5.3.2 商業の発展 世界史の教科書を最初から最後まで
9~10世紀に成立した西ヨーロッパの封建社会は、11~12世紀に「変化」を迎える。
その原因は、商業の発展だ。
一時はまったく衰退し「自給自足」が基本となっていたヨーロッパ。
しかし次第に戦乱が減り、農業技術発展によって農業生産の増えたこと、また、イスラーム教徒やノルマン人がさかんに商業活動を展開したことなどにより、商業が「復活」したのだ。
エリア別に、どんなルートの商業がさかんになったのか、確認していこう。
アルプスをまたぐ物流
最初に発展したのは、地中海の南北や東西を結ぶ貿易。
ヨーロッパのアルプス以北とアジア・北アフリカを結んだイタリア諸都市は、中国とインドを結ぶ”東南アジア”のように、遠くはるばるやってきた商人を結ぶ役割を果たした。
3大港町は、東京ディズニーシーのモデルとなったヴェネツィア(英語ではヴェニス)や、
バジルの入ったジェノヴェーゼで有名なジェノヴァ、
それにピサの斜塔で知られるピサだ。
ここには東方から香辛料、絹織物(ダマスク織など)、宝石といったセレブなぜいたく品(奢侈品(しゃしひん))が持ち込まれた。
また陸ルートからは北部のミラノや
中部のフィレンツェ(英語ではフローレンス)などの都市で、毛織物業や金融業が栄えたよ。
ミラノコレクションで知られるように、ミラノでアパレル産業がさかんなのはその名残だね。
ミラノではヴィスコンティ家とスフォルツァ家、フィレンツェのメディチ家が、屈指の大富豪として政治や宗教の世界にも影響を与えた。
これら地中海商業圏がかき集められたアジアの富は、アルプス越えルートや、南フランスからローヌ川に沿って北上。
物資が集まったのは、パリ南東のシャンパーニュ地方というところ。
ブドウの産地、つまりワインの産地でもあり、「シャンパン🍾」の語源でもあるね。
このシャンパーニュ地方は、マース川、モーゼル川、セーヌ川に囲まれた地域。主要な交通手段が船であったヨーロッパにあって、シャンパーニュ地方は東西南北に広がる物流のセンターだ。
シャンパーニュの支配者は商人を保護することで財政収入アップを狙い、12世紀前半にかけて領内の6つの年市の開催時期を調整するようになった。
これを「大市」(おおいち)というよ。
現在に比べれば、取引される量も額もぐんと少なかった当時、常設のショッピングセンターを構えることはなかなか難しい。
そこで、時期を指定して商人たちがあつまるイベントを開催したというわけだ。
このシャンパーニュ地方には、北海やバルト海方面から、重くてかさばる日用品や工業原料がもたらされた。
羊毛、毛皮、
蝋、蜂蜜、“森の宝石”コハク、
“バルト海の黄金”ニシン、
木材、小麦、すずなどが集められ、”国際展示場”のような位置づけとなっていたんだよ。
活躍するドイツ商人たち
北海やバルト海方面から物資を集荷・保管・輸送・販売した商人は、おもにドイツ商人だ。
彼らは、壮大なホルステン門で知られるリューベック、
ハンブルク、
ブレーメン
を拠点に活動し、ノルウェー(ベルゲン)、
イングランド(ロンドン)、
ロシア(ノヴゴロド)、
ベルギー(ブリュージュ)
にも商館を置いていたんだ。
異民族の商人に対抗するため、しばしば都市どうしが会議を開き、同盟関係を結んだ。これを通称「ハンザ同盟」という。ハンザというのは「組合」という意味。ちなみにドイツの航空会社「ルフトハンザ」は“空の”組合という意味だ。
ドイツ人の商人たちは、ライン川に注ぐ支流のマイン川の合流地点の都市フランクフルトや
マインツ、
ヴュルツブルク、
ニュルンベルク
を通って南下し、イタリア方面に南下した。
ちょうどヴェネツィアへのルートの起点にあたるアウクスブルクでは、周辺に銀鉱があることから繁栄。
フッガー家という豪商が幅を利かせるようになり、都市の政治はおろか、ドイツ王(神聖ローマ皇帝)に対しても影響力を持つようになっていくよ。
16世紀前半に神聖ローマ皇帝選挙で当選したカール5世も、このフッガー家の資金援助を受けている。
最先端のヒット商品は毛織物
当時のヨーロッパで人気だった商品は、「毛織物」(けおりもの)だ。
「なーんだ、ただの毛織物か」と思うかもしれないが、毛織物業には最先端の技術力が必要とされたのだ。
現在のベルギーにあるガン(ヘント)
やブリュージュ
のエリアは、フランドル地方と呼ばれ、毛織物の生産でヨーロッパで一番の工業地域となる。
フランドル地方に羊毛を提供したのは、イングランド王国のロンドンだ。
イングランドではさかんに羊が飼育されるようになっていき、それにともなって森林の伐採も進んでいった。
今では「のどかな田園地帯」に見えるイングランドの景色も、もとを辿るとこの時期の森林破壊が元になっているんだ。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