中部地方の石造物㉓:大安寺宝篋印塔(土岐頼益、斎藤利永の墓)
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名称:大安寺宝篋印塔
伝承など:土岐頼益、斎藤利永の墓
所在地:岐阜県各務原市鵜沼 大安寺
各務原市の鵜沼は中山道の宿場町として栄えた場所であるが、鵜沼宿の中心地から北方の小高い丘を上った先にある大安寺は、室町時代の美濃守護・土岐頼益が開いた禅寺で頼益の菩提寺でもある。
境内の墓地には頼益と、その子の土岐持益に仕えた守護代・斎藤利永の墓が並んで建っている。
利永は文武に秀でた武将で土岐氏を助け、後に戦国大名・斎藤道三を出す美濃斎藤氏発展の基礎を築いた(ただし、利永と道三は血縁関係はない)。
宝篋印塔は向かって左側が頼益、右側が利永の墓で、左塔には応永二十一年、右塔には長禄四年とそれぞれの没年が刻まれている。
二基は在銘塔であることに加え、形式、大きさが微妙に異なり、美濃における室町時代前期から中期にかけての宝篋印塔の変遷を知る恰好の資料である(ただし、頼益の墓は塔身が後補である)。
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