やまだえっせい

サッカーとかサッカーじゃないこととか。日常にちょっとした文のお洒落を添えて。書いたnoteを本にしたい。

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  • サッカーの記事

    サッカーの記事っぽいものをまとめました。

  • 学校の先生っぽい記事

    授業のこととか学級のこととかまとめておきました。是非ご覧ください!

  • 個人的に好きなnote

    たくさんある記事の中で自分で読み返して「よく書けたな」と思う好きなnoteをまとめてみました。是非感想いただけると幸いです。おもしろければシェアしてあげてください!

最近の記事

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「先生はいつも欲しい時に欲しい言葉をくれました」

水泳の東海大会の引率が終わり、新幹線に乗って三島に帰っている。全中の標準突破を狙った県大会、惜しくもあと少しでそこに届かなかった彼女は今日大きくベストを更新して全中の標準を切った。大会の規定上、東海で標準を切っても全中には出られないのだけれど、気持ちのこもったレースに会場中から送られた拍手は決して乾いた拍手なんかじゃなかったと思う。 帰ってきた彼女に掛けた言葉は「感動したよ、おめでとう」だったけれど合っていただろうか? 純粋な嬉しさがあったのか、悔しさの残る嬉しさだったの

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      • 好きなことを仕事にするということ

        好きなものに囲まれて生きていきたいと考えていたのだけれど、僕の''好き''はさほど純度が高くなく、相対的に決まっているものが多い気がするので、好きなものに囲まれたら、結果的に好きなものと嫌いなものが混在しそうだなと思う。 つまりは、嫌いなものに照らされて好きを探すとすると、好きの中に自ら嫌いを作り出し、好きだったものが嫌いになってしまうのではないかと思うと、好きも嫌いもバランスよく置いてある生活が良さそうである。 …なんて一端の哲学じみたことをしたいがために、嘘ついてそれ

        • シアワセリテンション

          10月20日(日)に自分が所属しているサッカークラブが優勝決定戦を制して優勝を決めた。僕は怪我でピッチを離れていて、今は監督をしている。ピッチに立てない分、声を枯らして指示を送り、得点には我を忘れて歓喜し、失点にこの世の終わりを見たように落胆する。 様々な感情が一堂に会し、80分の中で最大限ネガにもポジにも振れると、試合が終わった後に言葉にしたのは「人生の中で一番幸せな瞬間だったかも」だ。その日は興奮して上手く眠れなかった。 10月21日(月)僕はいつも1日の日記を鮮度が

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          冷静と情熱の間で

          サッカーを離れようと思った。 サッカーが好きになる前からサッカーが始まり、生活の多くを捧げ、人生の選択の多くの基準にしてきたもんだから大人になってもまだズルズルと執着している。 「サッカー選手になる」とチームメイトが口を揃えて言ったあの頃からあきらめないことだけが僕の取り柄だったから、皆が別の夢を口にし始めてもなお、僕の口は同じ形をしていた。大人になるにつれ視力が良くなりJリーグは難しいとわかってもなお、サッカーが夢であることは変わらないのだから、あきらめは拗らせるとお尻

          冷静と情熱の間で

          大きな虹を見た話

          先月、まだ会社にいた時の話。 経験したことのないような夕立の後、ビルの窓から大きな虹を見た。おそらくこれまで見た虹の中で一番大きい。大きいというかちゃんと色の並びを認識できるぐらいには、それぞれがちゃんと幅をもっていた。ただこれまで7色あるもんだと思っていた色は、4色ぐらいしかなかったようにも思う。 花火も風景も「いつ見返すんや」といつしかカメラを向けなくなった。今回も意固地に写真を撮っていないんだけど、いや見たって!本当に! そんな虹を見て僕は「なんかいいことありそう

          大きな虹を見た話

          世間知らずと言われる教員が半年間企業で働いてみた話

          9月30日をもって半年間の企業研修を終えた。 それはとても幸せな時間だった。今日はその幸せについて書いてみる。 4月、僕はこれまでの自分をちゃんと肯定して生きてきたから、ちょっとやそっとの揺らぎで人生変えられてたまるかと意気込んでいたのだけれど、終わってみれば人生が変わってしまいそうな揺らぎ方をした。 ここでいう人生の変わり方は、新しい価値観に出逢ってこれまでのAという生き方から、完全に道を変えてBという生き方にシフトするというよりは、自分という人間が複雑化し、AもBも

          世間知らずと言われる教員が半年間企業で働いてみた話

          僕とSS伊豆

          きっとクラブの岐路だから、力いっぱいの言葉を紡ぐ。 熱狂的なエスパサポの友人に連れられて、アイスタに行った。僕は物心ついた時からサックスブルーの血が流れるジュビロサポなので、これは王国の法を犯すきれいな裏切り行為に当たるのだが、あくまでいちサッカーファンとして参戦したまでである。 山原怜音のユニを貸してくれると言った友人に「いゃクラブへの忠誠心があるから」「うっすい忠誠心のくせに」 グッズ販売に並ぶか聞いた友人に「いゃクラブへの愛着があるから」「弱い愛着のくせに」 パ

          見えている僕らは見えているのか?

