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14.1.7 ネップとソ連の成立 世界史の教科書を最初から最後まで

「戦時共産主義」(せんじきょうさんしゅぎ)という、「ものづくり」から「配給」に至るまでの厳しいコントロールを実施し、協商国(連合国)による攻撃をしのいだソヴィエト=ロシア政権


その“副作用”として、農業や工業の生産・流通機能は、ぐちゃぐちゃに壊されてしまった。


農民から強制的に農作物を徴発しすぎた結果、すさまじい規模の餓死者が続出。

※刺激の強い内容が含まれていますので、閲覧にはご注意ください。


これを放置していたんじゃ、革命政権に対する批判も強まってしまう。

1921年初めには、労働者や兵士からも「共産党が一党だけで支配するのは、まちがっているんじゃないか」という意見や抵抗運動が出るようになった。


当時のロシアの最高権力を握っていた「ソヴィエト=ロシア」のかじ取りをしていたのは「人民委員会」という組織で、事実上全ロシアの立法と行政の両方を握っていた。
その議長レーニン(在任1917〜1924)は、「労働者の代表」という“設定”で、圧倒的な権力を掌握(しょうあく)していたのだ。

事態を重く見たレーニンは、ここへきて国有化をゆるめ、穀物の徴発(ちょうはつ)も廃止。
農民に余った農産物を自分で自由に販売することを認め、中小企業が私的に営業することもOKした。

これを新経済政策ネップNEP)という。


あくまで共産党の一党だけの支配は変更されなかったし、銀行、大規模な工業、外国貿易を国家管理する制度もそのままだったけれど、一定の範囲で「自由な競争」によるビジネスを認めたことで、人々の “やる気”を出させ、批判をおさえることに成功した。
しばらくすると経済も上向き、まもなく生産は戦前の水準に戻ったよ。



そして、1922年12月には、シベリアから日本軍がようやく撤退尼港(にこう)事件を受け、北樺太には引き続き駐留)。

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ロシア帝国崩壊後に①ロシアのソヴィエトの工作によって、各地で権力を握っていた、②ウクライナのソヴィエト、

ベラルーシ(白ロシア)のソヴィエト、

ザカフカース(カフカス山脈の南部。現在のジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンのあるところ)


の各ソヴィエト社会主義共和国が連合する形で、1922年にソヴィエト社会主義共和国連邦(U.S.S.R.)が結成された。


こうして、ロシアのソヴィエトの支配下に置かれたさまざまな民族、

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島田竜登編『歴史の転換期8 1789年ー自由を求める時代』山川出版社、2018年、pp.82-83。

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バシキール人

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チュヴァシ人


そして、ウクライナの民族、ベラルーシの民族、そしてカフカース地方周辺の民族は、結局、ロシアのソヴィエト政権を中心とする支配下に置かれることとなったのだ。
ロシア帝国のエリアをそのまま “受け継いだだけ” って感じだね。

そのなかには、イスラーム教徒も多数いた。


「それぞれの民族の文化や言語を尊重する政策」がとられたものの、各地にはしだいに「ロシアの文化」が植え付けられていくことになるよ。

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民族問題人民委員のトップを務めたスターリン自身も、グルジア出身だ



1924年1月には、ソヴィエト社会主義共和国連邦の憲法が公布され、ロシアのソヴィエトを中心とする連邦国家の体制が固められた。

この体制には、レーニンの次のような考えが色濃く反映されている。

生産手段(ものづくりに必要な資本)を持たない無産階級(主に労働者階級(プロレタリアートという))が、革命によって、生産手段を持つ資本家階級の “道具” と化していた国をぶっ壊し、無産階級による新しい政府を建設した。

この新しい国は、できたばかりで脆く、国内外に “敵” がいる。

われわれ人民の国を守るためには、無産階級(プロレタリアート)の代表である一部の有能な指導者が必要だ。
独裁的なやり方にはなるけれども、しかたがない。

本当は独裁したいわけじゃないけど、今はしょうがないんだというわけだ。

これを「プロレタリアート独裁」というよ。


でも、資本家を革命によって倒したはいいけれど、それでいきなり「みんなが幸せ」な国になるとは限らない。
「資本家」という“敵”がいなくなっても、まずは社会の生産力を高めなければいけないよねというわけだ。
そこで、今後の道筋を、次のように設定した。


① まずはプロレタリアート独裁の下、誰もが能力に応じて働き、その働きに応じて受け取ることができる社会(社会主義の社会)をつくっていこう。

② それが実現したら、能力に応じて働き、必要に応じて受け取る社会(共産主義の社会)がやって来るはずだ。

こういう論理を展開したんだ。

つまり、「社会主義」という言葉と「共産主義」という言葉を分けて、2段階で達成すべきものだと規定したんだね。

まずは社会主義を達成しなきゃいけないから、プロレタリアート独裁が必要だし、その中心となるのは「みんなのまとめ役」であるロシア共産党(ボリシェヴィキ。のちにソヴィエト連邦共産党と改称)だ。

ソヴィエト共産党の言うことを聞かない者は、“人民の敵” 。

まずは社会主義を完成させるため、当面の間はすべての生産手段(土地や工場)は “国のもの” にさせてもらう。


こういうわけなので、ソヴィエト連邦は「マルクスの考え」を掲げて革命により建てられた国家ではあるものの、革命後も一部の支配層による支配は続いていったんだ。
お金や商品がなくなったわけじゃないし、国が保有する会社を通して資本主義の国との貿易も続けられたよ。


その後もソ連のエリアは拡大。
1991年に「消滅」するまで、15のソヴィエト社会主義共和国、20の自治共和国などから構成される、ユーラシア大陸の大半を占める広大な「国家」に成長していくこととなる。



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