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”国際系” note まとめ

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This magazine curates notes relating to stuffs between globalness and localness.
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2024年2月の記事一覧

コスタリカのコーヒー農園に行って思ったこと

コスタリカに行ってきました! 人生初の中南米です。 なぜコスタリカにはるばる行ってきたかというと、僕が12年も連続で買わせてもらっているコーヒー豆をつくっている生産者がいるからです。今回はそのカンデリージャ精製所を訪問してきました。 コスタリカはアメリカの南、中米に位置しています。日本から見たらほぼ地球の反対側です。旅行ではなかなか行く人も少ないエリアかもしれないのですが、コーヒーにとっては大きな生産地です。 今回案内してくれたカンデリージャのリカルドくんと直接お会いし

脱植民地化デザインを読む(1)

こんにちは、緒方です。 『Decolonizing Design: A Cultural Justice Guidebook』を読んだので、この本の概要を紹介します。 はじめに「脱植民地化」という言葉は、近年のデザイン(リサーチ)の動向において、重要なキーワードの一つになっています。そこで、脱植民地化デザインの中心的な存在である著者 Elizabeth (Dori) Tunstall 氏が何を語ったのか、原典をあたりました。日本のデザイン文脈でも少しずつ議論され始めているこ

ぼくがサンタになったきっかけ

先回、世界一周の学びをまとめて記しました。 結構長文になってしまったので、他の人がやっていない”サンタ”の部分を抜き出して、追記してみようと思います。 サンタになったきっかけ南の島ツバルでサンタクロース 2017年の僕は、フィジー共和国で暮らしていました。 ちょうどクリスマスど真ん中に、ツバル旅行を計画していたので、 クリスマス×ツバルで何かできんかなぁ…と思っていた時に、 思いついた、たまたま思いついてしまったのが”サンタクロースになる”。 そして、個々が重要だけれ

イギリスには「パンケーキの日」がある?

早いものでもう2月。 2月になるとイギリスのスーパーでは「🥞パンケーキの日」の文字とともに パンケーキ特別陳列棚が現れます。 響きだけで楽しそうな イギリスの「パンケーキの日」とはどんな文化なのでしょう? 🥞「パンケーキの日」ってどんな日?「パンケーキの日」は、キリスト教に深く関係する日です。 というのも、パンケーキの日は毎年「復活祭の日曜日(Easter Sunday)」の47日前の火曜日と決まっているため。 「パンケーキの日」は別名「Shrove Tuesday

南極に行ってきた話

大学生の頃南米を旅していた時にアルゼンチンから南極にいけることを知った 調べてみたら日本にも南極クルーズは存在しているものの値段は100万円〜で、アルゼンチンからでいくと安いやつを選べば30万円くらいで当時行けた 猛烈に南極に行きたくなったが学生時代の30万円は出せる金額ではなく(当時のほぼ全財産を使って南米を旅していた)絶対に社会人になって来てやる!と決めて南米旅を終えたのだが 30歳になって9年越しに南極行きを叶えることができた 南極に上陸もしないただ船から見るだけの

コルカタで印象的だった食べ物と旅の8つの断片 #カレーだいしゅき手記

時間の流れは主観的に経験され、それは出来事の単位でできている。出来事とはつまり食べ物のことである。よって旅の経過は食べ物によってのみ認識され記憶に刻まれる。そうして出会った食べ物たちを通して、このコルカタの地の文化の広がりと、そこに根付いた複雑な経緯を辿ってきた歴史にわずかながら触れた気になった。 旅は単なる消費行動なのか。それはお前のちょっとした態度や姿勢によって変わる。自らの手を動かして何かを作り出すことだけが創造的な行為ではないはずだ。 全ての食体験は、過去と現在を

【ニッポンの世界史】#29 「長い目」で世界史を見る:成長の限界・ノストラダムス・小松左京

終末論から生み出された新しい「世界史」観  「ニッポンの世界史」には、その時代の日本人のものの考え方や精神性のようなものが反映されているのではないか。  そのような観点に立ち、今あらためて1970年代をふりかえってみると、これまでみられなかった新しい種類の想像力が立ち上がり、それが日本人の歴史に対する考え方を変え、「世界史」の再定義に向かっていったのではないか、と思うのです。  まあ、1970年代のサブカルチャーや社会の変化については、すでにひととおり多くの人によって語り尽

【ニッポンの世界史】#28 それぞれの「近代」批判:吉本隆明・阿部謹也・謝世輝

謝世輝のヨーロッパ中心主義批判  さて、今回は謝の世界史構想の全容に迫っていきます。  謝の構想を一言でいえば、「これまでの世界史はヨーロッパ中心主義的で、まちがっている」ということに尽きます。  たとえば、1974年の時点では次のように主張しています(謝世輝「世界史の構築のために」『歴史教育研究』57、1974、70-71頁)。  箇条書きににしながら、その特徴をあぶりだしてゆくことにします。 1.世界史にとって重要なのはアジア(東洋)だ  文明圏(文化圏)にわけて

【ニッポンの世界史】#26 テクノロジーと精神文化:マクニールの世界史は、何が新しかったのか?

