同時に学べる!世界史と地理 Vol.12 400年~600年の世界
巨大化した国が分裂する時代②
歴史:あれだけ大きかった国がバラバラになり、各地で個性ある国が新たにでき始めているね。とくにこの時期の後半に差し掛かることには、各地で今までの勢力が衰えを見せるようになっている。
例えば?
歴史: アメリカ大陸では、メキシコ高原のテオティワカンの文明が衰えた。
代わってマヤ文明の都市文明が盛んになっていくことになるね。
日本では仏教が伝来した頃にあたり、記録によると深刻な食料不足が起きていたらしい。さらに朝鮮半島南部の拠点を失っている。
代わって日本では中国文化を取り入れた飛鳥文化が、国づくりを進めていくことになる。
中国では、遊牧民の鮮卑が中国で建てていた北魏が東西に分裂。
北では柔然の勢力が弱まり、突厥に交替している。
で、中国は隋が統一することになるね。
インドではグプタ朝が滅亡。しばらくは分裂状態が続く。
西アジアではササン朝が、騎馬遊牧民のエフタルを突厥とともに撃退している。その後はビザンツ帝国との争いで国力を消耗していく。
その後の西アジアでは、遊牧民のアラブ人がイスラーム教によって広い範囲を統一していくことになる。
イタリアでは西ローマ帝国が滅んだ後、ゲルマン人の建てた東ゴート王国が滅んだ。ビザンツ帝国の進出で滅ぼされたんだ。
その後の地中海北岸では、代わってフランク王国が力を就けていくことになるね。
「古い世界」が一気に終了していますね。
どうしてこんなことになったんですか?
地理:気候が寒冷化したことが大きい。
当時の各地の記録や木の年輪の記録によると、天候が不順になり飢饉に襲われたようだ。
その原因は何ですか?
地理:火山の大噴火が原因といわれているけど、確定的ではない。
候補としては、東南アジアとジャワ島の間の海峡にあるクラカタウ火山ではないかともいわれている。
それに同時代には、アフリカを発信源とするペストの世界的大流行も起きたらしい。
歴史:前の時代まで栄えていた巨大な国は、大規模な土地で水を引っ張って農業をやって、それで多くの定住する人たちを養っていたタイプの国だったよね。
それに対して遊牧民は、単独ではどうしても「食べ物をそろえる力」や「物をつくる力」は定住型の巨大な国にはかなわないわけだ。
でも彼らには機動性の高い、軍事力という強みがある。
地理:でも気候の寒冷化により活動エリアが狭められてしまったことが遊牧民にとって「大打撃」となったんだ。
歴史:活動エリアを求め、遊牧民が定住民の世界に入っていき、互いの文化をミックスしていく。リミックスの結果、新しい支配のしくみや協力関係も生まれていくことになるんだ。
ただし、それはユーラシア大陸だけに限った話で、武装した遊牧民のいなかったアメリカ大陸では、ユーラシア大陸のような広くて巨大な国はなかなか現れない。
それではエリア別に順番にみていくことにしよう。
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●400年~600年のアメリカ
歴史:北アメリカの北極に近いところでは、トナカイ、アザラシ、セイウチを捕まえて、犬にソリを引かせて移動する人たちが現れるよ。
一面氷の世界ですよね。一体どんな生活をしていたんですか?
地理:夏の間にコケが生えるところでは、トナカイやシカを遊牧させて肉を主食とする。
もっと北の氷と雪に覆われたところ(注:氷雪気候)では、アザラシ、セイウチ、海鳥を捕まえるしかない。
集団を維持するためには少人数のグループでなければ成り立たない。
だから大きな国には発展していかないよ。
彼らの見た目は日本人とよく似ている。
約1万年前にユーラシア大陸とアメリカ大陸がつながっていたときに、陸路で移動した人たちだからだよ。
北アメリカの他の地域はどうですか?
今のアメリカ合衆国があるところでは、北の方では森で暮らす人たちの集まりが、北アメリカ最大の川(ミシシッピー川)では巨大なお墓をつくる小さな国ができている。
また、南西(北を上にして左下)の乾燥地帯ではトウモロコシづくりを基盤に、小さな国が発展している。
中央アメリカではテオティワカンがこの時期の後半に衰えをみせ、代わってマヤの都市が栄える。
ただし、いずれもユーラシア大陸のように広範囲の統一にはいたらなかった。
マヤ文明の所在地、グアテマラのフルーツ。Photo by Arturo Rivera on Unsplash
どうしてですか?
地理:熱帯の気候がジャマをしてしまうことや、大きな家畜や鉄がないのでユーラシア大陸のような武装した遊牧民の軍事力がなかったことが大きな原因だろう。
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●400年~600年のオセアニア
歴史:オセアニアではポリネシア人が、東への移動をいちだんと進めている。
どのへんまで拡大しているんですか?
