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『もるうさあ』第二話 🍄

2.「維新公園とキノコ」 
(もるうさあ:3日前)
 
 後輩に暴言吐かれて落ち込んでるから、変質者到来が告げられても動じない。精神状態が最悪のときは何が起きてもあんまり感じない。感覚は異常事態では麻痺しちゃう。
 あと、平凡な日常も人の感情を麻痺らせる。同じマンションに住む岩谷さんは「ねぇ、西川さん、変質者だって。怖いわぁ」と言いながら、とても嬉しそうだ。
 私は仕事を終え、毎週木曜の日課であるジョギングのために維新公園に来た。競技場の周辺は1周がちょうど1キロになるようにタータンが敷かれて整備されている。日が暮れて点灯した街灯の横を過ぎる。こちらの暗い気持ちを察することなく、岩谷さんは私を見つけるなり声をかけて来た。
 私の頭の中には、先ほどの後輩の生意気な垂れ目が浮かび、「自分がやりたくないことを他人に求めんなってんだよ、オバサン」という嫌みがサイレンみたいに反響している。
「中年が変なモノを持ってたらしいわよ」
私の耳元に顔を近づけて内緒話をする岩谷さんの息は荒い。歩く速度がいつもより早いのだ。
「向こうに警察が2人来てんのよ。ちょっと、西川さん、一緒に見に行きましょうよ」
適当な返事をしながら私はジョギングを始めた。するといつもは走らない岩谷さんが並走した。カーブを曲がると人だかりが見えた。
「うわ、人が増えてる」
競技場と広場の間の通路に人の群れはあった。その群れの先頭に2人の警官と1人の青いトレーニングシャツを着た男性が見えた。
岩谷さんからシャツを掴まれ、私は足を止めた。すると、岩谷さんは大きく息を吐きながら、
「実は、あの人、インケイを所持してたらしいの」
と言った。しかし、本人が意図したよりも大きな声が出てしまっていたのだろう。ちょうど私たちの隣を走り抜けていったランナーが一瞬振り返った。岩谷さんはとっさに私の影に隠れるそぶりをした。
 人の口から「インケイ」という言葉を生まれて始めて聞いた。私は今日出会ってから始めて岩谷さんの目を見た。それ以外の言葉の選択は無かったのだろうか。額に何重もの皺を作って私に上目づかいする岩谷さんは、何だか奇妙なキャラクターに見えてきた。いい歳をして、「インケイ」だなんて。
考えていると笑ってしまいそうで、私は奥歯を噛んだ。
「え? どういうことですか?」
「いやぁね、何か、変なものを持って走っている人がいて、それに気付いた女の人が、警察を呼んだらしいのよ」
私たちはコースを外れて人だかりに向かう。
「ちょっと下がってください」
年配の警官が群衆に手を掲げる。「あの人絶対にオカシイんですよ」とヒステリックな声を上げている女性がいる。ショッキングピンクのタオルを首に巻いた彼女は「事情なんか署で聞きなさいよ」「市民の安全を守るのが警察の仕事でしょ」と後ろでまとめた髪を揺らしている。
 若い警官が壁となり野次馬はその外側から様子を見ていた。私は少し背伸びをしながら容疑者である50代くらいの男性を見た。彼はこちらに顔を背けるようにして、年配の警官と話をしていた。穏やかな口調だし、人が良さそうで変質者には見えない。けれど、人は見かけによらない。
「ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。しかし、私は罪に問われるようなことはしておりません」
「では、手にされていたものを、もう一度出していただけますか?」
男性はトレーニングパンツの右ポケットに手を入れ、何かを取り出した。岩谷さんが口の形を「インケイ」と動かして、私はまた、奥歯を噛んだ。
「エリンギです」  
男性の声が聞こえた。警官がそれを手に取って目の前で確認した。エリンギは街灯のオレンジの光に照らされて陰影を纏っている。「おい、何だよ」と誰かがつぶやいて、何人かが無言で立ち去った。私もこの場から離れようと岩谷さんを見た。しかし彼女は真剣な表情でその様子を見ている。
「えぇ~、では、なぜこのようなものを持って走ったりされたんですか?」
「きっかけは仕事上のストレスでして」
若い警官は背後にいるその2人の様子を確認しながら、拳を作ってこちら向きに立っている。その顔立ちは私よりもずいぶん若く見える。
「実は、仕事で部下をうまく指導することができていませんで、部下からのパワハラみたいなものを受けておりまして。自信を喪失しておりました」
ギャラリーの数が減っていく。警官と話をするおじさんは、何度かため息をつきながら、「情けないことです」と何度も言った。おじさんの丸い背中を見ながら、私は生意気な後輩の細川を思い出していた。
 
