世界史のまとめ × SDGs 第25回 冷戦の展開と、経済・社会・環境のアンバランスな関係(1953年~1979年)
SDGsとは「世界のあらゆる人々のかかえる問題を解するために、国連で採択された目標」のことです。
言い換えれば「2018年になっても、人類が解決することができていない問題」を、2030年までにどの程度まで解決するべきか定めた目標です。
17の目標の詳細はこちら。
SDGsの前身であるMDGs(ミレニアム開発目標)が、「発展途上国」の課題解決に重点を置いていたのに対し、SDGsでは「先進国を含めた世界中の国々」をターゲットに据えています。
一見「発展途上国」の問題にみえても、世界のあらゆる問題は複雑に絡み合っているからです。
しかも、「経済」の発展ばかりを重視しても、「環境」や「社会」にとって良い結果をもたらすとはいえません。
「世界史のまとめ×SDGs」では、われわれ人間がこれまでにこの課題にどう直面し、どのように対処してきたのか、SDGsの目標と関連づけながら振り返っていこうと思います。
【1】貧困はつづく
1950年の世界人口(25億2000万人)のうち、絶対的貧困から脱している人の数は約9億2300万人だった。
それが、1980年には世界人口(44億4000万人)のうち、25億2000万人となる。
比率は、約37%から56%に改善していますね。
ー着実に貧困に苦しむ人の数は減っているけど、まだまだ課題は残っているね。
【2】人や国の不平等はつづく
植民地から独立した国が、経済発展に力を入れているからですよね。
ーそう。
だけれど、自力で経済を発展させるのはなかなか難しい。
経済発展には「元手」となる資本や、技術などの「知識」も必要だ。
そこで、大国に頼ることになる。
つまり「工業化された」ソ連とアメリカがそれぞれの「理想とする社会体制」をかかげて火花を散らしながら、「工業化されていない」植民地や元・植民地の資源を利用する構造となった(図1)。
やがて、なかでもアメリカグループからの支援と中東からの安価な石油供給を受け、西ヨーロッパ(とくにドイツ)や日本は順調に成長を遂げていく(注:高度経済成長、経済の奇跡)。
図1
赤色の△は社会主義国家(自由な競争を禁じる)、青色の△は資本主義国家(自由な競争を認める)を表している。
しかし、中東で戦後4度目の大きな戦争(注:第四次中東戦争、1979.10.6~10.24)が起き、石油危機が起きると、この構造は一変。
「工業化」の原動力だった石油の高騰は、西ヨーロッパ・日本・アメリカだけでなく、ソ連グループにも大きな打撃を与えた。
これを受け、石油の高騰を利用した中東の産油諸国が急速にのし上がった。
今までものづくりに邁進していた西欧・日本・アメリカでは産業の構造が変わり、サービスの提供や金融取引、それにハイテク産業化が推進されていった。
これに対してアジアでは、社会主義国の中国が一部自由化を導入。
アメリカグループに属したほかのアジアの国・地域(NIEs)を追いかける形で「工業化」が進んでいくことになる(図2)。
図2
世界経済は、単に北=先進国、南=開発途上国という構図ではなくなっていった。
【3】飢餓はつづく
ー世界の食糧生産はこの時期にどんどん増えていった。
農業技術の向上、品種改良や害虫駆除への取り組み(注:国際植物防疫条約(IPPC))の発展のおかげだ。
でも、地域によって農業生産の発展にはまだまだ大きなギャップがあった。
3-1. 先進国では農業の近代化がすすむ
この時期に高度経済成長を達成した日本では、農業・漁業・林業を中心とする第一次産業と、鉱工業・建設業(第二次産業)・サービス業など(第三次産業)で働く人の占める比率が逆転した(下図(社)日本リサーチ総合研究所))。
農家の所得が、それ以外の産業に従事するより相対的低くなってしまうと、経済発展にとってマイナス要因だ。そこで農業基本法が制定され、農家の所得を上げるための取り組みが実行に移されていった。
そこでは、とにかく生産性を上げることに焦点が置かれ、機械化された大規模な農家を育てることが目標とされた。
コメだけでなく「お金になる」作物の栽培も奨励されたよ。
結果は?
ー工業やサービス業との所得の格差を埋めようと、コメの価格が高めに設定された結果、この時代の終わりにはコメの「つくりすぎ」という問題が発生した。連作障害も問題だ。
ほかに農薬の使いすぎや畜産公害といった問題も発生する。
日本以外の先進国では?
ー大規模な農業がすすんでいたアメリカでは、農作物の「つくりすぎ」が問題となっていた。
そこでアメリカ・グループに組み込まれていた国々と協定(注:余剰農産物協定)を結び、「余った食料」を輸出する作戦に出たのだ。
学校の給食でパンが普及するようになったのも、この制度が背景にある。
3-2. 途上国は、先進国への輸出向け作物栽培に偏る
一方、熱帯エリアを中心とするアフリカ(サハラ砂漠より南)では、先進国向けの商品として輸出する作物の生産に特化していたところが多かった。
代表例はガーナだ。
ガーナはこの時代のはじめにイギリスから独立したものの、植民地時代のカカオ(チョコレートの原料)中心の農業を引きずっていた。
どんな点が問題だったんでしょうか?
