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14.4.4 ナチス=ドイツとヴェルサイユ体制の破壊① 世界史の教科書を最初から最後まで

世界恐慌の被害をアメリカ合衆国に次いで受けたのは、ドイツだった。

当時のドイツ社会は、第一次世界大戦による男性の人口減と女性の社会進出の増加、戦場に行っていない若者(1900〜1910年代生まれ)の人口の相対的な増加、さらに人口は増加するものの出生率が低下する状況にあった。


そもそも、敗戦後の革命や恐慌、アメリカ的な価値観の流入を通して社会の「一体感」は揺らぎ、人々は先の見えない不安をかかえていた。


そんな中、1930年には、議会制民主主義を否定して国家改造を目指すナチ党と、同じく議会制民主主義を否定し革命を起こそうとする共産党など、議会制民主主義に反対する勢力(議会外勢力)が派手なパフォーマンスによって議席を伸ばし、国会の機能は麻痺していくことになる。


ナチ党はもともと政界のライバルがつけた呼び名で、正式には国民社会主義ドイツ労働者党という。
日本では「国家」社会主義ドイツ労働者党という訳が長らく一般的だったけれど、「国民」のほうが正確だ。
「社会主義のドイツ労働者党」という名前は、一見社会主義の政党のようだけれど、それに「国民」というワードをかぶせることによって、 社会主義運動を「国民」の側に引き離そうとする意図があった。
「国民」「ドイツ」という言葉と、「社会主義」「労働者」。
相反するようなキーワードを並べてくっつけたこの政党名は、「これまでの政党とは違った新しさがあるぞ」というイメージを放ったのだ。
なお、「ナチス」というのは、ナチ党員やナチ関連組織のメンバーのことをいう言葉だよ。


ナチ党の指導者は言わずと知れたヒトラー。
しかし、彼はナチ党の創設者というわけじゃない。


彼を描いた作品は数多あるから、ここで細かいことをいうのはやめておこう。




オーストリア生まれで、ドイツに移り第一次世界大戦の敗戦を経験。
芸術家・建築家になる夢の挫折や、

第一次世界大戦の敗北を「ユダヤ人のせい」とする時代の空気を取り込み、戦後、ナチ党に加入。たくみな演説力によってメキメキと指導者にのぼりつめていった。

あまりに過激で暴力的な主張は、当時は「変わり者」「変なやつら」という印象を受けていたものの、世界恐慌によって失業者が増えると、評価は一変。


農民や都市の中間層に限定されず、これまでの政党を支持しなくなった階級や階層の枠をこえる人々が、「既成政党に政治をまかせてはいられない」と、ナチ党に注目するようになったのだ。



ヒトラーは、一度に大勢の人々の心を動かす大衆宣伝の重要性にいち早く気づき、実務は “大衆宣伝の天才” ゲッペルス(1897〜1945)に任された。

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新聞やラジオなどのマス・メディアや、街頭パレードや特設会場におけるライブ演説などマス・イベントなどの大衆宣伝に、心を動かされる人が増えていく。


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ユダヤ人や社会主義・共産主義を攻撃する、ギョッとするようなポスターによる宣伝も、イメージ戦略として強い効果を挙げた(上はユダヤ人、下は社会主義者を攻撃するもの)。



当時のドイツ(ヴァイマル共和国)は、政治家が短期間に相次いで政権を建てるものの、根本的な改革にいたらないままに倒れる不毛な状況。
それらはカトリック中央党のブリューニング内閣、保守反動派のパーペン内閣、さらに国防軍の黒幕だったシュライヒャー内閣と、大統領が任命する少数派の政権だった。


政権を担当することのできる政党・政治家の選択肢がせばまるなか、他方で、保守的な産業界や軍部、政党が歩み寄ったのは、「過激」な主張で国民の耳目を集めていたナチ党だったのだ。
同じく支持を集めていた共産党の躍進を封じ込めるための提携だ。


「ヒトラーなら「国民の敵」(資本主義・共産主義の黒幕である(とされた)“悪質”なユダヤ人)を勇猛果敢に倒し、ラディカルにドイツの苦境を救ってくれる」

「悪い資本主義であるユダヤ人の国際資本主義を倒し、よい資本主義であるドイツ人の資本主義を守ってくれる」

「ヒトラーなら、異民族の病原体から、優秀な遺伝子を持つドイツ民族を救い出してくれる」

「ヴェルサイユ条約で失った領土をとりもどし、ドイツ人の “生存圏” を確保してくれる」


そんなわかりやすい世界観は、人々の心に浸透。

1928年の選挙では12議席、1930年の選挙で107議席に躍進。

こうして1932年の選挙でナチ党は第一党(230議席)となり、

1933年1月にヒトラーは首相に任命されたのだ。

ヒトラーを首相に任命したのは、第一次世界大戦の英雄 ヒンデンブルク(1847〜1934。大統領任1925〜1934)だった。




ただ、このヒトラー内閣は単独内閣ではなく、実のところ保守派の連合政権だ。
11名の閣僚のうち、ナチスはヒトラーを含めたったの3名だった。

「ヒトラー政権は長続きしないだろう」

それが、同時代におけるおおかたの見方だったのだ。








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