世界は3つの文化圏でできている?  さて、ここで視点をいったん”公式”世界史の動向に戻しましょう。  1970年度の学習指導要領改訂では、前近代には三大文化圏(ヨーロッパ、イスラム、中国)に分けて学習していく文化圏学習が導入されたのでしたね。  しかしこの分け方に対しては当時から批判もありました。 ・ヨーロッパは多数派を占めた宗教の名前から「キリスト教文化圏」といわないのに、なぜイスラム文化圏と呼ぶのか? ・「イスラム文化圏」はアフリカ、中東だけでなく中央アジアやイン

【ニッポンの世界史】#25 越境する中国史:陳舜臣のユーラシア的想像力

 この評伝で紹介されているのは、1970年代の大衆歴史ブームを土壌として、日本を超える視点から、イスラムと中国を繋ぐ立場を果たした作家、陳舜臣(1924〜2008)です。  この陳舜臣という人が、「ニッポンの世界史」の再定義に、どのようなかかわりをもったか、今回はこれをみていくことにしましょう。 中国史の案内人  陳の魅力をひとことでいえば、まるで見てきたかのように中国の歴史を解き明かし、現代世界とのつながりを意識させるところにあります。    本籍は台湾にありましたが

【ニッポンの世界史】#24 世界史にとって、1970年代の「大衆歴史ブーム」とは何か?

1970年代の大衆歴史ブームの担い手は誰か?  まずは前回のふりかえりから。  1970年に高校の学習指導要領が改訂され、世界史A・Bが世界史に一本化されるとともに、「文化圏」学習がはじまったのでした。  改訂された新学習指導要領が実施されたのは1973年からのこと。  これに基づくカリキュラムと教科書により教育を受けることになったのは、1957年より後に生まれた高校生たちです。  1957年生まれは「ポスト団塊世代」ともいわれ、ギリギリ東京五輪の記憶があって、多感な時代

私のNoteを読んだご夫婦が、神奈川からベトナムの田舎まで来てくれた話

こんにちは!Yukaです🌻 Noteを始めてもうすぐ2ヶ月。 これまで沢山の方々に読んでいただいて、皆さんからのスキやコメントが大きなモチベーションになっています! 読んでくださっている皆さん、ありがとうございます☺️ 今日は、そんな私の記事がきっかけで起きた素敵な出会いをシェアさせてください! Noteを始めて1ヶ月、1件のお問い合わせが届いた Noteを始めてちょうど1ヶ月が経った頃、こんなメールが届きました。 そもそもNoteにお問い合わせの機能があること

【ニッポンの世界史】#23 「国益」のための世界史へ:なぜイスラム世界は「文化圏」に格上げされたのか?

格上げされた「イスラム世界」  1970年度学習指導要領では「イスラム世界」が、ヨーロッパ文化圏、中国の文化圏とともに、単独で世界の「三大文化圏」のひとつに数えられるようになりました。  この「格上げ」の背景にあるのは、やはり戦後の研究の進展により参照できる情報が増えたということが大きいでしょう。  もともと西洋生まれの「世界史」において、イスラムの扱いは貧弱で、その傾向は、西洋的世界史の影響を強く受けた発足当初の世界史も同様でした。  そこでは、西洋文明が まるで”主

インドでおなかを守る極意と、インド的「下請け文化」の考察-①

インドは、衛生環境の悪さで世界にその名をとどろかせている。 実際にインドに来たことのない人間でさえ、「インドは汚い国である」という認識を持っている。現場を知らない見解や偏見は最も避けるべきものだが、私も実際インドに住んでみた結果、残念ながら日本人の視点から見て「インドは汚い」という感覚は正しいと言わざるを得ない。もちろんデリーやムンバイなどの大都市には、極めて限られた小ぎれいな地域が存在するが、そういった大都市ですらお世辞にも衛生環境が良いとは言えない。ましてや、地方都市や農