 市役所の地域づくり促進課にいる私は、若者増進に向けて企画制作を担当している。先ほど行われた定例会議で細川は言った。
「『ニューツーリズムの推進のために農山漁村地域の資源活用』って、これ、県の政策をコピペしてきただけじゃないですか?西山さんはそこから、どうしたいと考えられてるんですか?」
「いや、それを今からみんなで考えて行くのよ。個人的な意見を言うと日本の原風景みたいなところがたくさんあるから、それを観光資源化できればと思います」
細川は中途採用で入ってきた人間だ。素性は良く分からないが、市長と強いコネクションがあるらしい。能力は高いみたいだけど、人に対する当たりが強い。
「日本の原風景って、誰にハマるんですか?まず、若者は懐かしいなんて思いませんよ。経験してないんだから」
細川は司会の私を見たあと、全体を見回しながら最後は課長に向かって言った。
「あと、ここに挙げてある漁船を使ってのクルージングとか、あなたはしたいと思います? マジで。馬鹿が馬鹿を分かってないのが一番タチ悪いっすよ」
課長は雰囲気を察して、「まぁまぁ」と場を和ませる発言をしてから、とりあえず、次回までに他の地域の成功事例を一人いくつかピックアップすることを提案した。
 会議室に残り、課長と打ち合わせをしていると細川が戻ってきた。そして私をオバサンと言った。いや、実際はオバサンと発声はせずに、そうと分かるように口を動かした。垂れ目の奥に挑発が見えた。
 
 年配の警官に無線が入った。やり取りがあったあと、彼は若い警官に「【もるうさあ】だ」と合図した。すると、誰かが「もるうさあ、警察も動いてんのか?」と言って緊張感が走った。「本当に空から何か降ってくるのかしら」と誰かは夜空を見上げた。若い警官は怪訝な顔をしてから、「今日も避難訓練かよ」と地面に吐き捨てた。年配の警官は無線で話しながら、その場を離れていく。岩谷さんが「世界の終わりなんて、まさかねぇ」とつぶやいた。
 
「本当にこの世が終わるとしたら、何したい?」
そういえば、前に拓真と会ってから、もう2ヶ月くらいは経つ。メッセージもそういえば先週から来ていない。東京で研修中ってことだけど、どうなんだろう。
私はそのとき、「ごぼう巻きが食べたい」と言った。
「何? それ?」
「牛蒡を魚の皮で巻いたヤツ。山口県の郷土料理。小さい頃、あんまり好きじゃなかったんだけど、もう、15年くらい食べてなくて。なんか今、思い出したの」
「好きじゃなかったんだろ?」
「うん」と頷いて、私は実家の木のテーブルと熱燗の入った徳利と、まだ30代くらいの眼鏡をかけた父親を思い出していた。
「おまえ、好きじゃないって言いながら、ずっと大切にしてるものが結構あるよな」
そうかもしれない、と思った。「でも、わざわざ世界の終わりにすることじゃないね」と言いながら見た拓真の顔。思い出してみると、そんなに私の好みではないかもしれない。
 
