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『もるうさあ』 第3話 ⚽️

3.「紫陽花寺とボレーシュート」
(もるうさあ2日前)

 家に帰るとたくさん人がいて親父が説法してた。その話を聞かずに帰ろうとしている婆さんが俺に気付いた。「大きゅうなったの」とこちらに微笑むので、「こんちは」と言うと、「サッカーは、」と話を続けようとしたので、「あ」と何かに気付いたふりして視線を外し、その場を離れた。でもそのとき、無意識に溜息が出た。それを母親が見てた。思いっきり頭を叩かれた。
「あんた。何を偉そうに人様に向かって」
パーで叩くしデカい声を出すから親父の説法を聞いてた人が振り向いた。母親は「スミマセン」とかすれた声を出しながら頭を下げた。やれやれ、この人は感情的で空気が読めない。
仏様に人様。この世は偉いやつばっかりだ。目を伏せ母親の怒りがおさまるのを待つ。母親は弟の体調が悪いから機嫌が悪い。昨夜も幼稚園児の弟は熱に浮かされて何度も泣いた。すると母親が抱き上げてなだめなければならない。結果、母親が寝不足になる。機嫌が悪くなる。俺にあたる。
 じゃあ俺は、このイライラをどこにぶつけるべきか。
「【もるうさあ】というのは、みなさん御存知でしょうが、元は山口県の民話です。最近テレビでしきりに恐怖を煽っていますが、この民話の教訓は、分からないことは人に不安を与え、そしてその不安は時間が経つごとにどんどんどんどん膨らんでいって恐怖になっていく。というものです」
 額を指で押され、「あんた、ちゃんと聞いちょるんかいね」という言葉で母親の説教は終わった。俺はスマホのメッセージを確認するため濡れ縁に座った。部屋に戻って母親と関わるよりは、お堂にいた方が良い。
 親父は今流行りの【もるうさあ】について話をしている。
「民話はこんな話です。ある嵐の夜。老夫婦の家に忍び込んだ泥棒。その泥棒は、老夫婦の会話を聞きます。狼は怖い。泥棒は怖い。でも、一番恐ろしいのは【もるうさあ】じゃ、と。もしこれから【もるうさあ】が来たらどうしようかのぅ。老夫婦のその話を聞きながら、泥棒は、泥棒である自分よりも恐ろしい【もるうさあ】というのは何だろうか、と不安になります。そしてついには【もるうさあ】に出会う前に逃げるべきだと考え、何も盗まぬまま、その家から立ち去って行く、というお話です」
愛梨からの「肩は大丈夫?」に、「軽い打撲だって。少し痛いくらいで、1週間くらいで練習に戻れると思う」と返信する。サッカー部の仲間からはメッセージが来てない。時間を確認すると、まだ7時前で部活中だと気付いた。いつも部活だったから、練習に参加してないと時間の感覚が狂う。今日は試合前のフォーメーションのチェックをしてるはずだ。
