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東京ネロ戦記④タイコ

 タイコはその三人の中で一番冷めた目をしていた。タイコにとってはそれは日常であり、ただの仕事のひとつだった。インターホン越しに聞こえる声の主の姿を想像して、それと対峙した時のシュミレーションを頭の中で繰り返す。

 その日組んだ残りの二人とも顔見知りだった。この仕事をやっているとよくある事だった。日本人のリーダーと、プエルトリコ人の髭男。揃いの作業服に身を包み、マンションのエントランスに立つ姿は、至って自然だった。

 対象の在宅を確認し、事前に知らされていたオートロック解除番号を押して進む。

髭の男は、ひとり管理人室へと向かう。そこを制圧し、カメラのログの押収をするためにここで一旦別れる。

 リーダーとタイコは二人無言でエレベーターに乗り込み13階で降りる。

ドアホンを鳴らす。日本では宅配業者を装えば、住人はチェーンを掛けずにドアを空ける確率が非常に高い。

日本人のリーダーは、満面の笑みで業者を装う。

案の定今回の対象も簡単にドアを開けた。


タイコはすかさず前に出て、対象の奥襟首を掴み、部屋へと引き摺りこんだ。

対象が叫び声をあげる中、タイコはその体重で押し倒し、右手で口を抑え、左手でその腹に素早く何度もナイフを深く突き刺した。

しばらく手の下で暴れるが、もう長くないだろう。タイコは対象の目の光が消えていくのをじっと見つめていた。その二人をまたいで、日本人のリーダーは、対象のラップトップを回収している。

タイコは対象の絶命を確かめて、血の付いた作業服を脱ぎ持っていた袋に詰め込む。
リーダーに合図を送ると、丁度回収も終わったところで、そのままにして家を出た。この間約3分。

降りるエレベーターの中で、タイコの左手はまだ強く脈打っていたが、タイコ自身は冷めていた。もう明日のことを考えていた。

                                       *
タイコは東京湾が見えるボロ屋で生まれた。
在日朝鮮人で、タイコは在日4世だった。

 それに気がついたのは小学生になってからだった。タイコにも両親はいたが、他の家の父親は毎日殴ったり蹴ったりしてこない存在だということを、4年生のとき、仲良しになったユンに始めて教わった。


タイコの父親は常に酒に酔っていたし、酒が入ると直ぐに手がでる。母親も毎日のように父から暴力を受けていた。タイコはそれが当たり前の生活の中で、何故母親が泣いているのか分からなかった。痛いのをしばらく我慢すれば、すぐに終わるのに。泣いたり喚いたりするから、父親に更に殴られるということを理解できない母親を軽蔑していた。

 タイコは中学に上がると、もう父親の体格を超えた。クラスの誰より身体が大きくなった。朝鮮学校のツレも出来た。みんなお前ならやれると励ましてくれた。

中学二年生の夏、タイコは父親を殺した。

父親が酒で寝ている間に、右手で口を抑え、左手で包丁を腹に何度も刺した。

不思議と恐怖も後悔もなかった。
驚いたのは、全部終わったあと、
タイコが父親の上に跨ったまま父親の顔をみていると、
突然背中に痛みを覚えたことだった。

母親がタイコを鋏で刺したのだ。

タイコは少し驚いたが、母親を腕ひとつで払いのけると、鋏を抜いて、ゴミだらけの居間に捨て、その家をそのまま立ち去った。

治療もせず、しばらく友達の家で居候しているとき、警察に捕まった。後に聞くと、母も自首したらしい。タイコには帰る場所がなくなった。

タイコは少年刑務所で、3回看守を殺しかけて、6人の受刑少年をレイプし、1人の親友ができ、8年を過ごした。

誰もタイコに逆らう者はいなかった。
その噂はその界隈の耳にも届いていた。

 22歳になったタイコは刑期を終え、
全ての暴力団のスカウトを断り、今の仕事を選んだ。理由は単純だった。

暴力団に入って、悪辣を極めるのもよいが、刑務所には二度と行きたくない。
だが暴力の愉悦は捨てがたい。ならば企業の汚れ仕事をして大金を稼ぐ。
これ以上の理屈はなかった。

                                     *

 深夜、タイコの端末に指示が届く。
翌週の金曜日の日付けと、女性の名前と、その住所。

 タイコはなんの感情の交えず、再び眠りに就いた。


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