足枷

何か小さいことに許せなくなったりこだわったり。細かいことなのに気になって仕方なくなったり。

そういうときってものすごくあるのだけれど、きまって

女々しいなぁ
器が小さいなぁ
めんどくさいやつだなぁ

とかそんなことを思ったりする。

男のくせに

どこかそう思っている自分がいる。
noteでは一人称を「あたし」にしているけれど、私生活では「あたし」と「俺」の2つを使っていると思う。最近少し使い分けをしている気がするけれど別に一人称に性別の考え方は含まれていない。
美容も好きだし、言葉遣いも相まってなのか、たまに勘違いされるけれど、あたしは男の子に恋愛的な感情を抱くことはない。あえて強調して言うと全く興味はない。

今の時代、性別に関してはデリケートになってきていて、こういう内容を書くときは気をつけないといけないな、とは思うのだけれど。セクシャルマイノリティって言うのかな、詳しく勉強したことはないからちょっとよく分からないんだけど。

セクシャルマイノリティを笑うことは差別に値する。

たしかにそうだと思う。好きになってしまったのならそれは仕方のないことだしそれが誰であろうと他の人間が口を出す必要なんて無いと思う。ただ、

セクシャルマイノリティでない人をそうだとまつりあげる

これも立派な差別だと思う。結構勘違いされて勘違いされるのも困るけれど、その度に弁解するのも嫌で仕方ない。こういうものは弁解すればするほどさらに悪化するから泥沼である。

中性的になりたい

少し矛盾するかもしれないが、そう生きたいなって常々思う。
美しくなりたいし力もほしい。ここでいう力っていうのは何だろう、○力って呼ばれるもの全般かな。体力、とか。都合がいいかもしれないけれど。

男のくせに、女らしく

そういう言葉を聞くたびに辟易とするし、きっと人間である以上、性別という枷を外すことはできないのかもしれない。

男のくせに

って思う自分がいる度にものすごく嫌気がさす。だって気になってしまうものは仕方がないし、気になるのは性格であって性別ではないし。括りの中で生きている自分にストレスを感じる。根本的な問題として、認識の中に細かいことが気になってめんどくさいのは決まって女の子、男の子はもっと大胆で。といった断定が潜んでいることもまた問題であって。

引用って勝手にしてもいいのかな。あたしライターさんが好きなんだけれど、すごいピンとくるツイートをしてるライターさんがいて。

このことばの意味する思考?感情?マインド?、どう表現したら良いのか分からないけれどこれがなくなるだけで、楽になれると思うんだ。少なくともあたしはもっと楽になれるなって思う。

誰が何をどう考えようとどう行動しようといいじゃない。同じ人間なわけだし。

自分はそういった偏った思考は持ち合わせていない、と思ったって潜在的にはどこかもっている部分があったわけで。
これってさ、かなり取り除くのが難しい域にきているくらい根深い気がするんだよね、あたしだけじゃなくて。

あたしめんどくさいやつなんですよ。付き合うの本当にめんどくさいと思う。あたしと仲のいい人は扱い方を知っているというかよく付き合ってくれるなぁって思うくらい(感謝しなきゃですね)。

変わればいいのかもしれないけれど、そのめんどくさい性格も受け入れてあげたいんだよね、いや、変わりたくない、変われないだけだね。でもめんどくさいのはあたしの性質であって、そこに性別は関係ないって思えるようにはなりたいな。贅沢を言えば、そのめんどくさいところを理解してくれて「ハイハイ」っていって受け入れてくれる人が増えたらいいな。わがままだな。

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