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【3分で読める世界史】サファヴィー朝の栄枯盛衰

イランの民族意識を高め、オスマン帝国に対抗しようとしたサファヴィー朝。

宿敵に勝てるのか。

この記事を読めば、サファヴィー朝の栄枯盛衰が分かります。


①チャルディラーンの戦い

遊牧国家

イラン人の力を集結させて、オスマン帝国に挑んだサファヴィー朝でしたが、相手は強力でした。

セリム1世率いるオスマン帝国は鉄砲部隊で、サファヴィー朝の騎馬軍団を圧倒。(チャルディラーンの戦い

トルコ系騎馬軍団(キジルバシュ)の限界を、思い知らされました。


②アッバース1世の反撃

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しかしサファヴィー朝は、これでは終わりません。

騎馬軍団の限界を悟った第5代アッバース1世は、今度は鉄砲部隊をつくらせ、軍を再編しました。

そして満を持して、オスマン帝国に反撃。

アゼルバイジャンタブリーズなどを奪い返しました。

さらにポルトガルホルムズ島から追い出し、海洋交易の要所となるペルシア湾の入り口を押さえることに成功します。


③イスファハーンは世界の半分

イスファハーン2

こうしてサファヴィー朝の最盛期を築いたアッバース1世は、首都をイスファハーンに移します。

商業を保護し、イスファハーンは、さまざまなひとが行き交う街に発展。

イマームのモスクに代表される建築物の美しさと繁栄ぶりに、訪れたひとに「イスファハーンは世界の半分」と称されるほどの栄華を極めました。


④サファヴィー朝の衰退

中央アジア

しかしアッバース1世が亡くなってからは、しばらく平和な時代が続いたあと、混乱が続いていきます。

そしてオスマン帝国にイラクを奪われ、アフガン人イスファハーンを占領され、サファヴィー朝は衰退していきました。


終わりに

まとめ

いかがだったでしょうか。今回はサファヴィー朝の隆盛と衰退について、お届けしました。

次回はいよいよオスマン帝国の話に入ります。お楽しみに!


参考文献


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