地理:研究によってブレがあるけど、太平洋のど真ん中のマルキーズ諸島まで到達していた可能性がある(近年の研究ではもっと後だという説も)。
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●400年~600年の中央ユーラシア
草原地帯では遊牧民が活発に動いていますね。
歴史:そうだね。
この時代のモンゴルでは、柔然(じゅうぜん)という遊牧民の王様が「かがん」という称号を名乗っている。のちの「ハーン」という称号につながるもので、広範囲にわたってパワーを持っていたようだ。
その後「トルコ系の言葉」を話す遊牧民がモンゴルの草原の天下をとり、ユーラシア大陸をまたにかける商売民族(ソグド人)と提携することで栄えているよ。
西の方ではフン人がヨーロッパに侵入していますね。
歴史:彼らの侵入は、すでに分裂状態にあったローマ帝国に大きな影響を与えているね。
で、この時期の後半には世界規模で気候が一気に寒冷化したんでしたよね。遊牧民への影響はいかほどですか?
地理:まずモンゴル高原では柔然が、中国の北魏に降参し、その後は別の騎馬遊牧民の「突厥(とっくつ)」に滅ぼされてしまった。
で、この突厥に押し出される形でヨーロッパに進出したのがアヴァール人だ。
彼らは東ローマ帝国の領土に進出して、ドナウ川の中流域に王国を建ててしまうんだ。
どうして彼らが東からやってきたことがわかるんですか?
歴史:アヴァール人の王様も、柔然や突厥と同じく「カガン」を名乗っているからだ。
中央ユーラシアの遊牧民の世界は、西から東まで一続きになっているのがよくわかるよね。
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●400年~600年のアジア
○400年~600年のアジア 東アジア
中国では北から遊牧民が移住して、大混乱となっていましたね。
歴史:そうだね。この時期に漢人は南中国に移動し、混乱の中で大勢の人が命を落としている。
北では鮮卑人という遊牧民が中国風の国を建てていたけど、軍人の力が強まり分裂している。
南に逃れた漢人は独自の王国を建てて対抗するけど、こちらも軍人の力が強く不安定だ。
北と南に皇帝が複数いたってことですか?
歴史:そうだよ。
これをおさめたのは北の中国の皇帝だ。
隋という国を建てるよ。
まず取り掛かったのは南中国の皇帝を倒すこと。
物資や人を運ぶために人口の水路をつくった。
中国は南の方が経済が発展していたから、これによって南の富を北に「吸い上げる」作戦だ。
南のほうが発展していたのはなぜですか?
地理:南のほうが気温も高く、降水量も多い。
だから農業の生産量も多かった。
それに、港を通じてユーラシア大陸の西の方と「海上ルート」でつながっているのも利点だ。東南アジアからの船も来航しやすい。
東南アジアから、海のルートを通って北の港に行くことはできないんですか?
地理:中国の沿岸では海流が北から南に流れているから難しいんだ。
だから、船を降りずに北に行くとなると、内陸に運河をつくって連結させるしかないわけだ。
南北の気候の境目はどこにあるんですか?
地理:1月の平均気温が0度になるラインを引くと、黄河と長江の間の付近に東西の線(注:チンリン・ホワイ川線)ができる。
つまりこの線より北は平均0度を下回り、南は上回るということだ。
また、この線は年降水量が800ミリ~1000ミリの線でもある。
線より南では800~1000ミリの雨が降るから、米の栽培に適するということになる。
また、線より北では畑作が中心になる。
中国も地域によって気候に違いがあるんですね。
○400年~600年の東南アジア
南の方の中国が盛んだったのは、“お隣”の東南アジアから高い値打ちの商品が入ってきたからですよね。
歴史:その通り。
東南アジアでは、航海のテクニックが高まって、従来のようにマレー半島を陸で横断ルートに代わり、マラッカ海峡を通るルートが盛んとなっています。
すると、いままでは“田舎”に過ぎなかったスマトラ島・ジャワ島やマレー半島の南に貿易で栄えた港町を束ねる国も生まれるようになるよ。
○400年~600年のアジア 南アジア
歴史:南アジアにも草原の遊牧民による影響が出ている。
エフタルという遊牧民が北インドにまで進出して、統一王国が崩壊。
一方、イラン高原の王国(注:ササン朝)はモンゴル高原の遊牧民と協力し「挟み撃ち」に成功している。
○400年~600年のアジア 西アジア
西アジアは相変わらず栄えていますか?
