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甥の存在で考えた、家族のこと

この土日は引越しで大変でした。義実家の隣に住みます。いわゆる、敷地内同居ってヤツですね。

で、なんというかですね。唐突なんですけど家族って何だろうということを考えた土日だったなと思います。

義実家には義父義母義姉、そして義妹と甥が住んでいます。甥は娘より一つ歳上の四歳です。

甥には父親がいません。

甥は俺達一家が隣に越してくるのを本当に楽しみにしていました。

今までも土日の度に義実家とは行き来していましたが(本当にいい人達で良かったなと思っています)、やはり隣となるとグッと距離感が縮まります。この土日、甥はずっと俺にベッタリでした。

そして最近、甥は時々俺のことをお父さんとかパパと呼ぶことがあります。その時、俺は正直戸惑います。

俺自身、甥のことはとても可愛いし、一人っ子である娘にとってお兄ちゃんの様な存在の甥がいてくれることは有難い。

でも俺は甥の父親ではないのです。どこかでちょっと父親代わりのつもりでいたところもありますが、父親ではない。

たとえば俺の中で、娘に対する感情と、甥に対する感情は明確に違うのです。実の子供である娘と甥では、当たり前だが違う。

娘だったら許せることが許せなかったり、逆に娘だったら許せないことが許せたりするんですよね。

この土日で急速に距離が縮んだことでそれがよりハッキリとわかりました。

そのことを俺は別にいい事とも悪い事とも思っていないのですが、ふと考えたことがあるのです。

血の繋がりが無ければ親子になれないわけではないけれど、それは簡単なことじゃないんだな…と。

俺は知人にお子さんがいる相手と結婚した方もいますし、養子を取っている方もいます。その方達が、家族に、親子になっていく過程には、きっと色々な苦労があっただろうなと、色々な悩みがあっただろうなと、色々な対話があっただろうなと。

俺はそういうことを今まで分かっていたのかなと。

考えてみれば実の娘の父親にすら、僕はある日突然パッとなれたわけではありません。時間を共有する中で徐々に父親になっていった気がします。これからもそれは続くでしょう。じっくりと僕はもっともっと父親になっていくのでしょう。

親になるって簡単じゃないですよね。

改めてその事を思って、色々なことを考えたんですね。たとえば俺は長い間、父が嫌いでしたが、父も色々と考えていたのだろうなと。父は父なりに精一杯の父親をやっていたのだろうなと。

それが俺と合わなかっただけ。そんなこと全然有り得ることで…もちろん父が私にした数々の事を全部水には流せないけど、全部恨むのは違うよな…と。(ちなみに父とは最近和解しており、今は感謝もたくさんしています)

話を甥に戻しますと、俺が甥にとってあくまで叔父であり続けるのか、父親代わりになっていくのかは現時点で分かりません。どうなろうとも思っていません。

なるようになるだろうし、迷ったら考えたり相談したりすればいい。大事なのは定義や呼び名じゃないし。

でも甥は保育園で、娘のことを自分の妹だと言っているそうです。その話を聞いた時、俺は嬉しくて泣いてしまいました。

今日から、新しい家族になっていきます。


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