北関東の石造物⑯:光厳寺層塔、石幢

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名称:光厳寺層塔、石幢

伝承など:なし

所在地:群馬県前橋市総社町 光厳寺


前橋市の総社町は、江戸時代初期に秋元氏が総社藩主一万石の領主として封ぜられた場所で、光厳寺は慶長年間に秋元氏の菩提寺として秋元長朝によって開かれた寺院である。

境内には江戸時代後期の文化年間に造られた秋元氏の霊廟(一枚目)があり、その傍らには室町時代の層塔が建っている(二枚目)。

この層塔は元々は東覚寺と言う寺院にあったが、同寺が廃絶した後に光厳寺に移されたと言う。

現状が当時のままの状態かは判断が難しく、別の石塔との組み合わせであるならパーツによっては南北朝時代くらいまで遡るものがあるかも知れない。

なお、層塔の向かい、霊廟を挟んで反対側には「力田遺愛碑」と通称される角柱塔(三枚目)があるが、これは秋元氏の善政を慕った農民が、秋元氏が転封した後に徳を称えるために造立したもので、前近代において領民側から領主を慕って碑を造立する例は非常に珍しいと言う。

光厳寺には、もう一つ東覚寺の遺物とされる石造物がある。

それが室町時代の地蔵石幢で、かつては光厳寺境内からつながる墓地内にあったが、現在は付近に住宅が建ち並んでしまい、一旦境内の外に出ないと行けなくなってしまった。

石幢(四枚目)は明応九年の銘文を持ち、塔身の正面には阿弥陀如来が、他の三面には二体づつ合計六体の地蔵菩薩が刻まれており、軸部に輪廻車を取り付ける穴があることから輪廻塔とも呼ばれる。


光厳寺の山門の向かいにある宝塔山古墳(七世紀末の古墳で、群馬県内では最大の方墳である)の上には、秋元氏の墓所があり、秋元氏は総社の後で川越、館林と転封したが、初代長朝以降歴代藩主の墓所は光厳寺に営まれた。

代々の墓塔は笠付の角柱塔である。

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