ー輸出向け作物に偏った農業生産をすることで、国内の経済が世界の作物取引価格に左右され、富を吸い上げられてしまう点が深刻な問題だった。
「独立の父」となった人物(注:ンクルマ)は「脱カカオ」を掲げ、工業化と大規模な機械化を導入した集団的農業を推進したのだが、うまくいかない。
ソ連派への接近を警戒するアメリカの関与したクーデタによって、失脚を余儀なくされた。
植民地時代の経済構造からなかなか抜けきれなかったんですね。
3-3. 社会主義国では非効率な農業政策がつづく
ソ連グループはどうだったんですか?
ー機械化がすすみ、大規模な農業が普及していった点はアメリカ・グループと同じだ。
でも、ソ連グループでは土地は「国のもの」とされ、収穫物のほとんどは国におさめなければならなかった。その量も、ソ連の中枢である共産党が生産計画にもとづいていた。
じゃあ、自分でつくった分を、自分のもうけにできないってことですね。
ーそう。土地は「みんなのもの」(注:集団化)だからね。
しかも、この時代には農作物の買取価格が上げられたのに、農産物の値段は低く維持されたため、そのギャップを政府がお金を出して埋めるようになっていった(注:フルシチョフの農業政策)。
しだいにこれが負担となり、外国からの食料輸入は年々増えていくことになった。
効率良く生産すれば、ソ連だけで生産をまかなえそうなものですけど…。
ーつくってもどうせ自分のもうけにならないから、農家のやる気も失せていったんだね。
次の時代になると「自由な取引」を認めるなど、国によるコントロールを緩めていくようになるよ。
このように、この時期には工業化が進む一方で、世界全体でみると「ロス」(無駄)と偏りが多い農業のしくみが進んでいってしまったわけだ。
【4】感染症との闘いはつづく
ー食糧生産の増大、生活水準の向上とともに、世界全体としての人類の平均寿命は、この時代にどんどん伸びていった。
でも、まだ解決できていないのが、手強い感染症だ。
とくにハンセン病は患者がいわれのない差別や、国による強制的な隔離の対象になるなど、多くの人権侵害をもたらした。
「経済」を発展させていった裏には、「健康」ではない人を犠牲とした「社会」のしくみがあったのだ。
【5】教育格差はつづく
ターゲット4.2 2030年までに、全ての子供が男女の区別なく、質の高い乳幼児の発達・ケア及び就学前教育にアクセスすることにより、初等教育を受ける準備が整うようにする。
ターゲット4.3 2030年までに、全ての人々が男女の区別なく、手の届く質の高い技術教育・職業教育及び大学を含む高等教育への平等なアクセスを得られるようにする。
ーこの時代、識字率も世界規模でぐんと上昇していった。
識字率が上がることって良いことですよね。
ー文字が読めないと勤めることができない仕事も多いし、なによりもまず正しい情報を自分の意思で読み取ることができるということに意義があるよね。
一方で、社会学者のエマニュエル・トッドによると、識字率の上昇は社会の不安定化につながる要因であるという。
(注:鹿島茂氏のインタビュー(「識字率」と「周辺」。エマニュエル・トッドの理解を深める2つのキーワード)より)
たしかにこの時期には、各地で大きな政治的変動が相次いでいる。
◆アメリカ系企業の強い影響下におかれていたキューバでは、アメリカに近い大統領が追放され、社会主義の国づくりを進めてソ連グループに接近した(注:キューバ革命)。
◇ソ連・アメリカと距離を置き、中央集権的な国づくりを進めていたインドネシアでは、ソ連グループに近い政党(注:インドネシア共産党)の勢力が強まったが、クーデタにより政権が倒された。アメリカによる関与も疑われている(注:9.30事件)。
◆カンボジアでは徹底した「平等社会」をつくろうとする運動が盛り上がり、敵対勢力が虐殺された(注:ポル・ポト派の独裁)。
◇中国(中華人民共和国)では、社会主義を推進しようという国家的な運動に、多くの若者が動員された(注:プロレタリア文化大革命。中国の識字率の推移)。
* * *
また、この時代の後半になると、工業化が進み産業構造が転換していった先進国でも、若者たちにより「古い社会のしくみ」に異議をとなえる運動が相次いだ。
◆日本ではアメリカとの防衛協力を強化する条約をめぐって、政治運動が盛り上がった(注:安保闘争)。
◇アメリカでは、ベトナム戦争に反対する若者による反戦運動が盛り上がった(注:ベトナム反戦運動)。政府による支配を嫌う風潮は「インターネット」(ハッカー)文化へ、平和運動(注:フラワーチルドレン)は環境保護運動へとつながっていった。
◆フランスでは官僚主義に反発する学生・労働者らによる反政府運動が盛り上がった(注:五月危機)。この中で、女性の立場を高めようとする運動も盛り上がっていった(注:フェミニズム)。
【6】産業化はつづく
ターゲット9.2 包摂的かつ持続可能な産業化を促進し、2030年までに各国の状況に応じて雇用及びGDPに占める産業セクターの割合を大幅に増加させる。後発開発途上国については同割合を倍増させる。
世界のあちこちで「産業化」が進んでいますね。
ー農村に住む人の比率が減り、都市に住む人口が着実に増えているね。
理由は何でしょうか?