「なぜ山口県の民話に元がある【もるうさあ】という言葉が、今、日本中を騒がせているかというのは、もう一年前くらいになりますか、今でもテレビによく出ていらっしゃるあの人が、山口県に所縁があったということや、政府関係者、が、山口県出身などということが考えられます。が、まぁ、それは、今はよろしい。えー。色々な考え方がありますが、大切なことは、この、【もるうさあ】の民話の持つ意味でございます」
 中学の同級生グループのメッセージには、「【もるうさあ】で世界が終わるの7月らしいぜ。もうすぐじゃねーか。俺、覚悟決めて、新名ちゃんの写真集買うわ」ってのがあって、馬鹿じゃねぇの(笑顔の絵文字)と打とうとしたが、「じゃぁ俺は、雪序の買うわ」に変えて送ると、ケンタが「俺はなかやまきんに君のイメージビデオ買うわ(ハート)」と送ってきたから、吹き出してしまった。
 親父の説法の邪魔をしたんじゃないかと心配して振り返った。しかしみんな熱心に親父の「自分の中で不安を募らせてしまってはいけません」という言葉に頷いていた。
「世界が終わるようなことは決してありません。昔で言いますと、ノストラダムスの大予言のときや、ハレー彗星が来たときだって、実際は何もなかった。ただ、私たちが想定すべきことは、そのことで不安になり、思いつめて、自暴自棄になり散財する人や、犯罪に手を染め、他人に迷惑をかける人が現れるということです。これは人災です。あってはならないことでございます。万が一、世界が終わるような大きな出来事が、本当にあると考えるならば、阿弥陀如来の教えである、『もともと衆生には円満な仏性が備わっている。それが信じられないから、迷うのである。』というお言葉を思い出し、お互いを信じましょう。私たちは助け合えると。万が一、何か大きなことが起こってしまったとしても、助け合い、乗り越えられると。信じましょう。それが、今、不安過剰になっている世の中で、私たちができることではないでしょうか」
 親父は木だ。根があり、葉が覆い茂る木だ。息子の俺が言うのも何だが、ちゃんと芯がある。だから声が重く感じられる。言葉が頭の上あたりからドスっと入り込んできて、腹の中にしっかりと納まる。
「でも最近あの国がミサイル配備をしている」とか、「自衛隊の倅が明後日からの7月に備えて忙しくしている」とか、「政府の陰謀」、なんて雑多な問いかけに親父は丁寧に答える。
「そのどれもが、【もるうさあ】以前にもあったことでしょう」
親父の笑顔は人を安心させる。木の幹みたいに大きくて太い。すべて受け止める。
「もう、日が暮れてまいりました。今日はこの辺にいたしましょう。とりあえず、本日は金曜日。みなみな様、一週間お疲れ様でございました。今日は、私もお酒を頂きましょうかね。ビール、焼酎、日本酒にウイスキー、ワイン、泡盛、」
「住職、飲み過ぎじゃのぉ」
「世界が滅んでしまうかもしれませんからね」
「なんや、あんた」
皆で笑う。しかし笑いながら、俺も他の人も親父が酒を飲まないことは知っている。本堂から出ていく人は「えぇ~話やった」と満足して帰って行った。
 今日の説法に来ていたたくさんの人たちの後ろ姿を見ていると、部活終わりに部室へ戻るみんなの姿を思い出した。練習は終わっただろうか。

