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ヨーグルトとステレオタイプ

私の妻はブルガリア人です。

東ヨーロッパにある人口700万人弱の小さな国。日本には大体500人のブルガリア人が暮らしているとか。琴欧洲関の活躍でも話題になりましたよね。

ブルガリアと聞いて、皆さんが頭の中で思い浮かべるものはなんでしょう。おそらくアレじゃないでしょうか。そう、ヨーグルト。

妻曰く、「ヨーグルトが大好きな国でもなんでもない」とか。ヨーグルトで有名なダノンはフランスの会社だし。

明治ブルガリアヨーグルト

明治乳業の強力なブランディングとマーケティングにより「ヨーグルト=ブルガリア」という認知が日本中に広がりました。これは広告やマーケティングに携わる身としてあっぱれと言わざるを得ません。

しかしその弊害として、日本に暮らすブルガリア人が迷惑してるのも事実。自己紹介後のお決まりの質問は、「やっぱりヨーグルトはたくさん食べるんですか?」なんですから。

「日本人は数学が得意」って本当?

ブルガリア人はヨーグルトをよく食べる。アフリカの人は足が速い。アメリカ人は外向的。パッと思いついた、言われがちなステレオタイプを並べてみました。なんとなく、そんなイメージを持っていませんか?

では、これはどうでしょう。日本人は数学が得意。日本人は真面目。日本人は背が低い。

「いやいや、そんなの人によって全然違うし!」と思うかもしれないし、「まぁそうなんじゃない?」と思う人もいるかもしれません。でも、ステレオタイプの対象が自分(日本人)になると、国籍でまとめられるのってちょっと違和感ですよね。

私のように数学で18点をとったことがある人もいるかもしれないし(中1)、すごい不真面目な人もたくさんいるし、背の高い人ももちろんたくさんいます。

要するに、正しくない。だから、ステレオタイプはよくない。

しかし、個人や社会の中にはステレオタイプはそこらに転がっています。気づかないだけで、そこら中に。「偏見なく物事を見ること」は、これからの社会で求められる能力のひとつなのかもしれません。

ステレオタイプってよくないよね、という認識がありながら、なぜステレオタイプはしぶとく残るのでしょう?

ステレオタイプは恥だが役に立つ(?)

普段、ヨーグルトと言われるのを嫌う妻ですが、一度だけ自分から率先して「ブルガリアヨーグルト」と言ったのを見ました。それは、駅前の自転車置き場でおばあさんに話しかけられたときでした。

婆:「あなた美人ねぇ。フィリピンの人?」

妻:「ブルガリアです」

婆:「え?どこ?フィリピン人でしょ?」

妻:「ヨーロッパのブルガリアです」

婆:「え?どこだって?」

妻:「ブルガリア!ヨーグルトの!ブルガリアヨーグルト!」

婆:「あら、ブルガリアの人に会うのははじめてだわ」

結構なおばあさんだったので、耳が遠かったのかもしれません。もしくはそのおばあさんの中では、近所にいる外国人=フィリピン人という固定観念があったのかもしれません。でも、通じませんでした。ヨーグルトというキーワードを言うまでは。

ステレオタイプは完全に悪か

ステレオタイプは「する側」も「される側」も、同じ情報を共有しています。だから、一種の共通言語のようにステレオタイプというフィルターを通すと伝わりやすいことがある。伝わってしまうから、無くならない。

でも、それぞれ違う人をひとくくりに決めつけることが良いわけありません。よって、私はやっぱり無いに越したことのない「悪」だと思います。

でも、そう簡単になくなるものでもないという認識のもと、もし自分がステレオタイプで話してしまいそうと思ったら、グッと堪えて一回考える。

「こういうステレオタイプってあるけど、本当のところどうなんですか?」

同じステレオタイプを“使う”としても、そんな使いならあまりイヤな気にもならないし、新しい発見があるかも。そうやって生きていこうと思った今日この頃でございます。

ちなみに、もしブルガリア人に会ったら「ブルガリアはバラで有名ですよね!」と言ってみましょう。あなたは知的で素敵な人と思われるに違いありません。

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