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"教育系" note まとめ

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"教育系" noteのまとめです。
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2024年2月の記事一覧

プロジェクトの最初に「事前検死」をしろ

「事前検死」というメソッドを使うと、プロジェクトの失敗率を大きくさげられてオススメ。それ用のGPTsも作った。 事前検死とは?事前検死というのは、失敗学で用いられるメソッド。プロジェクトの一番最初に、「プロジェクトは盛大に失敗したのだ!」という設定で、プロジェクトの生前葬と反省会を行う。 たとえば「新規サービスを作ったがローンチに失敗した何故だ!?」という問いからスタートし、 市場調査をしなかった プロトタイプを作らなかった ゴールラインをリリースに引いてしまってい

後悔はなぜ残り続けるのか?

「そういや今年って節分いつ?8月?」 「いゃ真夏。今年とかないっす。だいたい2月3日です」 「ほーん、なんか年取るとマジでイベントごとに興味なくなるのよ。プレゼントもらえるわけじゃあるまいし」 「年の数だけ豆もらえますよ」 「いらねーよ、誰が喜ぶんだよ豆もらって」 「先生、恵方巻とかは食べません?」 「うーんどうだろ。食べるの?」 「まぁ一応、お母さんが作るんで」 「なんか今朝テレビでやってたけど今年の恵方は北北南らしいよ」 「あ、またテキトーなこと言った。

ぼくがサンタになったきっかけ

先回、世界一周の学びをまとめて記しました。 結構長文になってしまったので、他の人がやっていない”サンタ”の部分を抜き出して、追記してみようと思います。 サンタになったきっかけ南の島ツバルでサンタクロース 2017年の僕は、フィジー共和国で暮らしていました。 ちょうどクリスマスど真ん中に、ツバル旅行を計画していたので、 クリスマス×ツバルで何かできんかなぁ…と思っていた時に、 思いついた、たまたま思いついてしまったのが”サンタクロースになる”。 そして、個々が重要だけれ

【ニッポンの世界史】#29 「長い目」で世界史を見る:成長の限界・ノストラダムス・小松左京

終末論から生み出された新しい「世界史」観  「ニッポンの世界史」には、その時代の日本人のものの考え方や精神性のようなものが反映されているのではないか。  そのような観点に立ち、今あらためて1970年代をふりかえってみると、これまでみられなかった新しい種類の想像力が立ち上がり、それが日本人の歴史に対する考え方を変え、「世界史」の再定義に向かっていったのではないか、と思うのです。  まあ、1970年代のサブカルチャーや社会の変化については、すでにひととおり多くの人によって語り尽

【ニッポンの世界史】#28 それぞれの「近代」批判:吉本隆明・阿部謹也・謝世輝

謝世輝のヨーロッパ中心主義批判  さて、今回は謝の世界史構想の全容に迫っていきます。  謝の構想を一言でいえば、「これまでの世界史はヨーロッパ中心主義的で、まちがっている」ということに尽きます。  たとえば、1974年の時点では次のように主張しています(謝世輝「世界史の構築のために」『歴史教育研究』57、1974、70-71頁)。  箇条書きににしながら、その特徴をあぶりだしてゆくことにします。 1.世界史にとって重要なのはアジア(東洋)だ  文明圏(文化圏)にわけて

「教養は人を幸せにするのか」問題

こんにちは。 先日、『マンガでやさしくわかる知識創造』の出版記念イベントがありました。 主宰されたのはSECIプレイス。 「片付けパパ」こと大村信夫さんが登壇者に質問をする形で、著者の西原文乃先生、マンガの主人公モデルの村上修司さん、不詳ワタクシメにインタビューをしていただきました。 お話は本の内容に沿った説明で、詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、私が本を編集していて印象に残っていた内容が、イベントの中でも出たのでちょっとご紹介できればと思います。 知識の定義で

【ニッポンの世界史】#25 越境する中国史:陳舜臣のユーラシア的想像力

 この評伝で紹介されているのは、1970年代の大衆歴史ブームを土壌として、日本を超える視点から、イスラムと中国を繋ぐ立場を果たした作家、陳舜臣(1924〜2008)です。  この陳舜臣という人が、「ニッポンの世界史」の再定義に、どのようなかかわりをもったか、今回はこれをみていくことにしましょう。 中国史の案内人  陳の魅力をひとことでいえば、まるで見てきたかのように中国の歴史を解き明かし、現代世界とのつながりを意識させるところにあります。    本籍は台湾にありましたが

【ニッポンの世界史】#23 「国益」のための世界史へ:なぜイスラム世界は「文化圏」に格上げされたのか?