 うちのサッカー部には県内から優秀な選手が集まって来ている。国体の山口県少年の部のメンバーは半分以上がうちの部員だ。入部したての頃はそのレベルの高さに驚くと共に、興奮した。毎日この環境でサッカーが出来ることが嬉しかった。ただ、今は違う。楽しいだけじゃない。毎日が勝負だ。インターハイ予選は試合に出て得点も決めたが、インターハイでは出場できるか分からない。
 監督の口癖は、「勝負の世界は自分に勝ち、他人に勝ち、運命に勝つことが必要」で、運命に勝つためには精進をし続けなければならない。些細なことにも気付くことが必要で、誰からも認められる行動を取らなければならない。
「勝負の世界は努力したからどうなるってもんじゃない」けれど、努力をすることでしか、勝利は無い。だからこそ思いっきり練習できない今の状況はもどかしい。
 昨日のポストプレーの練習のとき、ヘッドで競り合って腰から落ちた。そのときに左の肩も痛めた。競り合った西宮は、練習後も「先輩すみません」と頭を下げに来た。西宮は190センチある、1年だが有望な選手だ。
 
「何かみえるか?」
親父が横に屈んだ。お香の匂いがした。
「あ、いや」
「闇をじっと見ることは大切だ」と言ってから、「聚、晩御飯にしよう」と親父は言って家に戻った。一人お堂に取り残されると、虫の音が大きくなったように思えた。紫陽花が音を立てているかのように揺れる。
 リビングでは弟がパジャマ姿で鼻水を垂らしていた。
「お兄ちゃん今日は早いね。僕が心配だった?」「そうだな」と言いながらティッシュを鼻に当てた。
「今日はかやくうどんよ」
「またうどんかよ」と言ってしまってから失敗したと後悔した。母親がすぐにこちらを向いて、「さずくんが風邪だから、消化にいいもんなんよ」と吐き捨てた。
「ぼくはおうどんすきだよ」と弟は無邪気に言う。
「かやくっていうのはな、花火の火薬っていう意味じゃないんだぞ。知ってるか?」
父親が白衣で座り合掌する。俺は「知らん」と言いながら手を合わせてから箸を手に取る。
「かやくっていうのはな、薬を加えるって意味なんだ。だから、風邪をひいてしまったときにはもってこいってことよ。さすがは母さん。愛があるね」
母親は嬉しそうに微笑みながら席に着き、弟の前の取り皿にうどんの麺を入れる。
「にんじんを食べたら風邪がよくなるからね」
弟は猫みたいな声で返事をして鼻をすすった。
「あのさぁ、【もるうさあ】って、本当にあるんかなあ」
「まぁ、あるだろうな」
「え、そうなん? なんだかんだいって何もないんじゃないかって、さっき言っとったやん」
俺は箸を止めた。うどんのつゆがお椀の外へ跳んだ。
「まぁな」
親父は口を動かしながら答えた。
「じゃあ何、何か本当にデケぇことが起こんのかよ」
「たぶんな」
「え、そうなん? どうしようかしら。どこかに逃げる?」
母親はそう言うが危機感は伝わってこない。
「いやいや、ここは避難所になるからそのつもりでよろしく。食料とかは裏の蔵にたくさん補充済みだし、一応ビニール製の簡易浴槽も4つくらいは買ってある」
「え。いつの間に? 準備万端じゃないかよ。どうやって? え、何?」
「アマゾンで、前にな」親父はしば漬けを口にしてから、「ごちそうさま」と手を合わした。親父は食べるのが早い。
「もう一年前から【もるうさあ】の話はあって、しっかりと国が告知してきた。さすがに何もないってことはないだろう。ただ、世界が終わるってほど大ごとでもないはずだ。今はあえて過度に恐怖をあおってるところがある」
「それって、じゃあ、天変地異とかじゃないのか?」
「どうかな。誰もよく分かってないんじぁないか? 本当のところは。それか逆に、人為的な何かかもしれんな」
「何だよそれ」
「ま、とりあえず、自分の心持だけは、しっかりと自分のものにしとかんといけん。ということでわしはこのあと、ちょっと読経して度胸を据えますわ」
母親の「お父さん素敵」という言葉にサムズアップして親父は立ち上がった。俺は【もるうさあ】が急に現実になったような気がして箸を止めた。【もるうさあ】って、そりゃマスコミは連日特集を組んでいるけど、単なる都市伝説じゃないのか? みんな前近代的な話を面白おかしく遊んでいるだけじゃないのか? ネットの中や漫画の中の話じゃないのか? 
「あ、これ」
母親はテレビを見ながら言う。そのときちょうど弟のフォークからうどんが逃げ出して床に落ちた。
 ニュース速報が入った。
 母親はNHKにチャンネルを変える。すると、そこでも同じニュース速報だった。
「明日の正午に【もるうさあ】の訓練避難放送ですって」
 Jアラートを使って【もるうさあ】の訓練放送を行う連絡だった。テレビは番組が中断となり、報道局に切り替わった。
「突然ではありますが、政府、官房長官から、近日中に何かが起こることは確かでありますので、とりあえずはそれに対する準備段階として、全国瞬時警報システムを用いた連絡の訓練を行います。という発表が行われました」慌ただしい雑音が入ってから、画面は切り替わり、官房長官が先ほどキャスターが言ったままの言葉を並べた。
「あらら。お父さんが言ったのが本当みたいね。これは大変になるかも」
「学校休みになるかな」
「まず、たすくんは風邪を治さないと、折角学校がお休みになっても遊びに行けませんよ」
休校は基本自宅待機だろう、と思ったが口には出さなかった。
 それにしても【もるうさあ】。テロップを見ても、全部ひらがなで格好が悪い。ただ、それが不気味にも思える。俺は【もるうさあ】と聞くと、なぜか恐竜をイメージしてしまう。モルウサウルスみたいな。
 弟が母親にうどんを催促するのを見て、俺はどんぶりを持ち上げ、勢いよく啜った。