歴史:豊かな場所である「2つの川の流れる地域」や港町をめぐって、西からは東ローマ帝国、東からはイランの王国(注:ササン朝)が「取り合い」になっているね。
そこで商人たちはトラブルを避けて、アラビア半島の南側を船で回るルートを取り始めた。
そうすると、ここにイランの王国や東ローマ帝国も進出しようとしてくるし、アフリカのエチオピアの王国も利益を求めてアラビア半島にやってくるようになった。
そうなると、アラビア半島の遊牧民であるアラブ人の中からは、平和な取引ができるようにみんなでまとまろうという動きも現れてくるよ。
現在のパレスチナの遊牧民
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●400年~600年のアフリカ
歴史:アフリカでも遊牧民の活動は盛んだ。
サハラ砂漠を超えるラクダの貿易が活発になっているからだ。
砂漠の向こうに何があるっていうんですか?
歴史:地中海のほうから砂漠を南に進むと、金のとれる産地があるんだ。
それを砂漠でとれる岩状の岩と交換する取引がさかんになったんだ。
すると取引所は水のあるところにできるから、サハラ砂漠を流れる川沿いに町ができて、やがて支配者も現れるようになったんだ。
どうして西アフリカでは金がとれるんですか?
地理: 地球にある金は、もともとは地面の奥深くにあるマグマに由来している。
はるか昔、大陸がのっかっているプレートが移動し、ほかのプレートにぶつかるなどして活発に動いていた場所があった。
マグマが地表近くまであがってくると「マグマだまり」というのをつくり、それが地上に吹き出すと火山となる。
で、そのマグマだまりの周りにある地下水が温められて「熱水」になり、そこにマグマに含まれていた金や硫黄が溶け込むことがある。
その熱水が地面のすき間に湧き上がって、冷えて固まると「金」の鉱脈になるんだ。
なるほど。じゃあ金鉱は、大地の動きの活発な新期造山帯で発見されやすいってことですか?
地理:たしかに日本のような新期造山帯でも掘れるよ。
例えば日本で「熱水」が湧き出ているところは?
温泉!
地理:そのとおり(笑)
だから、温泉があるところには金の鉱脈がある可能性がある。その中に金が溶け込んでいる可能性があるわけだ。
でも、もっと深くにはもっと多くの金が眠っている可能性だってあるわけだけど、そんな深い部分が地表に露出するまでにはものっすごい時間がかかる。
だから結局、 「掘りやすい」ところ「豊富に分布するところ」は、アフリカのように、形成されてから長い長い時間が経ち、そこが削られてできた大地ということになる(注:安定陸塊)。
歴史:なお、西アフリカではバントゥー系の民族も移動を始めていて、狩りや採集をおこなっていた狩猟採集民は住みかを移動させる場合もあった。
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●400年~600年のヨーロッパ
歴史:ヨーロッパは遊牧民の侵入をもろに受けている。
ローマ帝国はどうなっちゃったんですか?
歴史:すでにローマ帝国は東西に分かれて、それぞれの管轄に皇帝が立っていた。
遊牧民たち(ゲルマン人)を押し止めることはもはや不可能になって、ローマ帝国の領土内に国を建てることを認めた。
で、もっとも手強いフン人という遊牧民を彼らに倒してもらったんだ。
敵に敵を倒してもらったわけですね。
歴史:「夷を以て夷を制す」ともいうやつだね。
でも、西側のローマの皇帝はその後、雇っていた遊牧民(ゲルマン人)の軍人に殺され、滅んでしまうよ。
ゲルマン人たちはグループごとに国を建てていたけど、そのうちフランスの北に建国したフランク人はローマの文化を積極的に受け入れ、ローマを本部にするキリスト教の考え方を採用したんだ。
「遊牧民」っていいますけど、ヨーロッパには草原地帯があるんですか?
地理:いいところに気がついた。
雨が一定量降らないと木は生えないわけだけど、ヨーロッパには乾燥草原はない。雨がちゃんと降るからね。
だから家畜と一緒に暮らすっていっても、ライフスタイルは遊牧するよりも「農業ができるんだから農業すればいいじゃない」ってことになる。半農半牧の生活だ。
さらに先住の農耕民との交流もあって、文字や宗教を学ぶなどの刺激も受けているね。
農耕民の国家で兵隊として働くものも現れるようになる。
遊牧民も、圧倒的多数の定住民と関わる飢えで、程度「妥協」をしたわけですね。
歴史:西ローマは滅んでしまったけど、代わりに生きながらえるのは遊牧民の被害の少なかった東側のローマだ。
経済が栄えていたアジアにも近いから、その都にはビジネスマンも多く集まった。
やがて西側のローマだったところにも進出して、昔のローマ帝国の領土を取り戻そうとしたけれど、結局それはできなかった。
その代わり、東のローマ帝国は、「かつてのローマ帝国」を受け継ぐ立派な国とされ、キリスト教の教会を守りながら地中海の東半分を支配し続けたんだ。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