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脱植民地化デザインを読む(1)

こんにちは、緒方です。
Decolonizing Design: A Cultural Justice Guidebook』を読んだので、この本の概要を紹介します。


はじめに

「脱植民地化」という言葉は、近年のデザイン(リサーチ)の動向において、重要なキーワードの一つになっています。そこで、脱植民地化デザインの中心的な存在である著者 Elizabeth (Dori) Tunstall 氏が何を語ったのか、原典をあたりました。日本のデザイン文脈でも少しずつ議論され始めているこのテーマについて、少しでも情報を提供できればと思います。この記事の最後に脱植民地化デザインに言及している日本語の記事をまとめておきましたので、そちらもご参考ください。

また、このテーマに向き合う動機は、パレスチナで長年にわたり、そして現在も続いているジェノサイドの問題について調べ始めたことにあります。残念ながら、脱植民地化デザインが直接的に現在の虐殺や非人道的行為、民族浄化を止めるわけではありません。
 日本から今できることについては、専門家や団体、現地のジャーナリストの呼びかけに耳を傾けることが大切です。声を上げ続け、不買運動や寄付などを通じて連帯しましょう。
 「やさしい抵抗」の態度の一歩外に踏み出すこと、リ・デザインへの原動力を結集することが、脱植民地化の議論が進むいまだからこそ影響力を持ち、大きなうねりに繋がるはずです。ただしこれは緊急事態であることを忘れてはいけません。これも最後にリソースを載せています。

概要

この本は5つの章で構成されています。
第1章では、タンストール氏が自身の経験を通じて、脱植民地化デザインにとって有益な心構えと、先住民の人々を第一に考えるために必要な謙虚さを育む方法を紹介します。この章は、彼女が故郷のインディアナポリスと、フィラデルフィア郊外のブリンマー大学で学んだ先住民の歴史、スタンフォード大学での先住民の同僚との交流、オーストラリアのナーム(Naarm、先住民によるメルボルンとその周辺地域の呼称)でのアボリジニやトレス海峡諸島民との関わり、タカロント(Tkaronto、トロントを指す先住民の言葉)でのファースト・ネーション、イヌイット、メティのコミュニティとの経験に基づいて書かれています。彼女はこれらの経験から得た知見をもとに、先住民の主権を共創するための方法を提示します。

第2章では、イリノイ州のシカゴとニュー・バウハウスの関連を探り、近代都市としての自負を持つこの街を読み解きます。産業革命以降、技術進歩が欧州の大衆の生活向上に貢献したとされていますが、この章では、大衆の生活がどのように改善されなかったかを通じて、「テクノロジーによるより良い暮らし」という近代主義者の神話を解体します。さらに、近代的プロジェクトの技術偏重が植民地化の一環として先住民や黒人、そのほかの有色人種コミュニティに対して壊滅的な影響を与えたことに言及します。タンストール氏は、テクノロジーがアボリショニスト(アメリカの奴隷制廃止論者)の目標や先住民の生活様式とどのように調和し得るか、そしてその構造的に組み込まれた危害への償いになり得る方法について問いかけます。

第3章では、タンストール氏が近代化したシカゴで受けた人種差別、セグリゲーション(特定の社会集団を都市空間の中で他の社会集団と分離すること)、そして偏見に焦点を当てています。彼女は、こうした社会現象がデザインの近代プロジェクトにも内在しており、人々が自らの民族的、国家的アイデンティティを放棄し、普遍的な人類を目指すべきだという神話に従っていると指摘します。彼女は、近代デザインに組み込まれた白人至上主義が、植民地化を通じて先住民、黒人、有色人種コミュニティの文化的虐殺にひどく関わっていると述べています。これに対抗するため、タンストール氏はバウハウスの教育方法とアボリジニやトレス海峡諸島民の価値観を組み合わせることで、ヨーロッパと先住民のデザインにとって有益なものが何かを議論する方法を提示します。

第4章は、ジョージ・フロイド氏の殺害後の2020年夏、デザインファームやその他の組織が多様性、公平性、包摂生(DEI)を重視した採用活動を開始し、これまで多様なコミュニティやアイデンティティを無視または排除してきた過去に対する償いを試みたことを振り返ります。これらの取り組みは社会正義と経済的公正への大きな一歩ではあるものの、構造的に排除されてきたコミュニティとアイデンティティへの権力の再分配なしには不十分であり、これが脱植民地化デザインのアプローチでもあると述べています。この章では、著者が所属するオンタリオ州立芸術大学での黒人クラスター採用(cluster hiring、個人ではなく集団で採用すること)の成功例をケーススタディとして取り上げ、具体的な実践方法を提示します。

第5章は、脱植民地化デザインの経済的側面に焦点を当て、議論を展開します。タンストール氏は、脱植民地化を進めるためには、デザインファームやその他の組織、コミュニティが積極的に脱植民化を目指すためのリソースを確保すべきだと主張しています。また、資金と資源について議論することは、植民地化によって受けた損害に対する正当な補償を求める上で重要であると強調しています。

各章のタイトルは以下の通りです。

  1. 脱植民地化デザインとは、先住民を最優先に考えること(DECOLONIZING DESIGN MEANS Putting Indigenous First)

  2. 脱植民地化デザインとは、西洋近代主義プロジェクトにおける技術偏重を解体すること(DECOLONIZING DESIGN MEANS Dismantling the Tech Bias in the European Modernist Project)

  3. 脱植民地化デザインとは、西洋近代主義プロジェクトにおける人種主義的バイアスを解体すること(DECOLONIZING DESIGN MEANS Dismantling the Racist Bias in the European Modernist Project)