 ユーチューブで動画を見てから、部員からメッセージが来てないことを確認してしまい少し空しくなった。あるサイトの【もるうさあ】で世界が終わるなら、どんな犯罪を起こそうかというやりとりを見て、最初は胸糞悪いと思ったが、俺ならどうしようと考えてる自分に嫌気がさした。俺は犯罪みたいな小さいことをするよりも、一瞬で国を消すとかデケぇことがしたい。一瞬でその場所を海底に沈めたり、一瞬でその場所をジャングルにしてしまえば、人はそこまで悲痛な気持ちは持たないんじゃないだろうか。人の意識なんて儚い。
 トイレに向かうと親父がまだお経をあげていた。「まずは己の心を正すことが大切なのです」という、いつかの親父の説法を思い出した。俺は心を正したいけど、こんな体じゃ、それができない。叫びたくなった。せめて叫ぶかわりに、何か、したい。小便をしている自分がみじめに思えた。洗面所にある鏡、そこに映る自分ごと拳で粉々にしたい。

 目が覚めた。蹴り飛ばしていた布団を引き上げて体に被せる。まだ夜だ。寝よう。
 体勢を変えたとき、腰に痛みが走った。唸り声が出る。すると虫の声がやけに聞こえるようになった。山の中に家があることを呪った。仰向けになり、目を開けた。何度かまばたきをすると、夜の闇が目から脳味噌の中に浸透していくような気がした。
 弟の泣き声が聞こえた。目を閉じる。おそらく母親が抱きかかえた。誰かに依存するための、弱い獣の叫び声にイラつく。体を起して部屋を出た。月が明るかった。弟の泣き声から逃げるように靴を履き外に出た。
 月に向かって歩き、山の奥へ進んだ。寺の周りは地域の人たちが紫陽花の世話をしていて、今の時期はそれ目当ての観光客が多い。月の光を浴びた紫陽花はそれぞれが光の玉みたいに見えた。でも俺にはそれが綺麗だとは思えなかった。むしろ虫の声の中で蠢いている紫陽花は不気味だった。蜘蛛の目みたいで化け物に見える。今にも動き出して襲いかかってきそうだ。ちょうど足元にある丸い紫陽花を蹴飛ばした。すると、それは宙に浮いて落ちた。音は無かった。追いかけてそれをもう一度蹴飛ばした。全然遠くへ飛ばなかった。土の上の紫陽花に近づくと何かがその横で動いた。棒きれのようなナナフシだった。俺はできるだけ高くジャンプしてそれを飛び越えて走った。
山の傾斜が壁になった。立ち止まり、膝に手をついた。腰に痛みを感じながら、自分の吐息を聞いた。
 目の前には紫陽花が急斜面の上まで蔓延っていて、今にも俺にのしかかってきそうだった。苛立ちながら近くにある紫陽花を蹴った。花の付け根の茎を蹴るようにして、球体のまま花を空中に飛ばした。そして叫んだ。できるだけ低い声で叫ぼうとした。叫びながら、自分の胸の高さの紫陽花を粉々にしようと思いっきり蹴り飛ばしたとき、バランスを崩して地面に倒れた。両手を地面に付けて獣みたいに叫んで頭を抱えた。
 自分の声はすぐにどこかへ飲み込まれ、虫の声が俺を取り囲んだ。顔を上げて手をつくと、何かに触れた。モンシロチョウに見える、千切れた紫陽花だった。 

次回はもるうさあ 4 
『錦帯橋と間違い電話』【もるうさあ 前日】です。



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