ーアメリカ政府は、世界各地の国で産業化がすすみ発展していくようにサポートすれば、その国の人たちはアメリカ側の「経済のしくみ」に賛成してくれるようになるだろうと考えていたんだ。
まず対象となったのは、ラテンアメリカだ。
現地の政権に援助を与え、アメリカの推進する「自由な経済」に同意すれば、軍人政権であってもサポートした(注:進歩のための同盟)。
一方、ソ連グループは、連邦のメンバーであった各地の国から資源や労働力を吸い上げ、産業化をすすめていった。
しかし、計画経済であるために、どこに何をどれくらいつくるかは政府がすべて決めていた。
アメリカグループに対抗するために、「最先端の文化」であることを強調した建築物(注:スターリン様式(社会主義リアリズム))が、ソ連グループ各地に建てられていった。
でも、その壮大さとは裏腹に、多くの人にとって経済が成長しているという実感には結びつかなかった。
産業化は、国民の生活に結びつく分野にまでおよんでいなかったからだ。
産業化の先にあった「みんなが平等な社会」づくりの目標には到底たどりついていなかったのが現状だ。
一方、植民地から独立した地域の多くは、アメリカ・グループとの貿易をおこなっていた。
(注:経済企画庁『昭和40年 年次世界経済報告』1965.12.7より)
けれども、輸出品のほとんどは農産物や鉱産物といった一次産品だ。
工業化はまだまだ進んでいない。
国連は何か対策をしなかったんですか?
ー先進国が中心になって、発展途上国の経済開発を促進するための組織を発足させている(注:UNCTAD(アンクタッド))。
だけど、ソ連グループとアメリカグループが援助の見返りに自分の陣営に引き込むことばかりを考えていたため、本当にその国のことを考えた援助とはいえないものが多かったんだ。
【7】開発と汚染はつづく
ターゲット12.2 2030年までに天然資源の持続可能な管理及び効率的な利用を達成する。
ーこの時代の先進国では、石炭に代わり、石油のエネルギーとしての利用がますます進んだ(注:比率は下記サイトを参照)。
石油の重要性が高まると、石油を産出する国々の地位が上昇(図1から図2へ)。
図1
図2
産油国エリアでは、現地の政権が大国と結び「一部の人の利益だけを確保し、国民全体のことを考えない政治」をすることが少なくなかった。
たとえば、このくににイギリスから独立したナイジェリアという国では、石油をめぐって大国のからむ熾烈な内戦が起きている。
もともと他民族の住む地域だったエリアを、イギリスが一つの植民地として支配していたため、まとまりのない国として独立したナイジェリア。
そのうち西部の沿岸地帯は石油がとれるためリッチになり、油田地帯をコントロール下に置いた軍人がナイジェリアから独立をはかった。
独立をめざした国(注:ビアフラ共和国)はフランスなどが支援し、ナイジェリアをイギリス・アメリカやソ連までも支持。
大国が石油の利権に群がっている形ですね。
ー結局、ナイジェリアに包囲された油田地帯では「飢え」がひどくなり、独立は阻止されることになった。
おなかがポコンとふくらんでいる飢えた子どもの写真は、「アフリカは貧しい」というイメージを世界に広める役割を果たすことにもつながってしまう。
アフリカだから貧しいわけではなく、植民地の歴史や大国の思惑がからんでいるから貧しいわけなのにね。
また、この時期には「経済」を優先するあまり「社会」や「環境」に対して悪影響(注:外部不経済)をもたらす例も多発している。
ターゲット12.4 2020年までに、合意された国際的な枠組みに従い、製品ライフサイクルを通じ、環境上適正な化学物質や全ての廃棄物の管理を実現し、人の健康や環境への悪影響を最小化するため、化学物質や廃棄物の大気、水、土壌への放出を大幅に削減する。
日本では水俣病(みなまたびょう)がもっともよく知られているね。
【8】正しい情報をめぐる格闘はつづく
ターゲット16.10 国内法規及び国際協定に従い、情報への公共アクセスを確保し、基本的自由を保障する。
さまざまな問題が噴出していますが、当時の人はどんなふうにとらえていたんでしょうか?
ー同時代の人たちの中にも、【5】で紹介したようにさまざまな運動が生まれている。
とくに欧米では、安全で倫理的な商品かどうか、消費者が「生産者」をチェックしていこうという運動も盛り上がるようになっている(注:消費者運動)。
また、正しい情報を人々に届ける職業であるジャーナリストの活動も活発になっているよ。
アメリカとソ連の冷戦が厳しかった時代には、活動が制限されることもしばしばあったけど、その中でも「真実」を伝えるために写真や映像も駆使した情報の発信を行おうとした。
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