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4.4.2 イスラーム世界の学問と文化活動 世界史の教科書を最初から最後まで

『コーラン』をベースにした学問

 イスラーム教徒たちには“聖職者”という階層がいない。
しかし、信徒たちを教え導く人はやっぱり必要だよね。
そこでウラマーと呼ばれる知識人が、教義に関する研究に従事したんだ。


神の言葉そのものである『コーラン』(アラビア語の発音はクルアーン)の解釈に基づき、「神様の意志をどう読み解くか」という神学(しんがく)が発展。

さらに「神様の意志を、現実の社会生活にどう適用するか」という法学(ほうがく)を発達させていった。

でも、『コーラン』をもとに法解釈をするといったって、『コーラン』の内容にはおのずと限りがあるよね。

そこで、ムハンマドが生前どんなスピーチや行動をしていたかをまとめる伝承(ハディース)が集められるように。


それが歴史学へとつながった。
9〜10世紀の歴史家タバリー(839〜923年)の『預言者たちと諸王の歴史』には、イスラーム教の初期の記録が詳細に記録されており、貴重な史料となっている。


さらに14世紀になるとイブン=ハルドゥーン(1332〜1406年)が『世界史序説』を著した。遊牧民と都市民の力関係の変化に”法則”を見いだし、人間の歴史を図式化しようとした野心作だ。

資料 イブン=ハルドゥーン『歴史序説』
「バドウ(★1)の民は生活の未開な手段として農業や牧畜を選び、一方、都会(ハダル)の民は職人の技術や商業を選ぶ。したがってバドウの生活が都会の生活に先行するものであることは、必然的な自然現象であるといえよう。一般に、指導権は支配と不可分であり、また支配は人々の連帯意識アサビーヤ(★2)を通じてもたらされるから、より広範な人々を支配するためには、個々の連帯意識を凌駕りょうがする(超える)ような広い連帯意識が必要とされる。そしてこの連帯意識は血縁集団、もしくはこれに類する集団のなかに認められ、しかも純粋な血縁関係はアラブ族のような粗野で未開な人々にのみ存在するのである。
 ところで連帯意識を通じてある部族集団に対する支配が達成されれば、次にはさらに他の集団に対する支配権を手に入れようとするのは自然の成り行きであろう。このような過程を繰り返して遂には一つの王朝権力が確立される。…… 
 しかし王権の所有者は名誉を独占し、安易と平穏を好むのが本性であるから、やがて王朝は衰え、その寿命は概して三世代、120年を越えることはない。第一世代はバドウの生活、つまり粘り強さとか素朴さを保持しているが、第二世代になると安楽な生活の影響で連帯意識に多少の衰えがみえてくる。そして次の第三世代では連帯意識は完全に消えうせ、やがて王朝はこれまで維持してきたものとともに滅び去ってしまうのである。」

★1 バドウとは、砂漠や草原,さらには農耕地帯をも意味するアラビア語。イブン=ハルドゥーンは、このバドウとハダル(都会)とを彼の社会論の基礎をなす対立概念として用いている。
★2 連帯意識は、彼の国家・社会論のもっとも重要な概念。
(出典:佐藤次高・訳、江上波夫・監修『新訳 世界史史料・名言集』山川出版社、1975年、45頁)

*イブン=ハルドゥーンは「歴史」をどのように展開するものと捉えているだろうか(第三世代で王朝が滅んだ後、バドウとハドルの民の関係はどのように変化するものととらえられているのだろうか?)。

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先行研究をベースにした学問


イスラーム教徒は、『コーラン』をベースにした学問だけでなく、先行するさまざまな文明から研究成果を引き継いだ。
これを「外来の学問」という。

「外来」の知識であったとしても、イスラーム教徒にとって"正しい知識"を追い求める行為は立派なおこないとされたのだ。

それに担い手はイスラーム教徒だけとは限らず、ユダヤ教徒やキリスト教徒など、さまざまな人々が研究に関わった。


彼らが自由に研究に邁進(まいしん)できた背景には、アッバース朝のカリフが、宮廷に大規模な図書館を設け、宗教を問わず専門家を集めたからだ。
その代表例が、9世紀初め(今から1200年ほど前)以後に活発化するバグダードの「知恵の館」(バイト=アル=ヒクマ)という研究施設を中心にとする「大翻訳」運動。

