医療通訳ってなに?
異国の地で病気や怪我に見舞われた時、あなたならどうするだろうか。誰かに助けを求めたり、救急車を呼んだり、いかなる措置を取るにしても立ちはだかるのが言語の壁だ。
たまたまその国の公用語に精通していたり、手を差し伸べてくれる現地の知人がいれば話は別だが、このようなダイレクトに生命に関わる問題を運任せで済ませる訳にはいかない。そこで必要とされる役職が「医療通訳」だ。
外務省勤務時代に、100カ国以上もの国を訪れ、仕事をしてきた経験を持つ、ORIGINAL Inc.のシニアコンサルタント 高橋政司が、今話題のインバウンド用語をピックアップし、世界目線で詳しく、やさしく解説する本連載。
第7回のキーワードは『医療通訳(Medical Interpreter)』を取り上げる。世界目線チームの若手筆頭、ヒナタが素朴な疑問をぶつけてみた。
ーー医療通訳はどのような職業なのでしょうか
「医療通訳とは、医療の知識を身につけた専門人材です。医療の現場で医療関係者と患者との間の架け橋の役割を担います。医療の専門用語や表現に必要な知識がアップデートされていることはもちろんのこと、患者の生まれ育った国の文化や習慣などの知識も備えていることも大切です。
しかし、何より専門知識を有する通訳として、正確に医療関係者と患者の意思疎通を行うことが最も重要な役割です。
日本における在留外国人は増加傾向にあり、昨年の6月末時点で約283万人。コロナ収束後もこの傾向が続くのかは分かりませんが、来年は東京五輪も予定されてますし、ポストコロナ時代に向けて各自治体の主要な病院において、医療通訳の配置はマストでしょう。
しかし、現状ではなかなか難しいところがあります。」
ーーそれはなぜでしょうか
「そもそも日本には医療通訳の人数が足りていません。厚生労働省が2017年に発表した調査資料によれば、登録されている医療通訳士は合計で2,400名でした。調査対象の病院は1,710件ですから、いち病院あたり、平均1.4人の医療通訳士がいるということになります。
いくつかの病院を重複して登録している通訳士もいるようなので、実際はもっと少ないかもしれませんね。
また、同調査では、半数以上の病院において、外来で受け入れた外国人患者数は年間20名以下でした。その一方で、一部の病院(全体の5.7%)では年間1,001名以上を受け入れていたので、病院によって大きな差があるようですね。
年間20人以下の患者数であれば医療通訳士1.4人ほどでも対応できるのかもしれないですが、それが数百の規模になってくると病院側もそれ相応の体制を取る必要がありますね。
しかし、これらは訪日外国人を受け入れている病院に限った話ですし、全医療機関のごく一部に過ぎません。厚生労働省が毎月発表している医療施設動態調査(令和2年4月末概数)をみると、現在、病院だけでも全国に8,260あります。
ここに一般診療所と歯科診療所の数を足すと、179,200もの医療施設があることになります。さすがに釣り合いがとれていないのではないでしょうか。
その上、医療通訳士の多くが事務職員や医師との兼任です。順天堂大学の大野直子准教授によると、日本の医療現場ではしっかりとした訓練を受けたプロの通訳者が少なく、医療関係者など、通訳とは関係のないバックグラウンドの人が医療通訳をしていることが多いようです。
専任者が少ないということは、状況に応じて迅速かつ柔軟に対応できる人が少ないということではないでしょうか。」
ーー世界ではどうなのでしょうか
「オーストラリアのような超多民族国家においては、医療現場での多言語対応の必要性も高まります。
在京オーストラリア大使館の資料によると、アボリジニやトレス海峡諸島民のような先住民の他に、オーストラリアには200を超える国から移民が集まっているとのことです。また、オーストラリアの公用語は英語ですが、一般家庭で話されている言語は300以上もあります。
ニューサウスウェールズ州政府が出した多言語コミュニティーに関する新たな方針の中には、『医療機関は人々と個々のニーズ、言語と文化に対して対応できる』ことが必須条件として掲げられていますこうなると各病院も医療通訳者の配置には意識的にならざるをえないですよね。
オーストラリアにはNAATIという『翻訳者と通訳者の資格を標準化し認定する唯一の国家機関』(1977年設立)があるのも大きな違いです。
オーストラリアで医療通訳になるためにはここでまず、通訳者としての資格を得る必要があるのですが、こちらの日本翻訳連盟の記事によると、2010年度の合格率は23%とのことなので、大変狭き門であると言えるでしょう。
ここからさらに、医療通訳としての専門試験も受けるんです。このような入念な国家認定試験を通ったものだけに与えられる資格となると、社会的信用も自ずと増してきますよね。」
ーー現在の主要な外国語とみなされている英語・中国語以外の言語には現状どこまで対応できているのでしょうか
「厚生労働省の同資料に、登録されている医療通訳の人数が言語別で載っていますが、多い順に英語(764名)、中国語(686名)、スペイン語(227名)、ポルトガル語(210名)となっています。
スペイン語とポルトガル語は意外に思う方もいるかもしれませんが、これは日本における南米系移民の多さと関係しています。
以前に私が京都で医療通訳に関わる人たちから聞いた話ですが、京都で一番必要とされる外国語は中国語だそうです。一方で、滋賀県の大津市で一番必要な言語はポルトガル語、もしくはスペイン語だったのです。
京都と大津は鉄道で15分ほどしか離れていないのに、必要とされている外国語はこんなにも違うのが日本の現状なんです。つまり、地域によって必要な言語も違ってくるということなんですね。」
ーー観光大国を目指す日本にとって、ホスピタリティの一部として医療通訳は欠かせない存在のはずです。今後どうすれば増やしていくことができるのでしょうか
「オーストラリアのように国家による認定試験を設けるのは一つの手段だと思います。それによって、医療通訳の認知が向上し、職業として社会的に認められれば、なり手も増えてくことでしょう。
withコロナの中で、安全安心を最優先に、かつ、新しい生活習慣に適応した旅行や移動を行うためには、然るべき医療体制の構築は極めて重要です。
そして、医療の現場において多言語で円滑なコミニケーションが出来ることは、医療を提供する側にとっての負荷も軽くしますし、日本語に不慣れな海外からの訪問者にとっては、大きな安心に繋がります。」
高橋政司
ORIGINAL Inc. 執行役員 シニアコンサルタント1989年 外務省入省。外交官として、パプアニューギニア、ドイツ連邦共和国などの日本大使館、総領事館において、主に日本を海外に紹介する文化・広報、日系企業支援などを担当。2005年、アジア大洋州局にて経済連携や安全保障関連の二国間業務に従事。2009年、領事局にて定住外国人との協働政策や訪日観光客を含むインバウンド政策を担当し、訪日ビザの要件緩和、医療ツーリズムなど外国人観光客誘致に関する制度設計に携わる。2012年、自治体国際課協会(CLAIR)に出向し、多文化共生部長、JET事業部長を歴任。2014年以降、外務省国際文化協力室長としてUNESCO業務全般を担当。「世界文化遺産」「世界自然遺産」「世界無形文化遺産」など様々な遺産の登録に携わる。2018年10月より現職。2019年、観光庁最先端観光コンテンツ インキュベーター事業専属有識者。
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