雑記:松代

長野県長野市松代町は、江戸初期に真田信之が上田から転封となって以降、幕末まで真田家十万石の城下町として栄えた地である。

真田氏の居城であった松代城の前身は、武田信玄が築いた海津城で、近年城門などが復元整備された。


松代城下の長国寺は真田家の菩提寺であり、境内には真田家歴代墓所がある。

墓所は普段は施錠されており、受付で拝観料を払うと内部を拝観が可能である。

墓所の入口には、初代真田信之の霊廟があり(長国寺の写真は二十年ほど前に撮影したものであり、当時の記憶は曖昧であるが霊廟の写真は見当たらなかったので、撮影するのを失念したのかも知れない。下の写真一枚目の後方に移っている建物が霊廟である)、墓所内には信之以下歴代藩主の墓塔が建ち並んでいる。

墓塔はいづれも宝篋印塔であるが、ただし形式や法量がすべてほぼ同じであることから、それぞれの当主の没後順次造立したものではなく、江戸時代後期に一度に造立したものと考えられる。

長国寺には信之の他に、三代幸道と四代信弘の廟が現存しており(幸道廟は現在は開山堂に転用)、元来藩主の墓所は墓塔ではなく霊廟であったと思われる。

五代信安の時代には、松代藩は深刻な財政難になったためにそれ以前のような廟が建造出来なくなり、信安以降に宝篋印塔に変わったのだと考えられ、おそらく四代以前の墓塔もその時に一度に造立したのであろう。

墓所内の一番奥まった所には初代信之の墓があり、家祖信之は死後に神としてまつられたために、この石塔にだけは鳥居が付随している。

信之の墓のみ隅飾りの形式が異なり、法量も他の塔と比べて若干大きいが、ただこの石塔も信之の没年よりもずっと後に造立されたものと思われるため、鳥居と同様に形式を代えることで家祖の信之を特別視したのであろうか。

信之の墓の向かいには、信之の祖父・幸綱、父・昌幸、兄・信綱の供養碑がある。


同じ松代町の大鋒寺は、元々は初代藩主真田信之(信幸)の隠居館があった場所であり、信之の死後にその法号にちなんで大鋒寺が建立され、この地にも墓塔と御霊屋が営まれた。

信之の墓塔である宝篋印塔は、三メートルを超える大型の石塔であり、信之の没年と法号を刻むが、こちらも長国寺の墓と同様に、石塔の形式からするに江戸時代後期の造立と考えられる(ただ同じ江戸時代後期でも、大鋒寺の宝篋印塔の方が造立年代はより古いと思われる)。

元々あった石塔が、江戸後期になって造立されなおされたのか、それとも当初は御霊屋だけで墓塔はなかったのかはわからない。

なお、この大鋒寺の信之霊廟(二枚目)は、長国寺のそれとは異なり書院を改装した簡素なものである。

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