



自分の中だけで解決しようとしているけれど
それもなかなか。



悲しい話を、句読点なしの文面を読むのはつらい。
無理はしないでほしい。

つらいときに私のことまで気にする余裕があるなんて、申し訳ないと思う。


くつ下を用意していたんだけどね。
たぶん誰にも気づかれないままクリスマスが終わるどころか年が明ける。
年明けまでサンタクロース待っていてくれるかな。


こんな日こそみんなが幸せを感じられたらいいのに。
そんな人ばかりじゃ、そんな家庭ばかりじゃないって
目の当たりにした。


近い人がとても大変な状況にあることを
知ってしまったから。
そしてそれを
私は誰にも言っていないから。
どんな顔をして過ごせばいいかわからない。

なんだかずるいみたい。

少しでも大切な人と穏やかな時間を過ごせますように。
クリスマスが悲しいことを思い出すスイッチになりませんように。
次に会う日がいつになるかはわからないけれど
会えたら話を聞こう。
根掘り葉掘りではなく、相手が話す言葉を待とう。


誰にでもなんでも話していたら
ひとりで考え込むこともなかったのだろうか。
話していたら話していたで
「その立場としての振る舞いの正解」や矛盾という新たな葛藤が生まれていたかもしれない。


でもいちばんは気持ちの問題。
少なからず葛藤して動揺しているということ
自分の振る舞いや立場について悩むということ


全くなんとも思っていなかったら
ここまで悩んでいるのかな


いまはその意味を見つめていようと思う。
それしかできなくて ごめんなさい。


なんでも話していいよって
言っても話してくれることって



いまは悲しみと向き合いたいから
自分の気持ちは置いておこう。

たぶん長期的に置いてはだめなんだけど
相手がつらい状況で
それでも急いで結論出したいことって
正直人生であるのだろうか。
まだないや、私には。



一生かけてもすべての人と繋がることはできない。
でもきっと、そのおかげで自分の心を保てている。
悲しみに寄り添う。胸が痛む。
誰かを想う。あたたかい気持ちになる。
すべてを背負わないこと。
夜をじっと越えていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?