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4.2.4 イスラームの国家と経済 世界史の教科書を最初から最後まで

ユーラシア大陸の西の端の西欧と、東の端の日本には共通点がある
「よそ者」に冷たく、「仲間意識」が強い点だ。
「新しい物」への耐性が低く、支配はどうしても画一的になりがち。
「よそ者」を警戒するあまり、防衛反応として「仲間意識」を強めがちなのだ。

その点、ユーラシア大陸の中央部とその周辺では、古来、環境にあわせて、農業だけでなく遊牧や狩猟採集など、さまざまなライフスタイルを営む人々が活動する、多様性(ダイバーシティ)豊かなエリアだった。


環境が厳しく、そもそも「よそ者」との交流がなければ、生きていけないところも少なくない。
そのため、エリアをまたぐ交易は古くから盛んで、物々交換の手間を省くため、貨幣やさまざまな取引のツールが発達していったのだ。



そんな西アジアにおいて、7世紀初めにイスラーム教が生まれた。


アラブ人たちに教えを広めたムハンマドさんは、いわば遠隔地に出張する商社マン。
さまざまなエリアでの経験を通して、「世界はさまざまな宗教や価値観がある」「人間にはさまざまなライフスタイルがある」こともよ~くわかっていた。

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彼の広めたイスラーム教が、やがて西アジア世界全体に広まっていったのも、その教えが西アジアという地域の多様性(ダイバーシティ)にうまくフィットするものだったともいえそうだ。

西アジアでは、乾燥エリアの中に農業地帯が分布し、現在でも都市と都市の間では「ベドウィン」と呼ばれる遊牧民が暮らしている。


歴代のイスラーム教に基づく国は、こうした違いを「当たり前のもの」とみなし、柔軟に対処していったんだ。

ムハンマドの代理人(イスラーム教徒の"まとめ役")であるカリフの力が強いうちは、広大なエリアに役人と軍隊が派遣され、住民から集めた税の一部を俸給(アター)として支給した。
言葉や人間関係の都合から、地元の有力者がそのまま役人として支配する例も少なくなかった。

しかし、バグダードのカリフの力が弱まると、俸給の出どころがなくなってしまう。
すると各地の有力者は、「もうカリフに従っているうまみはない」と判断。次々に自立するようになってしまった。

サーマーン朝、ブワイフ朝、ファーティマ朝、ムラービト朝などなど、9世紀以降「◯◯朝」という国が増えていくのは、そういう事情からなんだ。

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特にイランのブワイフ朝は、土地を直接支配するのはやめて、土地から税をとる権利を家来の軍人たちに与えた。
そのランクに応じて、税の一部を農民や都市の人々から取ることが認められたわけだ。
その後のイスラーム世界では、実力で成り上がった支配者(スルタンやアミール)が、その家来たちに徴税する権利を与えることが普通になっていく(本格的に施行されたのはセルジューク朝のとき。エジプトではアイユーブ朝のサラディンによって導入された)。



君主から家来の軍人たちに与えられた土地(またはそこから税金をとる権利)のことをイクターといい、この制度をイクター制という。
軍人たちは都市暮らしを楽しむため、しばしば代理人を派遣して取り分を徴収させた。
もちろん”利権”をもらったお返しとして、戦時には君主のために騎兵を整えて参戦する義務がある。
日本でいう“御恩と奉公”みたいだね。

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彼らは蓄えた収入を商業にもさかんに投資。特に、サトウキビ栽培や地中海〜カイロ〜紅海の貿易が栄え、商業の一代中心地となっていたカイロでは、大商人グループ「カーリミー商人」が、イクターを保有する軍人や君主の保護を受けて栄えたよ。

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彼らはインドや東南アジアにまでネットワークを持っていて、香辛料(スパイス)やインドの綿織物、奴隷などがはるばる地中海に輸入された。

イスラーム教に改宗すれば、ビジネスのネットワークに参加できるというわけで、中国、インド、東南アジア、アフリカ大陸各地でも、イスラーム教に改宗する人が増加。
現在イスラーム教徒の多いエリアが、

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当時のイスラーム教徒の活動エリアとほぼ一致しているのは、そのためだ。

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なお、商人たちは、もうけの一部を寄付することも忘れちゃいない。

ムスリム商人や支配者がお金を出し合って「ファンド」(基金)をつくり、そこから得られた収入で、カイロにはモスクや学院などの大規模な建築物やマーケット(アラビア語でスーク、ペルシア語でバザール)を整備したり、貧しい人々に施したりするシステムがあったのだ。



19世紀のイスタンブルの中央市場。
林佳世子『オスマン帝国の時代』山川出版社、1997年、73頁。


これを「ワクフ」といい、イスラーム教で奨励されている「寄付」の一例。”都市の宗教”であるイスラーム教の特徴があらわされた例といえるね。

(注)『クルアーン』雌牛の章 274. には「自分の財を、夜となく昼となく、人日を避けて、またあらわに施す者は、主の御許から報奨が下される。かれらには恐れもなく憂いもない。」とある。

なお、イスラーム教には「利子をとってはならない」という規定がある。
ただ、資本主義(自由な競争によって利益を追求するタイプの経済)がイスラーム世界も含めた全世界に広まった現代では、その規定を柔軟に解釈した「イスラーム銀行」という金融機関も見られるようになっているけどね。

その一方でイスラーム教では、財産の一部を”んでてる(人に寄付する)”喜捨(ザカート)が義務とされている。
商業を肯定的にとらえる一方で、過度な競争を防ぎ「たすけあい」の精神が重んじられている点は、注目すべきポイントといえるだろう。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