続・時代劇レヴュー㊳:武蔵坊弁慶(1986年)

タイトル:武蔵坊弁慶

放送時期:1986年4月~12月(全三十二回)

放送局など:NHK

主演(役名):二代目中村吉右衛門(武蔵坊弁慶)

原作:富田常雄

脚本:杉山義法・下川博・松島としあき


1984年から1986年にかけてNHKで放送された「新大型時代劇」の第三弾で、同シリーズとしては最後の作品である。

このシリーズは、所謂「大河ドラマ」が一時的に現代劇路線に移行した時期に、旧来の大河ドラマファンを取り込む目的で製作されたものであり、前二作が大河ドラマ同様に一年ほどのスケジュールで放送されたのに対し、本作は放送時にはすでに翌年(1987年)から大河ドラマが時代劇路線に戻して「独眼竜政宗」を放送することが決定していたため、「独眼竜政宗」の放送開始に合わせる形で九ヶ月にて放送終了となった。

本作の主演には、歌舞伎「勧進帳」で弁慶役を十八番とする二代目中村吉右衛門が起用され、脚本には第一弾の「宮本武蔵」でも脚本を担当したヴェテラン・杉山義法を再起用している(ただし、本作は「武蔵」と異なり、杉山の単独脚本ではない)。

そのため、後年日本テレビで放送され、同じ杉山が脚本を担当した「年末時代劇スペシャル」第七弾の「源義経」(「時代劇レヴュー㊲」参照)と台詞や展開の一部が共通している(後、義経の正室である川越重頼の娘の名前が、作中では「若の前」となっており、その名前が日テレ「義経」でも踏襲されている)。

物語は、若き日の弁慶が播磨の書写山円教寺に入る所から始まり、衣川で立ち往生するまでを描いている(物語も、例えば源頼朝奥州攻めなど、弁慶死後のエピソードが登場することは全くなく、立ち往生がラストシーンである)。

武蔵坊弁慶は知名度は高いものの、その事績は大半が後世の軍記物や講談による所が多く、出自も含めてその実像はほとんど不明な人物なのであるが、それを逆手にとってか、本作ではかなり通説や定番の軍記とは異なる描写がなされている。

例えば、弁慶が一時期不興を買って義経の許から去っていたり、「勧進帳」のエピソードも、安宅関で富樫泰家(本作での名は「富樫家経」)の前で白紙の勧進帳を読み上げる際は弁慶一人で、怪しまれた義経を打ち据える描写は、その後で関口五郎義忠の前で行うことになっていたりする。

また、立ち往生のシーンにしても、高館ではなく、藤原泰衡の襲撃を予想して平泉を脱出し、蝦夷に向かう途中に泰衡の兵に追いつかれ、義経を逃がすために弁慶が敵を食い止めるという解釈になっている(弁慶自身は、たとえ義経が一人になっても蝦夷に落ち延びることを最後まで願っており、そのため弁慶が敵を食い止めているさなかに持仏堂が炎上するものの、義経が弁慶の言葉に反して自害したのか、それとも持仏堂の炎上に紛れて脱出したのか、どちらか明確に語らないまま物語は終わっている)。

これらの点については、原作がそうなっているのか、メインライターの杉山のアイデアなのかは、私は原作を未読なのでわからないが、後年杉山が脚本を担当した前述「源義経」では、本作とは異なり通説通りの描写がなされている(弁慶に妻子がいると言うのは、原作の設定通りである)。

個人的には、上記のような大胆な創作はともかく、物語全体のバランスの悪さが気になった。

本作では全三十二回のうち半数近くが、平家滅亡後の義経主従の流転の物語に当てられており(壇ノ浦の戦いで平家が滅亡するのが十九回)、そちらのエピソードがやたら長いのに対し、義仲追討・一ノ谷・屋島・壇ノ浦などの源平合戦はだいぶあっさりと終わっている。

この点は、本作を含む「新大型時代劇」が大河ドラマと異なり低予算で作られたために合戦の描写を極力抑える必要があったこと、他の二作品と異なり、放送時間が一年未満と短めであったために、エピソードを削る必要があったことなどが推測されるが、いづれにせよ何となく勿体ないような感じもする(後、前半がハイペースで進むために、後半は何となくだらだらと物語が続く印象になってしまったことは否めない)。

反面、義経主従の流転に長い時間を割いたこともあって、弁慶以外の義経の家臣についても、一人一人の描写を丁寧に掘り下げることには成功しており、特にジョニー大倉演じる伊勢三郎は、弁慶とはまた違った魅力的な人物に描かれていた。

軍事的には天才であるが軽薄な所もある義経(演・川野太郎)、意固地な所があるが平家一門随一の器量人である平知盛(演・隆大介。なお、本作では建礼門院に仕える女流歌人・右京大夫は、知盛に心を寄せつつも、最終的には自らを恋い慕う平資盛と結ばれるという設定になっている)、容易に腹の内を見せない冷徹な源頼朝(演・菅原文太)、かなり矮小化された小人に描かれる梶原景時(演・石田弦太郎=現・石田太郎)など、本作での登場人物のキャラクタの大半が、前述「源義経」と共通する人物描写となっているが(と言うよりも、本作の人物描写が日テレ「源義経」においても踏襲されていると言うべきであろうが)、ただ頼朝については、演じる菅原文太のイメージが訳のキャラクタと合わず、頼朝のみは何となく最後まで不自然な印象があった(後白河法皇が登場人物の台詞内で語られるのみで、配役入りで登場しないのは、この時代を舞台にした作品では珍しい)。

ドラマとして決して面白くないわけではないし、吉右衛門の弁慶は流石に迫力も存在感もあるのだが、物語全体としては散漫な印象があり、個人的には杉山義法の手がけた作品の中では、たまにある「はずれ」の部類ではないかと感じた(余談だが、晩年の芥川也寸志が担当したテーマ音楽は大変良い)。

なお、本作と同じ原作を用いた時代劇が、1997年1月4日に新春時代劇スペシャルとしてテレビ朝日で放送されている(そちらでの弁慶役は松平健)。


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