          本を読もうと思った。 何の事はない。最近好んで聴いてるPodcast「スポーツが憂鬱な夜に」の2人、同世代の河内さん、井筒さんの知的なお喋りに惹かれ、その思考量と言葉の多さに憧れた事に他ならない。 2人はサッカー人でありながら、文化系パーソンであり、ようやく見つけた僕のありたいかっこよさの延長線上にいる人達だと知る。30代に突入し、目指すべき「かっこよさ」をどこに置くかに迷っていたのだが、どうやら思考の多さと言葉の多さを今の自分はかっこいいと感じるらしい。 サッカーが上

          見えている僕らは見えているのか?

          暇すぎて心を壊しかけた話

          #これは何かを残そうとすることを意図しない、エゴイズム。 #また月曜日を元気に働くための書くというヒーリング。 これまで働き過ぎて心を壊していく人をいくつも見てきたし、皆見たことがあると思う。見たことがなくとも、そのメカニズムの説明を求められたらなんとなくは答えられるのではないだろうか。 自分自身もその2、3歩手前を経験したことがあるからそれは納得がいく。忙しさに徐々に余裕をなくし、笑っていようにも上げた口角は重力に抗えなくなる。 では逆に、働かなさ過ぎると人はどうな

          暇すぎて心を壊しかけた話

          友達がいなくなった。

          まとまった休みをもらうとギョッとすることがある。これは今回の夏休みもGWの連休時にも感じたことではあるんだけど、ワタクシ自分でデザインする休日が圧倒的に苦手である。 だから、いとも簡単にパズルのようにしたいことを見つけて、それを組み合わせ満足のいく絵にし、明日から始まる仕事や学校を憂いまだ目を瞑りたくない人たちに羨望の眼差しを向けることがある。こちらにはさっさと終えたい今日がたくさんあるというのにだ。 友達がいなくなった。 本当に会わなくった。実感として、30を越えたこ

          友達がいなくなった。

          弱小校コンプレックス

          「久しぶりに心落ち着くオフがあったら何をしよう?」 そんなことを考えることで、逃げたい緊張をいくらか和らげていたのだけれど、メダルをとったオリンピアン達も試合後のインタビューで同じようなことを考えていると答えていたので、結局、楽しみを用意して耐え難い苦しさに立ち向かうという意味では僕もオリンピックに出場したことになる。 そこまで言わずとも、競技こそ、闘うレベルこそ違えど、人が元々もつメンタリティにはさほど差はないというのが最近の自分の見解である。メンタリティなるものは、環

          弱小校コンプレックス

          魔法が解けてしまう前に

          何もかも新しいことで溢れていた4月は、その新しさに馴染もうと春らしい無茶な色付きをしていた僕も、今では新しくない慣れた景色の中で、周りが青色だと言うことに、肩の力を抜いてちゃんと青色ですねと言えるだけの夏を迎えようとしている。 子どもに囲まれた当たり前が、当たり前でなくなった時に感じた無力感を人生の縁(ふち)と解釈したけれど、季節柄訪れるそんな一過性の視力の悪さを理由に、止まってしまわなくて本当によかったと振り返る今日までである。 いい時間を過ごしていると、自分のことが好

          魔法が解けてしまう前に

          具体と抽象の話

          「やまだくん、社長が回転寿司に行ったことがないらしくて、回転寿司がどんなところか説明してほしいらしいんだけど」 「いるんですか?今時回転寿司行ったことない人なんて」 「いるんだよ、回転寿司行ったことない人が今時。しかも、社長お忙しいから30秒しか取れないらしいんだけどいける?」 「いるんですか?1日24時間もあるのに30秒しか時間取れない人なんて」 「いるんだよ、30秒しか時間取れない人が、1日24時間もあるのに」 ……… …… … 「社長、失礼します。ただいまお

          具体と抽象の話

          10年前の僕は

          企業の人事部ではたらき始め、人材開発や組織開発という言葉に出逢った。「これはおもしろい」と自分の興味の形にバシッとはまったそれを暇を見つけては勉強している。 学校を離れて2ヶ月、今のところまったく寂しさがないのは、自分にとっては大人、子ども関係なく教育というものが格別におもしろいものだと知ったからであろう。 基本的に何を口にしても「美味い」か「めっちゃ美味い」しか感想をもち合わせていない僕は、仕事も同様に基本的には何をやっても美味しく感じるのだが、教育に関しては圧倒的後者

          「ちゃんとサッカーしようぜ」と言うけれど

          目標であった県大会出場を危なげなく決めたゲームの後なのに、選手達の表情に笑顔はない。 「自分達のサッカーに納得がいっていないから」彼らは言う。入学からずっと戦ってきて、一緒に戦うことができる残り2ヶ月のサッカーにしてはあまりに出来が悪い。 準々決勝までの2時間のインターバルでボード上でマグネットを動かしB-upを確認した後、空きコートではなぜあそこまで2トップのプレスに苦労したのかを話し合う。選手それぞれにその時かかっていたプレッシャーや、考えていたことをヒアリングし、C

          「ちゃんとサッカーしようぜ」と言うけれど