雑記:岩松町界隈

群馬県太田市の岩松町は、新田岩松氏名字の地である。

県道142号の岩松の信号からやや西に行った田地の中に、「尚純萩公園」がある。

ここは、岩松尚純の墓の保存のために整備された史跡公園で、公園内には岩松尚純、その夫人(秋吟尼)の墓と、同時期に造立されたと思しき石塔の計三基の五輪塔がある。

石塔はいづれも土壇の上にあり、向かって左側の二基が岩松尚純・夫人の墓である。

岩松氏は新田一族であるが、南北朝の動乱では足利方についたことから、室町時代にはこの地を領有して栄えた。

しかし戦国期になると、重臣の横瀬氏(由良氏)に実権を奪われて没落、その実権を奪われた時期の当主が岩松尚純である。

尚純は隠居を強いられて家督を子の昌純に譲った後は、連歌三昧の晩年を過ごしたと言う。

尚純の墓の地輪には永正八年銘、夫人の墓には明応八年銘(夫人の方が先に没している)があり、墓塔であることがはっきりしているが、各部は乱積みの可能性が高く、おそらく当初の形ではないだろう(ただし、各パーツは同時期のものである)。

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尚純萩公園の東隣の田地の中には、義国神社の小さな社が建っており、これは新田氏の祖である源義国(源義家の子で、新田義重の父、足利氏の祖でもある)をまつったものである。

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社殿の前には上部が欠損しているが、観応二年銘のある板碑があり、社殿の後方には、これも欠損が激しい五輪塔(水輪と火輪のみが当時のもので、地輪と空風輪は後補)がある。

五輪塔は義国の供養塔と言うが、おそらく板碑と同時期の南北朝時代の造立であろう(岩松氏が造立したものであろうか)。

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義国神社のさらに東方には青蓮寺があり、同寺は源義国の開基と伝わる。

隠棲した尚純も、この地に館(静喜庵)を構えて居住したと言い、寺には尚純の自画像も伝わる(原本は現在、群馬県立歴史博物館寄託)。

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その自画像をモデルにしたレリーフが、先程の尚純萩公園内にある。

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