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【図解】これならわかる!ゼロからはじめる世界史のまとめ⑲ 1848年~1870年の世界(下)


―さて、この時代もいよいよ大詰め。
 アジア各地における抵抗運動はヨーロッパ勢力により鎮圧され、ヨーロッパ諸国の関心はまだヨーロッパに戻っていった。

当時のヨーロッパの様子は?

―「国としてのまとまり」が着々と整えられていくよ。


●イギリスの繁栄
 
相変わらず世界の貿易の覇権を握るイギリスは、絶大な海軍力で各地を支配。その世界的覇権は「パクス・ブリタニカ」、その時期は女王の名をとって「ヴィクトリア時代」と呼ばれます。
 ただし、アジアで立て続けに起きた抵抗運動の鎮圧で手一杯といった状態だ。

アリス・イン・ワンダーランド」はこの時期の終わりに、ある数学者(注:ルイス・キャロル)によって書かれた物語。




●フランスの敗戦
 
かつてヨーロッパ中を席巻した軍人皇帝(注:ナポレオン)の甥が国民投票によってまた皇帝(注:ナポレオン3世)に。
 自由貿易を推し進め、植民地獲得をガンガン進めるも、東のドイツ人がプロイセンという王国が中心となって「ドイツ帝国」として統一するために戦争を仕掛けた。

 フランスはこれに敗れ、皇帝は捕虜になってしまう(注:普仏戦争)。



●ロシアの大改革
 ロシアでは近代化・工業化をすすめる「大改革」を、皇帝(注:アレクサンドル2世)が推進。
 しかし、支配していたポーランドで「自分たちの国をつくらせろ!」という反乱が勃発。
 これを鎮圧したロシアは、この時期中央ユーラシアにも少しずつ進出し、イギリスとの対立が深まっていくことに。




●イタリア王国の成立
 長い間「イタリア」としてまとまったことのなかったこの地域が、ついにサルデーニャという王国によってまとまった。
 統一の影には、オーストリア、イギリス、フランスの意向もあったが、偶然(注:ガリバルディの赤シャツ隊)も手伝って、シチリア島やイタリア半島南部のナポリが加わる広い領域として統一された。

イタリア第二の国歌とも言われる楽曲




●オーストリアの「妥協」
 
ヨーロッパ中に影響力を持った「華麗なる一族」(注:ハプスブルク家)率いる帝国は、ドイツ人であるにも関わらず、「ドイツ帝国」との戦争に敗け、ドイツとは別の道を歩むことに。
 その背景には、モザイク状に分布する、さまざまな民族を抱えるオーストリアの「まとまらなさ」があった。
 ドイツとの戦争に敗けたことで、皇帝も「妥協」を迫られることとなり、国内ナンバー2の人口を持つハンガリー人に大幅に政治的な権利を与えることに。
 それ以降、オーストリア=ハンガリー二重帝国として、2つの政府が”二人三脚”する形の国家運営がとられることとなったのだ。

世紀末ウィーンにはさまざまな民族のひしめきあうグローバルな空間が生まれた。



●ドイツ帝国の成立
 
プロイセンという”田舎”の王国が、この時期、ついに天下を取る。
 プロイセンの王が、「ドイツ帝国」の皇帝に即位し、他の国も含めた広い範囲を支配することとなったのだ。
 プロイセン王の片腕の軍人エリート政治家(注:ビスマルク)の緻密な戦略により、戦争に戦争を重ねた結果である。


地域によって、だいぶ差が出ているようですね。

―そうだね。

 とくに東ヨーロッパ(東欧)は、西ヨーロッパ(西欧)に対するコンプレックスが強い。
 「遅れている」という意識から、急ピッチで工業化を進めていったのが、中央ヨーロッパのドイツ帝国だ。

 次の時代になると、あっという間に工業化を進め、アメリカとともに世界トップレベルの地位に躍り出ることとなるよ。


でも、これだけ新しい国ができると、それまでのバランスも崩れそうですね。

―そのとおり、国家間の関係にも緊張が走った。

 でもそのおかげもあって、アジアへのヨーロッパの進出はひと段落。


 ちょうどこの時期は、アメリカ合衆国で未曾有の大戦争(注:南北戦争)が起きた時期にも当たるから、アジアに静けさが戻っていた。

 日本が、ヨーロッパ諸国の介入を受けることなく、平和裏に近代化に向かうことができたのも、そのおかげと言えそうだ。


つまり、「江戸幕府の滅亡」ですね?

―そうそう。
 幕末―つまり、坂本龍馬や、新選組の時代を経て、ヨーロッパの制度を採り入れた「新しい日本づくり」が進められていくことになる。


このあたりは、「”世界史のなかの”日本史のまとめシリーズも参照してくださいね。


―新たな日本づくりのプランには、イギリスの外交官(注:アーネスト・サトウ)のアイディアや、ヨーロッパの思想や政治体制に学んだ学者・政治家(注:福沢諭吉の『西洋事情』など)の言論の影響も見られる。



世界史の大きな流れ抜きに、明治維新を理解することはできないわけですね。

―ほかの地域もザザっと見ていこう。

―アメリカでは、カナダがイギリスの自治領になる。


「自治領」って?