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13世紀のバスラにあった図書館


ギリシア語の文献がアラビア語に翻訳されると、マイモニデス(1135~1204年)のようにアラビア語で著作を書くユダヤ人の聖職者も現れるようになる。

アラビア半島という”田舎”の言葉だったアラビア語は、一躍地中海の南側~東側における”アカデミックな言語”となっていったわけなんだ。



自然科学も発展する


「外来の学問」を取り込みながら、医学、天文学、幾何学(図形に関する研究)、光学、地理学などの分野が発展。
患者さんを診たり実験したりすることによってさらに精度が高められていった。


インドからは医学、天文学、数学などの知識を獲得。
とくに「ゼロ」を表す数字を初め、インドの数字は、現在世界中で使われているアラビア数字のもとになったよ。

アッバース朝のカリフに仕えたフワーリズミーは代数学(xやyなどを使う方程式)や三角法(sin, cos, tan)を開発。彼は天文観察のための器具(アストロラーベ)の開発者としても知られる。

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フワーリズミー像


さらにウマル=ハイヤーム(1048〜1131年)は数学・天文学にすぐれ、非常に正確な太陽暦を開発している。

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ウマル=ハイヤーム


医学の世界ではイブン=シーナー(980〜1037)が有名だ。


こうした知識は、人工的にさまざまな金属を合成する錬金術や、光の進み方を研究する光学の研究成果とともに、ヨーロッパに伝えられた。
ニュートンガリレオといったヨーロッパの「近代科学」のルーツは、イスラーム教徒たちの研究成果にあったんだよ。


古代ギリシアの学問は、イスラーム教徒の神学にも影響を与えた。
特にアリストテレスによる緻密な論理が、神学者による『コーラン』の合理的で客観的な解釈のために使われたのだ。アリストテレスの研究者としてはイブン=ルシュド(1126〜98年)が有名だ。



そういうわけで10世紀以後 大流行した神秘主義も、「合理的な解釈」を否定するような方向には走らなかった。アリストテレスの哲学が、イスラーム教の教えに影響を与えたというのはおもしろいね。

文学の世界では、とくに詩の分野が発達し、アラビア語やペルシア語によって多くの美しい詩がよまれたよ。

ウマル=ハイヤーム(1048〜1131年)によるペルシア語の四行詩の詩集(『四行詩集』)は、イスラーム教の教えというよりは、イラン人の物の感じ方がふんだんに盛り込まれた作品を多数収録、イラン人にとって心の拠り所となっている。



一方、日本の『今昔物語集』のように、古今東西さまざまな面白い物語を集めた作品が『千夜一夜物語』だ。



アラビアン=ナイト』とも呼ばれ、インド・イラン・アラビア半島・ギリシアなどに起源を持つさまざまな面白話が収録され、16世紀初め頃(今から500年ほど前)までに、エジプトのカイロで現在の形にまとめられた。

商業を重んじ、旅人を大切にするイスラーム教を反映し、旅行記ものもたくさん著されている。
イブン=バットゥータ(1304〜68/69または77年)による『三大陸周遊記』(『旅行記』)は、メッカ巡礼を目的に、アフリカ、ヨーロッパ、アジアを股にかける大旅行を展開。

史料 
(ダマスクスにある数多くのワクフの)なかには、巡礼ができない人のためのワクフがあり、彼に代わって巡礼する人のためのワクフがあり、彼に代わって巡礼する人に十分な費用を与えるのである。花嫁のワクフは、娘の嫁入り支度をすることができないような家族に代わって娘を花婿のために嫁がせるためのものである。…旅行者のためのワクフもあり、食べるもの、着るもの、故国への運送費用が与えられる。道路の改善および鋪道設置のためのワクフもある。

歴史学研究会編『世界史史料2』(一部改変、実教出版『世界史探究』)



これだけ広い範囲を旅することができたのは、彼自身が教義に詳しい知識人(ウラマー)であったことにもよるけど、当時各地に貿易ネットワークが張り巡らされていたことも大きいよ。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