格上げされた「イスラム世界」  1970年度学習指導要領では「イスラム世界」が、ヨーロッパ文化圏、中国の文化圏とともに、単独で世界の「三大文化圏」のひとつに数えられるようになりました。  この「格上げ」の背景にあるのは、やはり戦後の研究の進展により参照できる情報が増えたということが大きいでしょう。  もともと西洋生まれの「世界史」において、イスラムの扱いは貧弱で、その傾向は、西洋的世界史の影響を強く受けた発足当初の世界史も同様でした。  そこでは、西洋文明が まるで”主

『東大のディープな日本史』アーカイブ①・「日本」はいつから始まったか?

 2月26日に、『東大のディープな日本史』の最新刊である〈傑作選〉が刊行されます。そこで、出版元のKADOKAWAさんの厚意により、これまで1〜3に収録した問題の中から、泣く泣く〈傑作選〉から外したものを、記事として紹介していきたいと思います。  1回目となる今回は、「日本」の国号の成立にも関わる遣隋使・遣唐使に関する問題です。 ・〈外交音痴〉ではなかった古代の朝廷  昨今の領土問題やTPP参加問題をめぐる政府の対応を見ていると、日本人はどうしてこうも〈外交音痴〉なのだろ

高校世界史教科書で学びなおす歴史学習メソッド(2024年/令和6年改訂版)

0. 2024年02月上旬の世界史トークから2024-02-05月 16:00時ごろ、下記のようなTweet (post) がありました。 (スタ・エレ/ @Bt1THS9XFohvr93 さんの歴史学習関連の書き込みに対して、@Simion_Sin さんが半端な歴史本に頼ることのリスクに触れた、という流れです。) 2人が触れている #こねくと とは、2023年から『たまむすび』の後継番組として始まったTBSラジオの平日午後枠の番組『こねくと』のことです。月曜1600時台

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【ニッポンの世界史】#22 「文化圏」学習の導入:1970年度学習指導要領の思惑

1970年代の世界史へ   学生運動の激化と挫折で幕を閉じた1960年代。ここからはさらに歩みを1970年代にすすめ、"公式" 世界史たる学習指導要領の改訂と、それに対する多様な "非公式" 世界史の動きをおさえながら、「ニッポンの世界史」がどのように再定義されていくかを追っていきましょう。 貧困の時代から選抜の時代へ  高度成長は、日本社会を大きく変えました。  1960年に6割を切っていた高校進学率が1970年代に9割を達成。  熾烈をきわめる「受験戦争」勝ち抜き少

【ニッポンの世界史】#21 反戦と世界史の60年代:映画の映した世界とサブカルチャーとしての漫画

ベトナム戦争の衝撃  日本が高度経済成長を驀進していた1960年代。  しかしちょっと視線を国外に向けてみれば、依然として世界のあちこちでは冷戦構造が緊張をもたらしていました。  1962年にはキューバ危機が勃発し、世界が冷や汗をかかされたと思ったら、その後しばし和解ムードとなりますが、63年にはケネディ大統領が暗殺。これに代わったジョンソン大統領は65年から北ベトナムの空爆(北爆)を開始し、のべ50万人の地上軍を投入することとなるベトナム戦争の火蓋が切って落とされます。

【国語トーク】大人のためのジュニア向けレーベル!

【自著の宣伝】 『14歳からの文章術』(笠間書院) 書くことを、もっともっと楽しむために。

【ニッポンの世界史】#20 戦後の「世界史全集」ブームのゆくえ

出版ジャーナリズムが世界史をダメにした?  これまでたびたび紹介してきた歴史学者上原専禄は、1950年〜60年代までの世界史に関連する出版物の変遷について、次のように評しています。  この1969年に書かれた論考で上原がここで批評の対象としているのは、古代から現代までをカバーする「世界史全集」のことです。  全集といえば、「世界文学全集」や「百科事典」が刊行されるようになるのは、戦前の大正時代からのこと。新潮社の『世界文学全集』(全57巻、1927〜32年)は1冊1円の