イスラーム教徒の広がっていったのは、
古代オリエント文明以降、
ギリシャ人の文明、
アレクサンドロス大王以降のヘレニズムの文化、
ローマ人の文明など、
イラン人の文明など、
さまざまな文化が”ミルフィーユ”のように積み重なってきたエリアだ。
「イスラーム文明」とは、こうした多様な文化の”ごった煮“のように溶け合った文明(融合文明)にほかならない。
それは、アラブ人のアラビア語による文化を”タテ糸“にして、各地の人々のさまざまな文化が”ヨコ糸“として織り込まれるようなイメージ。
あでやかな布のように、ひとつの民族を超えた普遍的(反対の言葉は特殊)な文明が育っていったんだ。
みんなの知恵を合わせたほうが学問も技術も発展する
イスラーム文明が絶頂を極めていたころ、地中海を超えたヨーロッパの地域は「中世」(ミーディイーヴァル)と呼ばれる時期にあたる。
皇帝・国王やキリスト教会の権威が絶対だったヨーロッパでは、イスラーム教徒との交流を”オープン“にしづらい状況にあったんだ。
しかしながら11〜13世紀(今から1100年〜800年ほど前)になると、いくつかの場所でイスラーム文明の先進性に気づく人々が現れる。
スペインのトレドや、
地中海に浮かぶシチリア島のパレルモを舞台に、
イスラーム教徒がアラビア語に翻訳していた古代ギリシアの文献を、ラテン語に翻訳し直す運動が始まったんだ。
キリスト教の”神“中心の信仰にどっぷりとつかっていたヨーロッパの人々は、古代ギリシアの”人間中心“の合理的な考え方に衝撃を覚えた。
特に大きな影響を与えたのは、アリストテレスの哲学だ。
その緻密な論理は、「信仰をあざむこうとする"危険思想"」ととらえられかねないものでもあった。
しかし、イスラームの神学者ガザーリー(1058~1111年)が、古代ギリシアのアリストテレス哲学を応用して、理性と信仰のバランスをとった神学を打ち立てていったように、キリスト教の神学者の中でも教義を緻密に組み立てようとする際にアリストテレス哲学を利用しようとする試みも起きていく。
それは神学者の中に激しい議論(普遍論争)をもたらしたけれど、その中から多くの新しい物の見方や考え方が生まれていったんだ。
イスラーム教徒に触発された、ヨーロッパにおけるギリシア文化の”再発見”と”導入”の動きを、現在では「12世紀ルネサンス」と呼ぶことがある。
「ルネサンス」とは、ギリシア文化の”リバイバルヒット“のことを指す用語。ふつう「ルネサンス」というと、14世紀〜16世紀頃のヨーロッパで起きた”ギリシア文化リバイバルヒット“のことを指すんだけれど、20世紀に入ってから「12世紀にも同じような”リバイバルヒット“があったんだ」ということが研究によりわかったため、「12世紀ルネサンス」と呼ばれるようになったんだ。
***
「キリスト教のヨーロッパで生まれた科学は...」とか「西洋のヨーロッパ文明は、東洋のアジア文明と比べて...」なんていう説明を見かけることがある。
けれども、のちのちヨーロッパで科学が発達していく背景には、イスラーム教徒たちが受け継いだ古代からの遺産や、実験・観察によって積み上げた業績があることを、忘れちゃいけないよ。
世界は、「西洋」("ヨーロッパ")と「東洋」("アジア")だけでできているわけじゃないからね。