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その多様性、ダウト。

皆に一通りトランプが配られたようなので、自分の手札を確認する。

(さんかくのじゅうなな!?)心の中で静かに叫ぶが誰にも言えない。▲17という見慣れない、存在しないはずのトランプが手元に15枚もある。

それを裏返しにして、3と言ってみたり10と言ってみたり、そうやって、いつか誰かに「ダウト!」と言われまいか、ドキドキしながら生きている。


「いやぁ、最近はいつパワハラって言われるか分からないから先輩方の方が大変ですよ、厳しくしてもらってこその成長だったはずなのに、時代ってなんなんですかねぇ。」

僕はそう言いながら、感情を裏返しに、見えないようにカードを場に出した。

「そうだよな、なんでもかんでもパワハラってのは違う。特に若いうちなんて怒鳴られてしごかれて、じゃなきゃ成長なんて甘いからな。お前、若いのに意外とそういうとこは分かってるんだな」

「まぁ、ずっと体育会系だったんで(笑)」

相手はまた僕の嘘を見抜けなかった。心の中でそっと、場に出したカードを裏返す。

「パワハラ反対・暴力反対・大きな声で怒るのは対話する能力がない上司がやること・新人の立場に立って一緒に原因と課題をお互いが腹落ちするまで対話する努力を怠らないこと。」

また今日も、相手に合わせた言葉ばかり場に出している。

ずっと、「ダウト!」って誰かに言ってもらいたいのかもしれない。
思っていることを思っているままに言ってみたい。誰かに嘘を見破ってほしい。

でも、誰にも共感されず、厄介者になるのが怖いから、相手の欲しそうな言葉を、いつも探っている。

「ダウト!お前が本当に思っていることは違うだろ?」って、言ってほしい気持ちもあるんだけど、相手が僕の本当の気持ちを受け止められる度量がないことも分かっている。

多様性とか、性的マイノリティに対する配慮が進んだなんていうのは体裁だけであって、僕が日焼けに敏感になっているだけで「男のくせにキモい」と上司が思っていることは知ってる。

ただそれを「僕はLGBTです」と言えば、上司は僕に、「日焼け止めまでしてちゃんと、美意識っていうの?清潔感に気を遣っていてえらいね」と言ってくれるが、それはただの体裁だ。

そんな上司には「ダウト!」と叫びたくなる。

相手に都合のいい人間を装っている方が楽だと思う気持ちと、本当の自分でいたいという気持ちが戦って、たまにずるく、相手の素性を探ろうとする。

「そう言えば僕、実はすごく肌が弱くて夏でもこうやってパーカーとか着ないといけないんですよ、暑くて最悪です(笑)」

「なんだ、そうなんだ!男のくせになーんか日焼けばっか気にして、気持ち悪いやつだなと思ってたんだよ(笑) でもほら、最近LGBT?とか色々うるさいじゃない、だからもしお前がそういうのだったらセクハラだの多様性だのってなるだろ?なんだ、心配して損したわ(笑)」

ほらね。ダウト。

こうやってまた相手にとって都合のいい僕でいることを選ぶ。
あぁ、どうして君はいつまでも僕のカードを裏返さないのだろう。

多様性。おめでたい言葉。

ルールばかりが蔓延って、言ってはいけない言葉ばかりが増えていき、でも誰も、言うことは変えても心を、自分の感じ方を変えるほど他人のことを理解しようとはしないから、とりあえず時代のルールに沿った言葉だけ使って、誰にも咎められないように、多様性を尊重している人間のふりをして、会話をしている。

だから相手が「変な時代になっちゃったよ」と、自分と同じ考え方だと知ると、安心して、規制を気にせず、本当に思っていることを、指導に暴力は必要な部分もあるだとか、男らしさがなんたらとか、結局数十年前と何も変わっていない事を露呈する。

必死に日焼けに気にしている僕を見て「美意識がちゃんとあっていいね」と言われて、素直に「あぁ、多様性が認められていい時代だな」と思える人間に生まれて来ればもう少し生きやすかったのだろうか。

でも、思ってもいない、ルールブックに書いてある言葉を読み上げているだけの多様性なんて僕はいらない。気持ち悪いと思っていても「日焼けに気を遣っていていいね」ということが多様性のある社会だというならそんな多様性など捨ててしまえ。

「今は多様性の時代だなぁ」なんて幸せそうに生きられる人間ではないことを、僕は一度書いておきたかった。

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