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torikerapochi
【3分で読める世界史】ティムール朝の滅亡
快進撃をつづけていたティムール朝ですが、ティムールが亡くなると軍事力は弱体化していきました。
この記事を読めば、ティムールの最後の輝きと滅亡の様子が分かります。
①シャー=ルフの治世
ティムール亡きあと、後を継いだのは息子のシャー=ルフでした。
都をサマルカンドからヘラートに移し、攻撃的だった父ティムールとは対照的に、諸外国との国交樹立に尽力しました。
また文化を保護したため、トルコ=イスラーム文化が華開きます。
②トルコ=イスラーム文化の繫栄
シャー=ルフの指導のもと、ヘラートやサマルカンドでは文化が発展しました。
代表的なものは細密画(ミニアチュール)や文学が挙げられます。
ほかにもシャー=ルフの息子ウルグ=ベクが、天文学者として、サマルカンドに天文台を建て、精緻な天文表を作りあげ、天文学、暦などが発達しました。
③ティムール朝の滅亡
しかしシャー=ルフの死後、政治的には混乱がつづき、息子のウルグ=ベクも即位して間もなく暗殺されてしまいました。
そして16世紀初め、そんな不安定なところを狙われ、トルコ系のウズベク族(モンゴル部族です)により、ティムール朝は滅ぼされてしまいました。
終わりに
いかがだったでしょうか。今回はティムール朝の文化の発展と、滅亡についてお話させていただきました。
次回は、「イスラーム世界の繫栄」ふたつ目の帝国、サファヴィー朝の成立をお届けします。お楽しみに!
参考文献
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