  4. 脱植民地化デザインとは、多様性、公平性、包摂性を超えて償いを行うこと(DECOLONIZING DESIGN MEANS Making Amends through More than Diversity, Equity, and Inclusion)

  5. 脱植民地化デザインとは、既存リソースの優先順位を再考し、脱植民地化を実現すること(DECOLONIZING DESIGN MEANS Reprioritizing Existing Resources to Decolonize)

脱植民地化とは

第1章で掲載された、オンタリオ州立芸術大学のピーター・モリン(Peter Morin)氏との対談で、植民地化と脱植民地化について述べられています。

植民地化とは、先住民の領土から資源を強制的に奪うことを指す。この資源は地下や地上のものに限定されない。土地そのもの、先住民の知的財産、知的生産、民藝品、さらには身体に至るまでが含まれる。
脱植民地化は、植民地化によって得た権力を積極的に問い直し、解体すること。この方法論をどのように実践するかは、個々人が考えなければならない。そして、そのプロセスが痛みを伴わない場合は、正しく実行できていないことを忘れてはいけない。

『Decolonizing Design』pp.33-34

その上で注意すべきなのは、別の記事で掲載されたインタビューの言葉にあると考えています。

第一に、脱植民地化とは先住民の経験に関するものであり、概念的なものではありません。それが『脱植民地化はメタファーではない』から学ぶべき重要な教訓です。

'Respecting our Relations: Dori Tunstall on Decolonizing Design'

インタビューでは7世代思考(Seven Generations thinking)などの言葉を用いながら、世代間のトラウマの連鎖を断ち切ることと、デザインが引き起こすトラウマの可能性をなくすために、最も弱い立場にある人々のためにシステムを変え、新たな状況を作るよう学生たちに指導していると述べています。

この本では、植民地主義における[入植者–土着(ネイティブ)–奴隷]の関係や文化変容の原則をもとに、どのように植民地化が進められたのか、植民地主義と密接に結びつく近代主義プロジェクトと技術進歩への期待感、その歴史、技術進歩によるより良い暮らしの幻想、バウハウスの再解釈、テクノロジーに埋め込まれた主従関係やバイアス、近代主義プロジェクトが想定した普遍的な人類としての西洋白人男性、白人至上主義の成立背景と白人の身体に残るトラウマ、といった内容が指摘されます。
 その上で、タンストール氏が実践してきたバウハウスの原則を援用しつつも先住民の人々との対話を織り交ぜた授業や、大学での採用方法の改革などの実例を通じて、具体的な変化の方法を示しています。これらは根源的に、先住民を優先的に考慮することに焦点が当てられています。
 つまり、脱植民地化デザインという言葉を用いることには一定の注意が必要で、トレンドワード的に使用することは一度立ち止まって考えるべきなのではないかと理解しています。

とはいうものの、

クラウドコンピューティングは雲の上に存在するわけではなく、奪われた先住民の土地に建設されたサーバーファームの中にあります。トップ10のサーバーセンターは、約1,170万平方フィートの土地を使用しており()、これらのサーバーファームは冷却のために何十億ガロンもの水を消費します。近代主義的デザインプロジェクトと、テクノロジーを通じたより良い暮らしという有害な物語を解体するためには、現代のテクノロジーそのものに埋め込まれた主従関係を根本的に見直す必要があるのです。

『Decolonizing Design』pp.50-51

とあるように、私たちの生活においても関係する社会・技術的な点での繋がりに向き合う必要性も指摘されています。そのため、あらゆる場面での決定や選択に脱植民地化デザインの観点を考慮するという意味では、非常に重要かつ多くの人々にとって無関係とはいえない現実だと言えるでしょう。

他方、タンストール氏は「リスペクトフル・デザイン」という言葉を通じて、先住民に限らず異なる価値観や文化を持つ人々、あるいは動植物を尊重するデザインの重要性を述べています。この視点はこれまで以上にデザインの根底に据えるべきという認識が広がっている実感があるのではないでしょうか(実装はこれからとしても)。

ということで、この本に示された詳細な歴史や変遷については、別の記事で掘り下げてみたいと考えています(途中まで進めています)。デザイン分野に限らず多くの人々にとっての情報源になることを願っています。なぜなら、例えば第2章では、バウハウスの100周年を記念して刊行された出版物で、これまで注目されてこなかった人種差別や女性蔑視などの観点での精察が行われていると述べられていましたが、日本で行われた記念展覧会では、そのようなトピックでの議論は含まれていなかったからです。バウハウス様式の受容に関する攻防が日本国内で展開されたことへの言及はありましたが、倫理的な側面の話題は見当たりませんでした。このような視点でのデザインの再解釈は、現代デザインの文脈においても重要な機会になると思うので、次回の記事では踏み込んだ内容に触れていきます。


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最後までお読みいただきありがとうございました。
本記事は執筆時点での情報をもとに書いたため、最新情報であるとは限らないことをご承知ください。また、本記事の内容は私見によるものであり、必ずしも所属企業の立場や戦略、意見を代表するものではありません。

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(2024年2月15日 追記)
岡 真里先生が説明するように、植民地主義について正しく理解することは、人文系の側面を多分に含む現代のデザインを考えるにあたって非常に重要なテーマであり、大前提として共通認識を持つべきものではないかと再認識しました。

また、Philippe Starckは、デザイナーにとっての光の時代と闇の時代の話を語りましたが、その中で未来の世代が新たに物語を紡げる(=デザインをしていける)ように、今の世代はそれまでの物語を終えて、白紙の状態を手渡す必要がある、ということも提言していました()。まさにそれを実行すべき時が来たのだと、改めて痛感しています。

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(2024年2月20日)
サムネイルのタイトルを変更しました。
脱植民地化デザインとは(1)→脱植民地化デザイン?(1)


参考



リソース(02.14更新)

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