―植民地よりもワンランク上の領土。イギリス系・フランス系の住民が多かったことから、住民たちがイギリスの支配を嫌ったことへの対処だ。

 前の時代に独立を果たしたラテンアメリカでは、火薬や肥料の原料となる鳥の糞(注:グアノ)、天然ゴム、コーヒー豆の輸出をしまくり、一部の人だけに富が偏る不平等な状況が続いた。


どんな人に富が偏ったんですか?

―白人系だ。もともと植民地の親分だったスペイン系の子孫たちが多い。彼らはもともと大土地を持っていたからね。
 この、一部の人に大土地が集中し、ヨーロッパ諸国向けの輸出業者とつるんで政治や軍を動かす”ボス”(注:カウディージョ)が君臨しちゃう問題は、今後もラテンアメリカに暗い影を落とすことになるよ。

 同じ頃、アメリカ合衆国は南北戦争の戦後処理。
 南部の制度を北部主体で徹底的に廃止し、北部主導の「アメリカづくり」を目指した。でも、北部の軍が撤退すると、「南部らしさ」が復活。黒人への差別も根強く残った。
 また、この時代の終わりには西部太平洋岸に向けた大陸横断鉄道も開業している。この建設には、多数の中国人やアイルランド人が関わったんだよ。

どうしてですか?

―黒人奴隷が廃止されたため、新たな ”低賃金労働者”(注:苦力(クーリー))として、中国人に白刃の矢が向けられたんだ。
 現在世界各地にチャイナタウンがあるのは、その影響でもある。
 さらにアイルランドはこの時期の初めに大きな飢饉(注:じゃがいも飢饉)があって、故郷を捨てておおくの人がアメリカに向かった。その影響だ。


インドは?

―インド大反乱が鎮圧され、イギリスの直接支配が始まった。さまざまな形で収奪される富(注:本国費と呼ばれた)はイギリスにとっては絶好の「金づる」。
 この時期の終わりにはエジプトに、地中海とインド洋を結ぶ運河(注:スエズ運河)が建設された。はじめはフランスとエジプトの出資によって建設・運営されるけど、次の時代にはイギリスが経営権を獲得することとなる。


 地中海とインド洋を結ぶルートはイギリスにとって重要なルート(注:帝国航路)であるだけでなく、アジアの人々にとっても、各地に整備されたイギリス勢力下の港町は、商業の上でも、ヨーロッパに留学する学生にとっても重要なインフラとなったんだ。



アフリカでは?

―内陸への進出はまだ本格化していない。感染症の問題がクリアされていなかったことと、単純に地理的な情報が不足していたことが大きいね。

 南アフリカのイギリスの植民地(注:ケープ植民地)では、先住のオランダ系の住民(注:ボーア人)の追い出しが進んでいった。オランダ系の住民たちは自分たちの国をつくったけれど、次の時期にはイギリスの攻撃により殲滅されることとなる...。


ヨーロッパには「国民の国」って書いてありますけど...。

―うん。


「国民の国」って...そのまんまでは?

―あー、国民の国(注:国民国家)、つまり「国は一つの国民によって成り立っている(成り立つべきだ)」っていうのは、この時期のヨーロッパで強化された考え方に過ぎないんだよ。
 それが、世界中に広まって、「国っていうと、一つの国民によって成り立っているのは当たり前じゃないか」ということになったわけだけれども。

 「一つの国民によって国が成り立っているんだ」っていう考え方は、小学校段階からきっちりと「国民のカリキュラム」を教育することによって、効率良く普及させることができることも明らかになった。
 だからこの時期には、教育をする主体が、キリスト教の教会や地元のおっちゃんではなく、国によって認定された「資格を持つ先生」へと変わっていくんだ。

 もちろん実際には一つの国の中にさまざまな民族がいる(その比率は国によっても違うけれども)。
 また、「自分は家ではAという言葉を話しているけど、Bという宗教を信仰していて、CやDやEのような人も属するFという国で暮らしているけど、そこまで自分が「A人」とか「B教徒」とか「F国民だ」っていう意識はない」っていう人もザラにいた。

 でもこの時期には、広範囲に情報を伝える技術が発達したことで、いままで意識をしたことがないくらい広い範囲の「仲間意識」を感じることも可能になっていく。
 また、社会の流動性が高まることによって、「自分は○○国民なんだ」という意識や、「○○国の支配しているアジアの●●人は、自分たちよりも劣った奴らなんだ」という意識も強まっていった(注:社会進化論)。



なんだかすごい変化が起きていたんですねえ。 


―「国民の国」(注:国民国家)という表現は、そういう変化を念頭においたものというわけだ。
 で、「国民」から”はみ出る”人たち、はみ出し者にとっては辛い時代となるわけなんだよ。
 例えば、国境をまたいで北アフリカ、西アジアからヨーロッパ各地で暮らしていたユダヤ人。次の時期になると、各地で一気に迫害の対象となっていくんだ...(注:反セム主義)。



参考文献


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