【3分で読める世界史】オスマン帝国の発展
ティムール朝にまさかの敗戦を喫してしまったオスマン朝。
果たして復活なるのか。
この記事を読めば、オスマン朝が帝国になっていく様子が分かります。
①オスマン朝の復活と悲願
アンカラの戦いで、一時ストップとなったオスマン朝ですが(前回参照)、10年の時を経て再び動き出します。
そして完全に体勢を立て直した第7代スルタンのメフメト2世は、悲願だったコンスタンティノープルの攻略に着手。
10万の兵と300隻の軍艦を投入し、ついにコンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国を滅ぼしました。
オスマン朝は首都をコンスタンティノープルに移し、ローマ帝国の後継と称し、オスマン帝国の誕生となります。
②イスラームの盟主に
オスマン帝国の進撃は止まらず、バルカン半島の大半を制圧。
その後、第9代スルタンのセリム1世のもと、チャルディラーンの戦いでサファヴィー朝を撃破、小アジア(アナトリア)のほとんどを占領します。
次いでエジプトのマムルーク朝を滅ぼして、シリア、エジプトを手にいてるとともに、イスラーム教の聖地メッカとメディナを支配下に置きました。
これにより、オスマン帝国はスンナ派イスラーム教の守護者となりました。
③オスマン帝国の統治法
領土を拡大していったオスマン帝国は、その支配下にさまざまなバックボーンをもつ異教徒を従えることになりました。
しかし、彼らにイスラーム教を強制することはなく、貢納金を納めさせる代わりに信仰の自由を認めます。
そして宗教別に共同体(ミッレト)をつくらせ、そのなかでの生活を各々に任せました。
終わりに
いかがだったでしょうか。今回はオスマン帝国の復活から発展までを、お話させていただきました。
次回は、オスマン帝国の最盛期をお届けします。お楽しみに!
参考文献
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