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東京ネロ戦記⑨ベルリン会議-1-

 2010年代も終わりの頃、シリコンバレーでスタートアップ企業を興した若い経営者や、ビックテックに勤めるエンジニアの間で、Sanitation Acceptance Doctrine (SAD)という指標がちょっとしたムーブメントを起こしていた。

それは、ネットを通じてバイラル的に広まったニューエイジ思想の一種で、スピリチュアルな側面の多いニューヒッピー思想とも異なった。

 もはや誰が起草したか不明となったその主張の根幹をざっくりと言うと、「自身が身を置くべき政治的ポジションは、その人が許容できる衛生レベルと相関している≒不潔さへの寛容度でそいつの支持政党がわかる」というものだった。

例えば、X軸にリベラル度を設定し、Y軸に衛生レベルを設定すると、その相関グラフはきれいな右肩下がりの反比例を分布する。

リベラルであればあるほど、許容できる衛生レベルは低くなる。言い換えれば自由で進歩的であればある程、不潔さや非効率さに対する寛容さが必要になるという訳だ。

この指標がもてはやされた背景には、例のカードの名前の大統領の登場があった。

極右のポヒュリストを支持しているかどうかで、長年の親友を辞めるという現象さえ引き起こしたUSA。その分断を看破するための指標として、大いに役立ったのだという。

                                     *

 ミア・ローゼンベルクもそういうディナーのトピックになる話題は嫌いではなかった。

だから始めてそれを研究室で同僚に聞いたとき、鼻で笑いながらも、なんとなく納得していたし、その後出会う男性にもそのSADを当て嵌めては精度に感心してもいた。

   ミュンヘンのフラウンホーファー研究機構で、遺伝子工学の権威であるDr.シュミッツに師事し、仮想MACアドレスと遺伝子配列の互換研究の論文を発表したその年、ミアはかつてないほどに注目を浴び、一気にその周辺の寵児にされた。

  翌年にはメロ社に破格の年俸で引き抜かれ、ベルリンに移り、社が保有する研究施設で日々を埋没させていた。

   だが、2024年の6月にドアの向こうにいたアンドリューとその取り巻きをみたとき、ミアの中のSAD指標が儚く、崩れ去っていく音が聞こえた。

                                     *
   ミアは、その3日前に突然しかるべき上の人間から秘密裡にコンタクトがあり、あるデータを渡された。
そして、その出鱈目な世界について自分の研究が役立つことが示唆されており、それから3日間寝ずにデータと格闘し、今、約束の会議室へと足を踏み入れた。


  そこには、世界を代表するビックテックの最高頭脳が集まっていた。まるで国連議決会議のような規模で人々は円卓を囲み、何やら熱心に話し合っていた。

 アンドリューを筆頭に、アンドリューの私的スタッフ、エンジニアグループ、法務、財務、人事、軍部、気象学、量子力学、物理、数学者、生物学などメロ社の全分野の研究チームが集まっていた。

  アンドリューの目は血走り、髭は伸び放題。歯も磨いてないようだし、常に鼻を触る癖は、まるでドラッグ依存症のようで、とてもこの集団のトップの人間には見えなかった。

アンドリューとその私的スタッフだけ異様にその場から浮いていた。
皆が一様に不潔で汚く臭かった。

異様な雰囲気であることだけは分かった。


「やあ、ミア。久しぶりだね。元気そうだ。悪いね。こんな時間に呼び出して。でも力を貸してほしいんだ。

皆、彼女は遺伝子工学の研究者で、ミアだ。彼女にここからは解説してもらう。」

と、アンドリューはインカム越しにミアを皆に紹介した。

ミアは自分が遺伝子工学の専門家として呼ばれたことを思い出し、
自分の電子パッドに目を落とし、モニターに繋ぎ話し始めた。

「あー、あー、ここにいらっしゃるご高名な皆様に向けて、あえて遺伝子について講義するつもりはありません。ですが基本的なおさらいだけ。

遺伝子は、生物の遺伝情報を保持する分子です。DNA、デオキシリボ核酸が遺伝子を構成しています。
DNAは4つの塩基で構成されています。シトシン(C)、グアニン(G)、アデニン(A)、チミン(T)。
これらの塩基が、遺伝子のコードを形成し、生物の特性や機能を決定します。

ここからが私たちの研究テーマでもある、仮想MACアドレスと遺伝子コードの関連についてですが、まず、この仮想MACアドレスは、ネットワークデバイスを識別するための一意のアドレスです。仮想世界やコンピュータネットワーク内で使用され、通常全てのデバイスに各個、異なるMACアドレスが振り当てられます。16進数で表現され、6つのペア、例えば、 00:1A:2B:3C:4D:5Eというものです。

私たちの研究では、特定の遺伝子パターンが仮想MACアドレスとして機能することが示されています。例えば、遺伝子配列 “CGAT” は、独自の計算で仮想MACアドレス “00:1A:2B:3C” に対応します。

これを発展させていけば理論上、自分の遺伝子情報をネットワーク内に同期することで、仮想世界でも現実と同じレイヤーで生きていくことが可能になる。というものです。


    私はリツコ・クロセの遺伝子情報を解析し、その結果を仮想MACアドレスに当てはめてSNSプロフィールのアイコンを調べました。

すると、驚くことに、
このアイコンの向こうの世界は彼女の遺伝子情報に対応する仮想的なMACアドレスとして機能していたのです。
つまり、彼女の心象風景に準拠した仮想現実でありながら、実際のオブジェクトの質量や人のDNAさえ自然構築を再現しているということです。
そして、さらに特筆すべきは、この世界が現実の1998年の地球と非常に酷似いるということです。」

会議室がザワついた。
ミアはその反応を当然のものとして捉え、

「なぜ、1998年なんだ?なぜ分かった?」

「つまり、どういうことだ?あっちは、過去なのか?」

という、あちこちから飛ぶ質問に丁寧に答えて言った。

「なぜ1998年か?それはまだ分かりません。
では、どうして判明したか。シンプルに並行世界内のオブジェクト、例えば新聞、テレビ、ニュースが示しています。現在向こうは1998年の6月を進行中です。」

そして、もう1人の質問者に身体を向けて続ける。

「ただ、恐らくは実際の我々の1998年とは異なるでしょう。まだ検証不足ですが、あの世界は実物ですが、仮想現実でもあります。概念でいえば並行世界に近いかと。」



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