時代劇レヴュー㊱:源義経(1990年)

タイトル:源義経

放送時期:1990年1月1日

放送局など:TBS

主演(役名):東山紀之(源義経)

脚本:高田宏治、掛札昌裕、野波静雄


時々このレビューで用いる「開き直って見ると面白い」と言う表現は、決してほめ言葉ではないだろう。

要するに、無理をして見つけないと面白い所がないと言うわけなので、ある意味ではひどくけなしているようでもある。

今回紹介する作品も、そうした「開き直って見ると面白い」、つまりは「開き直って見ないと面白くない」作品である。

粗製乱造と言う言葉があるが、テレビ時代劇が毎日のように放送されていた時期の作品には優れたものも多いが、作品の絶対数が多いわけであるから「駄作」と言うのが一定以上存在するのもやむを得ない。

かつて1980年代後半から1990年代前半は、テレビ局の景気も良かったし、今と違って時代劇もそれなりにお茶の間に受けていたので、年末年始になると各局競って膨大な製作費を投じた長編時代劇を製作していた。

このレビューでもそうした作品を多く紹介してきたが、今回紹介する1990年の元日にTBSで放送された「源義経」は、色々な意味で「真打ち」とも言うべき作品である。

放送時間も五時間と長時間であるし、バブル時代の作品であるから映画並みの予算も費やしており、またキャストも正月の出し物に相応しいオールスターキャストで、思いつくままに列挙してみても松方弘樹(武蔵坊弁慶)、高橋英樹(藤原秀衡)、岩下志麻(平時子)、十朱幸代(北条政子)、千葉真一(覚日=義経の鞍馬寺での師)、若山富三郎(平清盛)、津川雅彦(後白河法皇)、島田陽子(金売り千寿=吉次)と、いづれも大河ドラマの配役クレジットのトメを務めても違和感ないほどの大物ばかりである(括弧内は役名)。

なのであるが、この作品、破茶滅茶の度合いで言えば、過去に紹介した同シリーズの「太閤記」(「時代劇レヴュー⑲」参照)に匹敵する作品で、インパクトと言う点では「太閤記」と「源義経」は二大巨頭と言って良いだろう。

後にも先にも、これほどの作品にはなかなかお目にかかれない。

私個人のどうでも良い思い出であるが、放送当時小学生だった私は源平合戦の話が好きで、この作品の放送を楽しみにしていたものの当日風邪引いて寝込んでしまい、泣く泣くリアルタイムで見るのを断念した。

その一年くらい後の再放送でこの作品を見たのであるが、ごく大まかな歴史の知識しかない当時の私でも絶句したくらい史実と違う作りであったために、二度がっかりした覚えがある(笑)。

このシリーズは、元々が東映主導の正月気分満載、史実よりも娯楽色の強い作品ばかりであるが、それゆえか典型的な「判官贔屓」の心理に即して作られた義経一代記であり、義経の極端な美化に加えて、尋常でないほどの史実無視が目立ち、ここまで来ると「時代劇」ではなく史実をベースにしたファンタジー大作と言った方がしっくり来るかも知れない(むしろファンタジーと言う扱いで放送してくれた方が、視聴後のストレスもなくてすむのであるが 笑)。

細かい部分を挙げればきりがないが、その最たるものは終盤に登場する「安宅関」のシーンであろう。

弁慶の機転で関所を突破するだけならよくある「勧進帳」をベースにしたものであるが、この虎口を脱した直後、梶原景時率いる鎌倉方の追っ手が義経に追いつき、そこで弁慶は義経を逃がすために楯になって「立ち往生」し、最後は景時を道連れにして死んでいく。

ちなみに、景時を演じているのは当時はまだ悪役専門だった綿引勝彦で、本作で描かれる景時は、義経を美化するためか救いようのないくらい嫌な奴になっていて、思わず景時が可哀想になってしまう。

本来平泉でやるはずの「立ち往生」を、こんな中途半端な所でやってしまうのも変であるが、史実では頼朝の死後まで存命であるはずの景時を一緒に殺してしまうあたりも、ここだけ見ると非常に理解に苦しむ描写である(史実云々をさておいても、別に景時が死のうが死ぬまいがストーリー上は特に影響はない)。

この立ち往生の直後のラストシーンで、義経は鎌倉を脱出した恋人の静(演・沢口靖子)と再会し、そして「その後の義経の足取りは、はっきりしたことはわからない、大陸に渡ってジンギスカンになったと言う説もある」云々と言う、それこそ訳のわからないナレーション(ちなみに本作のナレーターはタモリで、義経の物語を語り聞かせる現代の紙芝居屋と言う設定)が流れて物語は終わるのであるが、すなわち本作では義経が死なないまま終わる。

景時を道連れにしたのは、たぶん悪党は必ず報いを受けて滅びる的な描写で、見ている人の溜飲を下げる目的があるのであろう(これもある意味無理矢理な「めでたしめでたし」である)。

要するに、史実云々よりも「ヒーローに死んで欲しくない」「悪党はやっつけられて当然」みたいな大衆心理に即して作られているのが本作の大きな特徴である。

それはそれでわからないでもないが、個人的には、だったら最初から義経ではなく史実でもハッピーエンドで終わるような人物を選べよと思ってしまう。

さて、文句ばかり続いて不毛な話になってしまったのでこのあたりで終わりたいと思うが、文句ついでに書けば、東山紀之の義経は、確かにヒーローとしては格好良いかも知れないけれど、「天才」の面が強調され過ぎて傲岸不遜さが出てしまい、余り好感の持てない義経であった(笑)。


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