「で、何でストレスがコレに繋がるんだよ」
大きな声に視線を向ける。若い警官が二本指でエリンギをつまんでおじさんの鼻の前に掲げていた。先ほどの無線のせいなのだろうか、彼は苛立っているようだった。
「家で落ち込んでいる私を見かねて、家内が気分転換にゲームでもしたらって言ったんです。実は私が社会人一年目、1983年にファミリーコンピュータ、通称ファミコンが世に出ました。初心に戻るというか、ゲームは気分転換に良いなと思いました。新入社員のときはずっと働き通しで目が回る毎日で、ファミコンをしているときだけが、私の休息時間でしたから。あ、そして、屋根裏部屋を探してみると、ちゃんと発売当時の箱に入ったファミコンがありました。懐かしかった。でも、まだ電源は点くのかな、」
「長いよおじさん。あんたの思い出話を聞きに来てるんじゃないんだよ。こっちは仕事なんだ。要点を言ってくれ。長い」
若い警官は舌打ちした。
「あ、すみません。結局電源は点かず、新しいファミコンを買い、当時一番熱中していたスーパーマリオブラザーズをしました。そして、ご存じだと思いますが、マリオはキノコのアイテムで強くなるんです。何倍も大きな人間になれるんです。それを見て、私も、強くなりたいと思ったんです。そして思いついたのが、私もキノコを手に入れることだったんです」
マリオも髭を生やしたおじさんだなと思った。世のおじさんにとって、マリオはヒーローに見えるのかもしれない。
「でも、なんでキノコなんだよ」
「あ、それはですねぇ、マリオの制作者が『不思議の国のアリス』のマジックマッシュルームにヒントを得て、」
「いや、ちげーよ。何でそんな話、今聞くんだよ。もういいや。じゃぁ、なんでそれを持ってこの、人の多いこの場所を走ろうと思ったんだ?」
「いや、それは、私はここで週に3回はジョギングをしていまして」
「持って走らなくてもいいだろう」
「そんな、目立つとは思わなくて。ダンベルを持って走る人もいらっしゃるくらいですし。あと、ここの維新公園っていう、維新というのが、維れ新た、新しくなるっていう意味で、自分を変える良い場所だと思ったので」
「でも、そのエリンギだけど、キノコのおもちゃみたいな、そういうのを買うっていうのもあっただろう? なんで生なんだよ」
「はい。迷いました。実際、家にもあったんです。息子のものなんですが、」
「ほぅら」
若い警官は大きなため息をついた。そして帽子をかぶりなおして突然声色を変えた。
「あなたねぇ、分かってたんだよ。コレ持ってたら、誰かがちょっと色んな反応をみせるっていうのが。そういう企みを持ってコレを手に入れたんだろ?」
「いいえ、そんなことは」
「おい、でもなんで生じゃないといけないんだよ、おっさん」
若い警官は低い声を出しながら詰め寄る。 
「スーパーマリオに憧れたんなら、その、家にあった息子のおもちゃでいいだろう?」
「まぁ、そうですが」
「そうだろう。自覚があるんじゃねぇか。なんで生なんだよ」
生という表現はなんなのだろう? エリンギで良いじゃないか。
「なんか企んでいたんだろう? わざわざ生を持ってくるなんて」
「この人はそんな人じゃない」
突然、よく日焼けをしたご老人が前に出てきた。
「誰ですか、あなた」
「私はこの人と同じ地区の人間です。菅原さんとは地区の清掃活動でしか会わないが、この人はオカシなことをする人じゃない」
「なんで掃除を一緒にするだけでこの人がまともな人間だって分かるんですか? この人には変な性癖があって、だからわざわざ生のキノコを持って人前を走ったりしたのかもしれないだろうが」
「そんなことしない。菅原さんの話を聞いていたでしょう。何かにすがりたかったんですよ。それぐらいに彼は、真面目だから、追いつめられていたんですよ。生のキノコを持って走ったくらいで、罪になるんですか?」
「どういう意図があって生を持っていたかが大事なんだよ。ねぇ、おっさん、なんで生にしたんだよ。生である必要があったんだろ」
「生…」
私は戻ってきた年配の警官を見ながら、彼らの「なま」という言い方を辞めさせてほしいと思っていた。容疑者のおじさんはついに、「生…」なんてつぶやいてしまっている。不憫だ。負けないで、おじさん。変な表現に巻き込まれたりしないで。
「さきほど57歳だとおっしゃってましたが、物事の分別はつきますよね」
やっと年配の警官が間に入った。
「申し訳ありません。ですが、キノコを持って走ると、誰かに迷惑をかけてしまうのでしょうか」
「いや、まぁですね。考えてみてください。普通ではないですよね。分かりますか? 一般的に、その様子を見て、驚く方もいらっしゃることは、理解できますか?」
おじさんはうつむいている。若い警官はまた、大きなため息を吐いた。バスのドアが開いたみたいな、いやに大きな音だった。
 すると、オレンジ色のベストを来たおばさんが突然彼らの間に割って入ってきて「でも、私もこれ持っちょるよ」と言って薄ピンク色の花を差し出した。
「ムラサキツメクサよ」
「いや、それとキノコは違うだろ」
「何が違うかいね」
おばさんの言葉が想定していたよりも強い語気だったからか、若い警官は唖然としていた。おばさんは微笑みながらおじさんに近づき、その背中を叩いた。そして「人生、色々あるさ」みたいなことを言って、おじさんに薄ピンク色の花を渡した。
 私は岩谷さんに手を引かれてその場を離れた。おじさんはどうなってしまうのだろうか。私は逮捕まではされないだろうと思う。きっとあの人は変な人ではない、と思う。
「なんか、可哀そうだったね。みんな、疲れてるのよ」と岩谷さんは言った。私は大袈裟に腕を振りながらウォーキングする岩谷さんを見ながら、自分なら何を持って走ろうかと想像してみた。
「私もエリンギ持って走ろうかな?」
「やめてよ」
「何なら許せます?」
岩谷さんは少し考えてから、「バナナ」と言った。その言葉が聞こえたからか、ちょうど側にいた中学生が目を丸くした。見上げるとすぐそこに黄色い月が見えた。


(次回は 3.紫陽花寺とボレーシュート(もるうさあ:2日前)です )




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