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歴史の扉 No.15 ココナッツの世界史

ひろがるココナッツ文化圏


ココナッツはポリネシア人の移動とともに太平洋に広まった。台湾付近から現在のインドネシアを通り、果てはハワイやイースター島にまで拡散したポリネシア人は、前近代にもっとも広範囲に拡散した民族集団のひとつだ。
これに対し、インド洋方面に伝わったココナッツは、太平洋に伝播したものとは異なる遺伝子型を持つようだ。そこから6世紀に東アフリカにココナッツを伝えたのはアラブ人だ。

遺伝子研究に基づくココナッツの伝播(Diana Lutz, 2011)



なんといってもココナッツに含まれる水(ココナッツウォーター)は、熱帯では "命の水"ともいわれる。カリウムやマグネシウムなどが豊富で、体への吸収もはやい。

また、ココナッツの胚乳からつくったココナッツミルクも、その独特な風味がゆえに古くから愛されてきた。

ココナッツの一人当たり消費量の分布(ココナッツミルク、ココナッツオイルを含む)、https://landgeist.com/2023/05/02/global-coconut-consumption/


東南アジアから南アジアにかけて「ココナッツミルク文化圏」とでもいうべきエリアが広がっている。
ベトナム料理のチェーは緑豆の食感とあいまって暑さを吹き飛ばしてくれるし、何かと話題になるタイのマッサマンカレーもココナッツミルクなくしてつくれない。

先ごろ今上天皇の訪れたジャワ島の仏教寺院遺跡のボロブドゥールにも、仏典に登場するスジャータがココナッツミルクで煮た粥を釈迦にささげる姿をあらわしたレリーフがのこされている。

ボロブドゥールのレリーフ

個人的には、ラオスで夕涼みに食べた甘いカオニャオマムアンの至福が忘れられない。

ヨーロッパにココナッツを持ち込んだ記録のあるのは、ポルトガルの航海者ヴァスコ・ダ・ガマだ。1498年にインド西岸のカリカットに到達し、翌年にはコショウとともにココナッツを持ち帰った。しかし19世紀に入るまで、ココナッツの消費量が爆発的に増えることはなかった。



石けんの原料としてのココナッツ


そんなココナッツに対し、商機が見出されるようになるのは、19世紀に入ってからのことだ。熱帯植民地でココナッツのプランテーションがつくられ、そこからココナッツオイルが生産されるようになった。


「プランテーション」と聞いて、なんでもかんでも「ヨーロッパ人によるものだろう」と考えるのは早計だ。

19世紀のココナッツ取引で巨富を挙げたのは、東アフリカのザンジバル(現在のタンザニア)を拠点に活動したオマーンのアラブ人だった。


彼らは奴隷や現地住民を用いてココナッツのみならずクローヴ(丁子)を栽培し、奴隷や象牙とともに盛んに輸出した。1819 年にザンジバルにココヤシの木が広まり、1840年代にクローヴ栽培に転換されるも、クローヴ価格が下落し、1860年代まで人気商品であり続けた。主要な顧客はフランスで、凝縮ココナッツオイル用に乾燥ココナッツ(コプラ)が取引された(高村美也子2014)。
オマーンは現在はアラビア半島の一角を占める国だが、当時はタンザニアのザンジバル島も領土に加え、海上の覇権を握っていた


では、なぜこの時期にココナッツが注目されるようになったのだろうか。
そこには、19世紀にヨーロッパを含む世界各地で猛威をふるったコレラペストといった感染症の流行が関係している。


立て続けに起きたパンデミックは、欧米諸国の都市民の「清潔」意識を大きく変えた。公衆衛生の重要性の高まりとともに、販売数を伸ばしたのが石けんだった。


石けんの原料として当初注目されたのは鯨油(げいゆ)だ。時あたかも欧米では急速に都市化の進み、夜中にもウィンドーショッピングを楽しむ中産階層が出現するようになっていた。鯨油は都市のナイトライフにとっても欠かせなかったのだ。


しかし鯨油の価格が19世紀半ばに高騰すると、今度はココナッツオイルの出番がやってくる。

アメリカにおける鯨油の輸入量(1805〜1905年)
鯨油消費は19世紀半ばにピークを迎えた
(Whale Oil=ナガス油、Sperm Oil=マッコウ油)、https://en.wikipedia.org/wiki/Whale_oil#/media/File:US_Whale_Oil_and_Sperm_Oil_Imports_(1805-1905).jpg、CC BY-SA 3.0


だが、すべての企業がココナッツオイルを使った石鹸生産に、うまく転換できたわけではない。なかにはココナッツオイルで揚げたフィッシュ・アンド・チップス販売に業態を変え、成功した中小企業もあった。

ところが、ココナッツオイルの天下は長くは続かない。第二次世界大戦後には大豆由来の油がとってかわることになる。この大豆の世界史的な見方については、おいおいとりあげていくことにしよう。

参考

・コンスタンス・L・カーカーほか 2022 『ココナッツの歴史』原書房
・Diana Lutz, 2011, Deep history of coconuts decoded, Washington University in Saint Louis, https://source.wustl.edu/2011/06/deep-history-of-coconuts-decoded/
・高村美也子 2014 『スワヒリ農村ボンデイ社会におけるココヤシ文化』名古屋大学大学院文学研究科比較人文学研究室


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